酒場の常連さん




なんでこうなったんだろう。何度か思ったことがあった。



「娘、酒を頼む」
「はいはーい」


5年前、私はいつの間にかここにいた。目の前は真っ青な海で、内陸部に住んでいた私は動揺した。
でも私はこの場所を知っている。
−−偉大なる航海路−−その名前を何度か耳にしたことがあった。それは前に住んでいた土地のコンビニエンスストアのレジの前に置いてあった、漫画。
ONE PIECE。超有名冒険少年漫画。主人公のルフィがいろいろな問題を持つ人を仲間にして旅をする漫画だ。主人公の目標は、海賊王に俺はなる! だ。アニメもやっていたし、私も概要は知っていた。
その事実を知ったときから、立ったまま消えることを知らない死亡フラグに恐怖しながら生きてきた。ここは海賊が大量にうじゃうじゃといる世界。何が起こってもおかしくない。私が死んだっておかしくない。それが怖かった。だから、死にたくない私はどうにかして職を手に入れて海賊と極力かかわらないようにしようと思った。でも、今はこうして接客する相手になってるんだけど……。


「この酒はなんていう酒だ?」
「それですか? これは泡盛ですね」
「泡盛か……。他にこの酒はあるか? ぜひ買っていきたい」
「はい、ありますよ。ちょっと待ってください」


3年。3年間、私は海賊と無縁な生活をしてきた。でも働いていた診療所を畳むと院長さんが言い出したので私は海を超えてわざわざ新しい土地へやってきた。3年間貯めに貯めたお金を使って最初は静かに暮らそうと思ったけれど、考えが変わって今じゃ酒場を構えている。この世界に私がいたという証拠を形として残したいと思ったから、店も1から建てた。ご近所さんにたくさん手伝ってもらって完成したこの酒場は私の一番大切なものだ。

「はい。どうぞ」

案外、海賊と関わるのも悪くない。

「ああ。礼を言う」
「いえいえ」

きっと剣士であろう常連客の男性の背中が見える。お辞儀をして、また顔を上げると男性はまだいた。どうかしたのだろうか。

「娘、名前は?」
「……私の名前ですか?」

背を向けたまま私に投げかけてきた言葉は、名前なに? なんで今更こんな質問をするのか少し気になった。

「フランです」
「そうか。我が名はミホーク」

ミホークさん。多分常連さんの名前は忘れないとは思うけど、忘れないために頭の中で反復する。
きっと覚えた、と思って前を見るとすでにその姿はない。
酒場から飛び出して大声で叫ぶ。


「ミホークさあああん! またのご来店お待ちしてまあああす!」


その姿を捉えると彼−−ミホークさんは左手を上げた。

うん。やっぱり海賊と関わるのも悪くない。


(でも原作で出てくる海賊は関わりたくないな)

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