" 初任務 " にしては惨いものだと思った。
忘れるはずがない。戦争というものをまざまざと見せ付けられた。油と血生臭さが混ざったような匂い、咽び泣く声、今でも脳裏にちらつく光景、その中で彼女と腕の中の死に逝く男だけがぼうっと色が付いたように浮き彫りに見えた。
それほどまでに彼女の存在は衝撃的なものだった。


眠らない森




ラビが教団に入って日もたたない頃だ。さっそく任務に出てくれないかと室長に呼ばれ、ラビとブックマンと探索部隊、医療部隊数名で任務先に赴くこととなった。任務はそんな難しいものではなく、戦闘を終えたチームの救助および教団への搬送とのことだった。徒もあれば、早い方がいいと準備そこそこに出発した。

現地に着いたころにはすでに日が西に傾き、樹海は闇に包まれていた。鬱蒼と茂る雑木は影を落としたように黒く姿を変え、侵入者を拒むように不気味に囁く。風に乗って匂う死臭に、思わず顔を顰めた。もはや、 手遅れか。と誰もが思っただろう。それほどこの地は静謐であった。それでも救助を要請したということは生存者がいるはずだと足を踏み入れる。木々には刃物の切り傷や銃痕が生々しく刻まれ、この地点で激戦が行われたことを語っている。四方に血だと思われる液体やエクソシスト、探索部隊の死体あるいは肉塊、壊落したアクマ、鉄屑、 鉄塊、様々なものが折り重なり、散乱し、それは正しく地獄絵図と重なった。 何が、簡単な任務だ。とラビは内心悪態を吐く。誰もがこの惨事に絶句している中、やっと口を開いたのはブックマンだった。

「灯りを寄越せ」

探索部隊の一人がはっとして灯りを手渡す。直ぐ様それを下方に向けるとてらてらと光る赤が見えた。まだ乾いていないであろう血痕。それは森の奥に点々と続いている。彼らは血痕のある方へ足を速めた。自分たちの足音に混じって赤子のような嗚咽が聞こえた。 いくつもの雑木、いくつもの惨状を駆け抜ける。その先にそれはいた。

三人、いや四人か。抱き合う団服の男女が一組。彼らを囲むように、右側に顔を伏せる探索部隊の男が一人、左側に泣き崩れる団服の少年が一人。抱き合う二人は恋人だろうか。それにしては些か年が離れているように見えた。女性というよりは少女といった方が当てはまるだろう。彼女は頭の出血かもしくは返り血なのか元の色が分からない程赤黒く染まっていた。顔は髪が影になり伺うことは出来ない。だが意識があるらしく、最も危険な状態であるのは支えられるようにして抱き抱えられた男の方だということは火を見るより明らかだった。腕は力無く垂れ下がり、腹からは夥しい量の血がどくどくと止まることを知らない。ラビが直ぐ様手当てをと踏み出す足をブックマンが制した。そして小さく告げる、もう手遅れだ、と。

少女が血に濡れた両手で男の頬を包む。そして自分の額と男の額とを合わせると呟いた。

「もう、帰れるよ」

少女にしては落ち着いた声音だった。囁く程度の声量にも関わらず、それは凛と通り、ラビの耳にも届く。その声に答えるように、男の喉からひゅーひゅーと空気の抜ける音がした。

「エドガー」

泣き崩れていた少年の嗚咽が酷くなる傍ら、彼女が男のものであろう名前を呼ぶ。慈しむように紡いだ音は彼らの関係が深いものであることを示唆していた。彼女は自分の頬が血で汚れるのも厭わず、男の頬に擦り寄る。獣染みた行為は彼らに異様に写った。

「家に、帰ろう」

エドガー、エドガー、優しく響く音はこの樹海に似合わず、子をあやす子守唄に等しい。頬を撫でる手は綿を包むように深切であった。その所行は男が息を引き取るまで続いた。男が屍になって尚、彼女が彼を離す気配はなかった。だが、冷たくなるだけの男を引き取りに係る探索部隊に彼女はすんなりと男を明け渡した。その時の彼女の瞳は先ほどの声を発したと思えぬほどに、どこまでも虚無を写していた。


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