蜉蝣



唄杜家は代々煉獄家に仕えることがしきたりだ。どうやら昔、鬼に襲われた先祖を煉獄家の者に救われてから恩義に報いようとした結果らしい。唄杜家の女児は物心が着く頃には給仕の何たるかを叩きつけられ、十歳を迎えると煉獄家の女中となる。
私が煉獄家へと迎えられた時、奥方の瑠火様は病気のため床に伏していることが大半だった。炎柱であった槇寿郎様は私の事には興味がないようで、我関せずといった様子であり、幼かった私は不安と心細さで押しつぶされそうだったのを今でも覚えている。
煉獄家には二人のご子息がいる。槇寿郎様の態度が引っかかっていた私はお二人に会うのがとても怖かった。

「君が新しいお手伝いさんか!よろしく頼む!」

だから太陽のような明るい笑顔を見た時は呆気に取られてしまった。

聞けば、杏寿郎様は私と歳が近いらしい。年頃の子どもが草花で冠を作ったり、お手玉で遊んでいた頃、私は米の炊き方や風呂の沸かし方を習っていた。その為、友人の一人も作る暇はなく、杏寿郎様との出会いは日陰に射す一筋の光のようだった。

「これは弟の千寿郎だ!仲良くしてやってくれ!」

杏寿郎様がほら、と視線を自身の腰に向ける。彼の背中に隠れるようにして、同じ顔をした男の子が遠慮がちにこちらを見ていた。
瓜二つと言っても、千寿郎様の眉は下がり、自信なさげな表情をしている。視線は私と地面を往復したかと思えば、杏寿郎様の後ろに引っ込んでいった。
私もその様子にどうしたものかと数秒まごつくが、彼の視線に合わせるようにしゃがみこみ、なるだけ優しく声をかける。

「今日から御屋敷の女中を勤めさせていただきます。唄杜紫亞と申します。精一杯がんばりますので、どうぞ、」

よろしくお願いいたします。と言いかけたところで堅いな!と杏寿郎様に笑顔で一喝された。へ?と間抜けな顔をして固まっていると、前方で控えめな笑い声が聞こえる。
そこには先程とは打って変わって顔を綻ばせ笑い声を上げる千寿郎様がいた。




「紫亞さん」

名前を呼ばれ、声の方へと視線を上げる。座卓を挟んで控えめに私の顔色を伺う千寿郎様と目が合った。何ヶ月も会っていなかった彼は記憶の中よりもだいぶ大人びており、やはり杏寿郎様に酷似している。だが、昔から変わらない気弱そうな雰囲気が彼とは一線を引いている事をまざまざと語っていた。

「…先程兄の、葬式が終わりました」

千寿郎様の言葉にずん、と私の中で鉛が沈んでいくような感覚がした。よく見ると彼の大きな瞳の下には泣き腫らした跡がある事に気づく。杏寿郎様の訃報が届いてから三日が経とうとしていた。

「本当は紫亞さんも出席する手筈だったのですが、父が…」

「いいえ、構いません。わざわざ教えてくださり、ありがとうございます」

葬式が近々執り行われることはわかっていた。彼の遺体を確認することなど出来たはずだったがしなかったのは私だ。不人情だと罵倒されても当然なのに、千寿郎様はこうして私にご一報くださる。性格は杏寿郎様とは正反対だが、心優しいところはよく似ている。

「それと、紫亞さんが大事にされていた髪紐ですが、兄の遺品を探してもどこにもないのです」

私が初めて杏寿郎様に買っていただいた髪紐の事を千寿郎様も知っていた。願掛けと称して、よく彼の髪を結っていたのを見られ、微笑ましいと言われたのは記憶に新しい。

「そう、ですか」

それからぽつりぽつりと話す彼の言葉を、どこか遠くで聞いているように感じた。
膝の上で揃えていた手の指先が冷たい。冷気を帯びた風が頬を撫で、誘われるように庭へと視線を向ける。



杏寿郎様がよく腰を下ろしていた縁側に、今は亡き彼の姿を思い出していた。


ーーー杏寿郎様が炎柱に就任されて日も浅い頃の話だ。
私はいつもように暗くなる前にと、せっせと洗濯物を取り込み、夕餉は何にしようかと献立を考えていた。何せ今日は久しぶりに杏寿郎様と一緒にいられる。彼が炎柱になってからというもの、屋敷に帰ることはめっきり減ってしまっていた。どうせなら彼の好きなものを用意したい。さつまいもが取れる時期だし、米と一緒に炊こうかと思案を巡らせ、私は浮き足立っていた。彼の隊服のシャツや敷布団を両手いっぱいに抱えて縁側に下ろす。そこで杏寿郎様が縁側で腕を組み柱に寄りかかって寝入っている姿を見つけた。

彼がこんなところで寝てしまうなんて珍しい。日が出ているとはいえ、隊服のみでは肌寒い季節だ。風邪を引いてしまったらいけないと、先程取り込んだ膝掛けを洗濯の山から引っ張り出し、起こさないようにそっと掛けてやる。

その過程で彼の顔を盗み見た。いつもの精悍な瞳は閉じられ、僅かに寝息が聞こえくる。こんなに近距離でまじまじと彼を見たのは初めてだった。今回の任務は相当激務だったらしい。頬には微かな擦り傷が残っている。隊服で隠れているが、きっと身体中傷だらけなのだろう。そう思うと、私は胸が締め付けられるようだった。

杏寿郎様は強い。
その強さとは柱という名に恥じない実力はさることながら、弱き者を守るという確固たる意思だ。だが、私は彼の揺るぎない信念が怖い。まるで、それは激しく燃える炎の如く、彼の命をも燃やしつくし悄然と消えてしまいそうな危うさを孕んでいる。

もう一度、杏寿郎様の寝顔を見遣る。この幸福な時間がとても愛おしく、同時に儚くも感じた。彼との時間を大切に紡いでいきたいと思った。

(そうだ、私ずっと前から杏寿郎様を)

無意識に彼に掛けていた膝掛けの裾を強く握りしめる。

「…お慕いしております」

自分が発した言葉にはっとした。小さな声だったが、それはずっと私の中に反響しているようだった。

(何を言ってるのかしら、私…)

恥ずかしさからか誰に誤魔化すでもなく小さく笑みをこぼす。それと同時に顔を上げると、臙脂色の瞳と目が合った。

「………、え?」

声を上げるのにたっぷり三秒かかった。ぱちぱちと数回瞬きを繰り返す。彼は無表情のまま私をじっと見つめている。

「きょ、杏寿郎様、い、いつから」

「ああ、先刻」

先刻とはいつのことだろう。私の独り言は聞いてしまったのだろうか。いや、もしかしたら聞いていないのかも。
頭の中では花占いの如く、その二択がぐるぐると回り沸騰しそうだった。だんだんと顔に熱も集まり、外にいるのに体が熱い。

「あ!えーと、そうでした。洗濯物を畳まないと」

「紫亞」

「あと、これから買い物に行ってまいりますので!今日は杏寿郎様の大好きなさつまいもの料理をお作りしますね!」

いつもより饒舌になる私とは反対に、彼は落ち着いた声で私の名前を呼んだ。私はというと静止の声も構わずに立ち上がり、洗濯物へと手を伸ばす。だが、それは叶わず腕は彼に捕らえられてしまった。

「もう一度、言ってくれないか」

何を、と聞かなくてもそれは明白だった。彼は迷うことなく私の目を見て問いかける。その意志を持った揺るぎない瞳に見つめられると、全てが見透かされそうで怖かった。掴まれた手首が熱を持ったように熱い。どくどくと脈打つ心臓が杏寿郎様に聞こえてしまっていないかと、そればかりが気になってしまっていた。

「何も、」

杏寿郎様の顔を真っ直ぐに見れず、視線は掴まれた腕と縁側の木目を往復する。

「何も言っておりません。寝ぼけていらっしゃるのですか?」

浅く空気を吸い込んで、息を止めた。少しの沈黙の跡、彼が小さく息を吐くのが聞こえる。

「…そうか」

彼はそう言うと、掴んでいた手をあっさりと放す。私はすぐさま洗濯物を抱えて足早にその場を後にした。

最後に聞いた彼の声音が、落胆していたようだったなんて都合のいい事を考えながら。



201113