01
今日は珍しく定時で上がることが出来た。しかも早いとこ有給消化してくれと言われた為に明日は平日だというのに休みである。なんだ、これで明後日出社したら契約書類に不備があっただとか、取引先からのクレームだとかであのハゲ課長に怒鳴られるんだろうか。ただ家路に着いているだけなのに、何故こんな憂鬱な気持ちにならないといけないのか。全ては普段定時上がり出来ないクソみたいな会社のせいだ。もしくはハゲ課長。
今日は同居人も用事があって居ないようだし、ご飯を食べて……いや、アイツの事だから作っておいてくれてるだろう。携帯を確認すれば予想通り、今日の夕飯は煮込みハンバーグ作ってあるよ、と連絡が来ていた。なら真っ直ぐ帰って早く寝てしまおうか……こんな時にやれる趣味も無いなんて俺はなんてつまらない男なんだ。深い溜息と共にポケットに携帯をしまい込み、ふと顔を上げれば60分2980円と大々的に掲げられた看板が目に止まる。営業の先々でこういった看板を度々見かける事はあったが、帰り道にもあったなんて。足を止めてぼんやりと見上げる。こういうマッサージのチェーン店って本当にちゃんと癒されるものなんだろうか。見れば随分と遅い時間までやっているようだし、値段も何だか安い。うずと好奇心に駆られてふらりと店へと足を運ぶ。カランと音を立てて入口のベルが鳴ると、いらっしゃいませの声と共に受付にいた店員数人が此方を見る。
「御予約のお客様でしょうか?」
「えっ、あ、いや、初めてなんですけど……」
「そうなんですね、あ、どうぞお上がり下さい」
一番に受付から出て対応してくれた女性に慌てて答えれば、相手も戸惑いつつ笑顔でソファへと案内してくれた。もしかして予約制なのか?そうだよな、アポイントを当日に急には取らないよな、ああだから俺はダメなんだ。なんて鞄を握り締めて俯いていると、先程の女性がバインダー片手にやってきた。
「お客様、ちなみにコースは何分をご希望でしょうか?」
「え?60分以外のもあるんですか?」
「あ、はい!」
良ければどうぞ、とメニュー表を手渡されしみじみと見つめる。180分……って3時間だよな、そんなのまであるのか。足つぼもあるみたいだけど、痛いのはディビジョンバトルだけで十分だし。少し悩んでから、おずおずと指をさす。
「じゃあ……90分の、ボディ?のやつで」
「かしこまりました、初めてですので此方に御記入の方お願い致します」
「はぁ……」
もしかしなくとも、予約無しで直ぐにやって貰えるのか?名前や生年月日を書きながら、ちらりと受付の方を見れば店員さん達が何だか楽しそうに会話している。これはもしや暇なのでは。全て記入し終わった所で先程の女性が小走りでバインダーを受け取りに来てくれた。暇な店という事はあまり評判が宜しくないのではないだろうか、と思いつつもここまで案内されて断る勇気は先ず無い。再び彼女が此方に来て、ではご案内しますね、と笑いかけてくれるのに愛想笑いを返す。
無料の着替えを貸し出してるのでご利用下さい、とハンガーの場所まで丁寧に教えて頂いて、区切られた部屋に一人取り残された俺は天を仰ぎながらスーツを脱ぎ始める。一二三にやって貰った方が気持ち良かったりしたら、なんて無駄な金を使ってるんだ俺は。あぁこんな事なら真っ直ぐ帰ってハンバーグ食べて寝れば良かったのに。いつもそうだ、俺がやる事全部裏目裏目に出て結局何もやらない方が良かったんだ。
「観音坂様?ご準備大丈夫でしょうか?」
「はいぃ!」
「?失礼します」
色々と考えていたら突然話しかけられたので声が裏返る。もう死にたい。入ってきたのはずっと対応をしてくれていた彼女で、目が合うと笑いかけてくれた。
「本日担当します名字です、よろしくお願いします」
「あっ、よろしくお願いします……」
「お疲れの箇所はどこでしょうか?」
「…………ぜん、ぶ?」
「ふふ、全部ですね!」
「す、すみません……!」
「大丈夫ですよ、先ずうつ伏せでお願いします」
ベッドへと促され、恥ずかしさを隠すようにいそいそとうつ伏せになる。恥ずかしい。だけどもうどこが疲れてるなんて分からないんだから仕方ないだろ。なんて、名字さんには言えないので心の中で言い訳していれば、タオルケットをかけられ、それでは始めていきますね、と背中を撫でられる。
「……背中と、お尻周りが結構張ってますね」
「え、分かるんですか?」
「何となくですけど」
肩から足先までゆっくりと押しながら名字さんがそう話すので、聞き返せば曖昧に返ってきた。まぁ彼女、恐らく俺より若そうだしな。だから直ぐに案内されたんだろうか。新人だから、とか。
「強さ加減は大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「では、足周り腰周りをやってから上半身をやっていきますね」
「お願いします」
でも力加減は丁度良いな。足裏を押している彼女が観音坂様、と声を掛けてくるので小さく返事をする。
「背中がやっぱり張ってますね……後は肩と、この辺り痛くないですか?」
「めっ……ちゃくちゃ痛い、んですけどっ」
「ここ、腰の反射区になるんですけど、ゴリゴリいってますね」
「こ、腰??」
「はい。ふくらはぎも大分張ってるんですけど、普段立ち仕事ですか?」
足裏からふくらはぎへと移動しながら問い掛ける名字さんに、一瞬答えに詰まってから口を開く。
「どっちも、ですかね……営業なんで」
「営業じゃあ足疲れますよね!なるほど、デスクワークもされてるから背中や肩腕も張ってるんですね」
「腕、ってまだ触ってないですよね……?」
「あ、足裏の反射区で、その辺りが凄く固くなってたので」
「足裏って、そんな色々分かるもんなんですか?」
「まぁ、大体は……。全身の反射区があるので」
覚えてると言ってもざっくりですけど、と彼女が謙遜するが俺からすればざっくりでも覚えていて触るだけで分かるのは凄いと思う。先生も触れると分かると言っていたけど、俺にはよく分からないし。
ふくらはぎを丁寧に揉んだ後、太ももからお尻へと移動しながら座っているとお尻のこの辺りが固くなってくる、とか太もものここが腰痛の原因にもなってる、とか説明しながら揉んでいく名字さんの力加減は、たまに声が出そうな箇所もあるけど痛気持ち良いくらいで、声を聞きながらうとうととしてくる。
気付けば肩周りまで移動していたようで、肩甲骨の痛みで少し目が覚める。
「そこ、痛いです、ね」
「すっごい固いです……あ、この強さ大丈夫ですか?」
「あ、はい。気持ち良いです」
思ったけど名字さん、気遣いが絶妙じゃないか?足やってた時も痛いなって思った場所がこっちが言う前に少し押す力が緩くなったり、声を掛けてくれたり……新人とか思ってすみませんでした。
「名字さんは、このお仕事長いんですか?」
「え?私ですか?まだまだですよー、始めて一年のペーペーです」
「え!?一年!?」
「はい!だから毎日勉強ですね」
次は仰向けでお願いします、と話し掛けられゆっくりと起き上がってから上を向く。顔に目隠しをかけられる直前に名字さんを見て、一年というのを納得してしまった。彼女、どう見ても若いもんな。
失礼しますね、と腕から手の平へと揉み始め、首へと移動していく。
「────観音坂様、お疲れ様でした」
「ふぁ、あ、……はい……」
「大分、お疲れでしたね」
笑う名字さんの声にぼんやりとした頭で起き上がる。首入ったくらいから記憶がない。俺、もしかして寝てたのか。なんて思いつつ、背中を叩いてもらってから受付で待つと部屋を出る彼女を見て、眠い体を無理矢理起こして着替える。
────正直、その後の事はイマイチ覚えてない。会計をして、家に帰って、着替えて布団にダイブした……気がする。どうして自信が無いかというと、例えるならそんな夢を見ていたような感覚だからだ。
そして今、朝6時13分。
「え、独歩ちん起こしに行く前に起きるとか超めっずらしくね!?」
「おはよう一二三」
「おっはよー!つかつかどしたん?この時間目覚ましだって鳴んなくない?」
「昨日、」
「うん」
「珍しく定時上がり出来たからマッサージ行ってきて、」
「うんうん」
「今までの人生で一番体が軽い」
「それまーじーでやばくない?マジ最高じゃん?」
「こんなに目覚めの良い朝がくるなんて思わなかった……俺の人生にも清々しいなんて日が訪れるんだな……」
「何、独歩死ぬの?」
「そうか……俺死ぬのか……」
「つーかー!だからって俺っちの飯食ってねーのはフツーに泣けるんだけどー!」
「あ、悪い!ほんとに、とにかく眠くて……」
眉を下げれば、一二三が冗談だって!とニッと笑った。俺っち今日休みだから朝飯一緒に食おうぜ、とキッチンに立つ一二三に頷いてから座る。
こんなに別人の体みたいになるのか、と軽く伸びをする。また機会があるならやってもらいたいけど、名字さんの出勤、いつなんだろうか……。
「なぁ独歩ー、マッサージって男ー?女ー?」
「女の人、男もいたけどお前は行けないと思うぞ?」
「マージかー!独歩がそんなんなるって人見てみたかったー!スーツで受けてる人いないんかなマッサージ!」
「無理だろ」
チェー、なんて言いながらご飯を準備をする一二三に苦笑する。
……今度は、ちゃんと予約を取ってから行ってみよう。
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