燈台



「お待ちください!」

白い羽織に燃えるような炎の意匠。草履を履き、早々に旅立とうとする彼の背中を呼び止めた。

「どうした紫亞!」

勢いよく振り返る彼にずいっと髪紐を差し出す。反対の手には櫛を持ち、構える私にああ、と思い出したように声を上げると、手が届くようにと座り込んだ。

「これは私の大事な髪紐ですので、無事帰還して返してくださいますよう」

「いつも思うのだが、大事なものならば君が持っていればいいだろう」

少し癖がかった焔色の髪を掬い上げ、丁寧にとかしていく。穏やかだった。今から彼は四十人以上もの人が行方不明になったという汽車に赴くというのに。

「それでは願掛けにならないでしょう」

杏寿郎様は強い。彼が帰ってこないことなどないと信じている。だが、無傷という訳にもいかないだろう。私は剣を振るうこともできないし、胡蝶様のように薬を調合することもできない。私に出来ることといえば、彼の身の回りの世話と無事を祈りながらこの屋敷の留守を守ることくらいだ。
髪を結び、終わりましたよと声をかけると、髪と同じ色をした瞳と目が合った。

「それもそうだな!了解した!必ず生還し、君に返そう」

「はい、約束ですよ」

「うむ!では行ってくる!」

彼が太陽のような明るさで笑う。私もそれに応えようと、精一杯の笑顔で見送ろうと思った。

「行ってらっしゃいませ!」




ーーーーー………



雀の鳴く声で、はっと顔を上げる。

しばらくの間、私は玄関先で座り込んでいた。杏寿郎様を送り出したのが、先刻のように鮮やかに光景が思い出される。行ってくると明るい声がいつまでも耳の奥に響いていた。

「そうだわ、薬を」

草履を履き、引戸に手を掛けてやめた。杏寿郎様が帰ってくる前に、切らした塗り薬を蝶屋敷にもらいに行く手筈だった。炎柱になってからは擦り傷ひとつなく帰ってくることの方が多かったが、毎回ではない。
鬼殺隊に入隊してまもなくして赴いた任務で、鼓膜を破ったと両耳から血を流し帰った時は肝が冷えた。私が口に手を当て、真っ青にしているのに彼はいつものように平気だ!と意気揚々に笑うのだ。それから数週間も音沙汰がないと思えば、藤の家に厄介になっていたこともあった。隊士であれば傷のひとつやふたつは当たり前のことで彼もそれは例外ではなく、何も疑問に思うことなどない。だが、私は煉獄家の給仕で一般人だ。それに杏寿郎様のことならなおのこと心配する。
数週間ぶりに任務から帰ってきた彼の顔を見た時は安堵と張り詰めた緊張が切れた反動でついに泣いてしまった。さすがに彼もあの時は罰の悪そうな顔をしていた。それから彼は藤の家に寄る前に鎹鴉を飛ばして無事を知らせてくれるようになったのだ。


だから、今回もそうだと思った。

行き場のなくなった右手は引き戸を離れ、だらんと滑り落ちた。私はゆっくりと踵を返すと、草履も揃えず屋敷の敷居を跨ぐ。

(…朝餉の準備がまだだったわ)

そうだ、台所に戻って米を炊かなければいけない時間だ。それからお味噌汁と魚を焼いて…町にも買い物に行かなければいけない。今日はうんと豪華な夕餉にしなくては。それから掃き掃除と洗濯物を干して、
私の頭の中では目まぐるしく今日の日程が立てられていく。忙しなく体を動かしていれば、何も考えずに済んだ。

(私が杏寿郎様の不在の間、この屋敷を守らなければ)

彼が帰ってくるまで。



洗濯物を干し終え、買い物に出かける頃には日は西に傾き、人も疎らになっていた。
この季節には日も短くなり、あっという間に当たりは暗闇に包まれてしまうだろう。あまり遅いと杏寿郎様に叱られてしまうと彼の顔が頭を過り、ふと足を止めた。

何気なしに視線を横へと向けると、眩い光を放つ簪や髪留めが目に入る。女性物の小物を扱う出店だった。それらを一見していると、隅にひっそりと置かれた髪紐を見つけた。ひとつ手に取り、明かりに透かすと藍色の生地がきらきらと煌めく。それはまるで星空を編んだようだった。


" これがいいだろう。君の瞳と同じ色をしている "

ーーーあれは杏寿郎様が鬼殺隊に入って初めての非番の日だった。初任給が出たからと、突拍子なく町に行こう!と声をかけられ、沸騰しかけた鍋にも気が付かないほどに圧倒されていた。

「吹きこぼれているぞ」

「えっ、…ああ!味噌汁が!」

「朝から慌ただしいな!君は」

慌ただしくしたのは杏寿郎様です。と言えるはずもなく、火を止め彼へと向き直す。

「何か入り用のものでしたら、私が買い物のついでに買ってきます」

「いや、俺も一緒でなければ意味がない」

「…?そうですか」

「ああ、朝餉が終わったらすぐに出発だ!」

嬉しそうに笑う彼に、なんだか心臓が大きく波打って咄嗟に顔を逸らしてしまう。
当然朝餉もろくに喉を通らず、気づくと約束の時間になっていた。

「今日は賑わっているな」

何かの催しでもあるのだろうか。言われてみれば人通りも多く、いつもより賑わっていた。珍しく屋台も出ている。物珍し気にきょろきょろと周りを見渡しながらも、杏寿郎様を見失わないようにと視線は何度も彼の背中に戻る。

ただ、陽の光を反射して煌めく簪たちに目を奪われ、歩みを止めてしまった。

「気になるのか?」

足元に降りてきた影に振り返ると、彼がすぐ後ろで仁王立ちしていた。

「何がほしい?ひとつ君にやろう」

「い、いえ、そんな、杏寿郎様に買っていただくなんて」

屋台に近づき、しゃがみこむ彼に手を振り断ろうとするが、手を引かれ仕方なく隣に腰を下ろした。
色とりどりの装飾を施された簪や髪留めを間近で見てしまうと、やはりまじまじと見てしまう。

「何かほしい?」

爛々とした彼の瞳と目が合う。真っ直ぐに見つめられ一瞬たじろいでから、いいえともう一度応えた。

「いつも世話になっている君に贈りたい」

そこまで言われてしまったら断れなくなってしまう。私が押し黙っていると、ほら、と杏寿郎様が私に先を促した。
どれにしようか、たっぷり数十秒かけて端から端まで見渡すと、隅の方で控えめに並ぶ髪紐を見つけた。簪もいいが、彼から貰えるならいつも身につけられる物がいいと思った。

「これがいいです」

簪じゃなくていいのか、と問う彼にこれがいいともう一度答える。

「何色がいい?」

「杏寿郎様が選んでくださいませんか」

烏滸がましいとは思ったが、せっかく一緒に来たのだから彼が選んだものがいい。七色に規律良く並べられた髪紐を、うーんと顎に手を当て真面目に考えてくれている彼が、どうしようもなく愛おしく感じた。

「これがいいだろう」

その中のひとつを取り私に差し出した。藍色のそれはどんな豪華な簪よりも特別に思えた。





「お嬢さん、買わないなら片付けちゃうよ」

不機嫌そうな男性の声で意識が戻される。随分と長居をしてしまったようだ。彼は腕を組み、人差し指を小刻みに二の腕に叩きつけている。相当苛立っているようだ。すみません、と髪紐を元の場所に戻し、そそくさとその場を後にした。

早歩きで少し進んだところで、息を小さく吐く。これでは屋敷にいても外に出ても同じだ。至る所に彼との思い出が散らばっている気がした。
気づけば日はとっくに暮れ、辺りは暗闇に包まれていた。



201108