目を瞑ると視覚以外の感覚が敏感になる。触感で空気の流れを読み、嗅覚で木々や土の匂いを感じ、聴覚で鳥の羽ばたき、虫の声を聞く。息を潜め、全ての感覚を研ぎ澄ます。そして、己の刀を振りかざした。ザッと風を断ち切る瞬間は何度やっても気持ちがいい。教団の門の外にある森というには小さく、雑木林というには背の高い木が多いここで神田は鍛練に励んでいた。天を仰ぐ。気付けば太陽が真上にあることに、時間が経つのは早いと少々驚いた。そろそろ戻ろうかと、愛刀を鞘に収める。汗を払うように頭を数回振ると、雫が日を浴びて煌めいた。

教団の帰路についていたときである。神田は大木の陰で風に揺れる見知った銀色を見つけた。彼女がここに来るなんて珍しい。いつもは通り過ぎるところだが、今日は興味半分彼女に近づいた。

「おい、」

後ろから声を掛けると、あ、神田、なんて間抜けな声で返される。おまえ、何やってんだと続けようとしたところで、彼女の膝の上で丸くなる塊を見つけ、ギョっと目を見開いた。

「そいつは…」

神田が驚くのも仕方なかった。彼女の膝の上ですやすやと規則正しい寝息を立てるそれは、イノセンス適合実験で咎落ちせずに成功した例外の少年であった。今は実用化の為にアクマ討伐任務に行かせていると聞いた。仮に暴走したとしても、対応できるようにエクソシストを二名付けさせ、その一人にレティが選ばれ、もう一人はこの前の任務で殉職したという。任務以外ではとある部屋に幽閉されているそれは、本来は連れ出してはいけないものである。いくらレティであろうと、大事になったらどうするつもりだ、と神田は顔を険しくさせた。だが、彼の心情などお構い無しに彼女は暢気に告げる。

「疲れちゃったみたい」

彼女との温度差の違いに、ふつふつと頭に血が上って行くのがわかった。数ヶ月間任務を供にしてきて情でも湧いたか。そういえば、よく少年をあの子に似てると言っていた気がする。" あの子 " が誰を指すのかは知らないが、そんなこと今はどうでもいいことだ。それより目の前のそれをどうにかすることが先だと鬼の形相で怒鳴った。

「聞きたいことはそんなことじゃねぇ!」

穏やかな午後に響く怒号に、今までレティの膝の上にいた塊がびくりと跳ねる。それは素早く起き上がると、大きな瞳でキョロキョロと周りを見渡した。その双眸が不機嫌オーラ全開の神田を捉えると、ヒッと小さく悲鳴を上げて彼女の背中にくるりと周り、身を小さくする。怯えるルイスの様子を見て、彼女が大きく溜息を吐くのがわかった。

「……レティ…」

ルイスがレティの服の裾を引っ張り、小声で彼女の名前を呼ぶ。への字に下がった眉の下の大きな瞳は、いち早く神田から離れたいと言いたげに揺れている。彼女はルイスの様子に困ったように微笑んで、少し考える素振りをすると、彼のブランドの癖毛を優しく撫でた。

「そろそろ戻ろっか」

立ち上がり、スカートの埃を叩くとレティはルイスに手を差し伸べる。彼はおずおずとその手を取ると、彼女に従って立ち上がった。その様子を神田は保護者かよ、と呆れた目で腕を組み眺めていると、不意に彼女が振り向き、悪戯っぽく人差し指を口元に寄せて笑った。

「誰にもチクらねぇよ」

誰にでもなく呟いた声は彼女には聞こえていないだろう。それでも神田がこの事を口外しないと彼女はわかっているのだ。


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