気付いていないふりをする

「ん……?」

 朝練の準備のため、選手より早く登校してきた朝。まぁこれはいつもどおりのことなので、特に不満も何もないのだけれど。いつもと違ったのは、私の下駄箱の中身だ。上履きの上に、白い封筒が置いてあった。また呼び出しだったら面倒だと思いつつ、暇な時にでも見ようと鞄に仕舞いこんで、今はもう私以外誰も使っていない更衣室に向かった。
 制服だと動き辛いため選手と同じようなラフな格好に着替えて、ドリンクや乾燥機に入っているタオルやらの準備をして。そんなことをしていればすぐに朝練開始の時間になり、体育館にすべて運び終えたところに練習着に着替えた選手がぞろぞろと入ってきた。

「おう、早いな如月」
「おはようございます、笠松先輩」
「伊織! おはようっス!」
「おはよう、涼太」

 もうすっかり名前呼びも慣れたもので、笠松先輩もこれぐらいでは過剰反応しなくなった。この調子でせめてクラスの女子と"あぁ"、"違う"だけで会話するのは卒業していただきたい。無理な話かもしれないけど。
 近くを通る選手それぞれと挨拶をかわし、監督と今日やることの確認をして練習に入る。私の仕事は練習を見ていて気づいたことは可能な限りメモすること、休憩を知らせてドリンクやタオルを配ること、怪我をした選手がいればその手当て。使い終わったボトルの片付けやタオルの洗濯もあるため、マネージャーもマネージャーで割と忙しい。
 そんないつも通りの朝練の最後に、ミニゲームをすることになった。朝練のない部や帰宅部の生徒ならもう来ているだろう時間で、体育館の隅にはおそらくは涼太目当てであろう女子がずらりと並んで涼太に熱い視線を送っては、彼の一挙手一投足にすら小さな黄色い悲鳴をあげる。このミニゲームで涼太がダンクシュートでもしようものなら、その悲鳴も一気に大きくなるのだろう。
 涼太は涼太で名前を呼ばれると手を振っていて、今をときめくモデルとやらも大変だ、とどこか他人事のように思った。

「如月」
「? どうしました、森山先輩」

 名前を呼ばれて振り返れば、いつになく真剣な表情をした森山先輩が。ビブスを取りに来たらしく、ミニゲームの準備で既に出していたうちの一着を差し出す。受け取って着てはくれたものの、しかしまだ用事は終わらないようで、形のいい眉を歪めて私を見ている。

「お前さ、平気なの?」
「……?」

 また可愛い子でも見つけた報告をするのかと思ったら、予想だにしなかった質問をされた。

「えっと……、何がですか?」
「黄瀬だよ、黄瀬。いいのか?」

 言われて、やっと森山先輩が何を聞きたいのか理解する。

「仕事のうちですし」
「ふーん……。なぁ、今日一緒に昼食わねぇ?」
「? いいですけど……。もれなく涼太がくっついてきますよ」
「撒いてこい!」
「無理です」

 ビブスを配り終えると、監督の合図でミニゲームが開始される。
 涼太にボールが回ると、早速ドリブルでゴール下まで切り込んでいき、派手にダンクシュートを決める。やらかしたよ、そう思う間もなく、女子から黄色い悲鳴が上がった。

「まったく、黄瀬のファンには敵わんな」
「……そうですね」

 監督が溜め息を吐きながらげんなりと言い、私はそれに相槌を打つ。
 合間合間にファンの子に笑いかけ手を振る涼太が視界に入り、さっきの森山先輩の質問が脳内で反芻される。
 平気なのか、私はその言葉に平気だとは返していない。いくら表に出ないとはいえ、仕事のうちだと理解しているとはいえ、心のどこかでは納得していないはずだ。
 その証拠に、ついつい涼太から視線を外してしまった。
 フォームを崩されて外れたシュートに、早川先輩が食らいつく。

「早川先輩、その調子ですよ!」
「おう!」

 涼太にばかり女子の声援が浴びせられれば、他の選手のモチベーションは下がる。応援されたくてやっているわけではなくとも、少なからず影響はあるはずだ。些細でしかないかもしれないけれど、好プレーをした選手にこうして声をかけることも、私にとって当たり前のことになっていた。
 こう考えてみれば、お互い様なのかもしれないな、とも思う。涼太はファンサービスの一環として女の子に愛想よく振る舞うし、私も選手の士気を上げるために声をかける。互いに不満を言ったこともなし、気にするだけ無駄なのかもしれない。
 ミニゲームが終わってみれば、涼太の入ったチームが圧倒的点差で勝利。まぁ当然の結果だろうな、と思う。

「伊織! 手伝うっスよ」

 マネージャー用の更衣室に戻す備品をカゴに入れて持ち上げると、涼太がタオルで汗を拭いながら駆け寄ってくる。

「ん、じゃあお願い。水分摂った?」
「大丈夫っス」

 往復する手間が省けて良かった。涼太は備品の運搬用とドリンクのボトル用の二つのカゴを持ってくれて、私はタオルを入れたものを持たされる。

「あ、そうだ涼太。今日、お昼一緒に食べられない」
「え!? なんでっスか……?」
「森山先輩が話があるって」
「……オレも行っちゃダメっスか?」
「深刻そうだったし相談事だと思うの。申し訳ないけど……」
「うー……、分かったっス」

 しょんぼりとしてしまった涼太に、今日は自主練に付き合って一緒に帰ることを提案して納得してもらう。
 涼太が昼休みに一人でいるとなれば、おそらく女子は涼太のところに殺到するだろう。どう対処するのか気になるところではあるけれど、森山先輩の話もあるので知ることはできない。こうやって気にしてしまっている時点で、私も嫉妬ぐらいはしているのだろうなぁ、とは思う。
 それでも、昼休みに森山先輩から何を言われるのかはなんとなく予想がついていた。きっと、涼太のことだ。ミニゲームの直前だっただけに、話ができたのはほんの少し。となれば、その続きをしたかったに違いない。日中は学年も違うため接点がないし、部活前は私の方が準備に忙しいので話す時間なんてものはない。部活後は私は自主練に付き合うことは滅多になく、送ってくれる人がいないのなら早めに帰るようにと監督からも笠松先輩からも言われているため、その自主練を行う選手と話すこともない。となれば、唯一時間のある昼休みに話をしようというのは当然のことのように思えた。
 以前から何かと気にかけてくれていた森山先輩のことだから、第三者として見ていて何か思うところがあったのだろうと思う。

「森山先輩はなんなんスか……! 昼休みが唯一伊織と二人きりでいられる時間だっていうのに!」
「んー、じゃあ帰り、どっかで夕飯食べよっか」
「ほんとっスか!?」

 一緒に居られない時間を取り戻せる、と機嫌を良くした涼太は備品の片づけなどまで手伝ってくれて、いつもより早く仕事が終わった。

「じゃあまた部活でね」
「はいっス! 約束忘れちゃダメっスよ!!」

 教室に戻る際に非常に名残惜しそうに手を握って必死に言う涼太に、思わず笑ってしまった。
 涼太が今まで行き過ぎた女の子のアプローチで厄介な目に遭ってきたのは知っている。誘いを振りきれずにデートに行ってみれば、今度は私だけを見て欲しいと言われ、ちょっと笑顔を振り撒いて見せれば、自分に向けられたものと勘違い。そんな涼太が、私と一緒に居たいと言ってくれるだけでも喜ぶべきなのだ。好きという気持ちが私だけに向けられているのはわかっている、だけどそれと束縛されてもいいと思うのでは違う。私がそうであるように、涼太もそこまで私の人間関係に気を張っているわけがないのだ。
 少しだけ、本当に少しだけ。妬いて欲しかったかもしれない、なんて。


(気付いていないふりをする)
 そんなわけがないんだから

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