僕を殺すだけの
簡単なカルマ
きっとばれてるの続き



 なんとなく、僕が近づく度に顔を赤くして体を強張らせる彼女が可愛いな、だなんて、切欠はそんな些細なものだった。いかにも男慣れしていなさそうなうぶな彼女の純情を、僕の気分で弄ぶことに一切の罪悪感がないと言えばそれは嘘になるけれど、「意外とパーソナルスペース狭いんですね」だなんて突飛なことを言って羞恥心をごまかす彼女は、やはり少し可愛くて。生前に女友達がいなかったわけではないし、英霊として召し上げられカルデアに召喚されて、彼女のサーヴァントとして戦線を駆け抜ける「友人」になった後、他の女性サーヴァントやスタッフと接しないわけでもなかったけれど、彼女はその中でもあまりいないタイプの女の子だったからつい、……つい、いたずら心が芽生えてしまったのだ。
 自分で見ても到底「男らしい」とは言えない見目をした僕が、何の気なしに詰めた距離感に、どきどきと胸を逸らせて「心臓に悪い」だなんて言ってみせる彼女。間を開けようと頑張って後退りしては、肩を壁にぶつけそうになったりなんかして、それがどうにも可愛らしくて、――当人には悪いけれど――少し面白かった。
 本人から「心臓に悪いからもう少し離れてほしい」と言われてしまった以上、――いくら無意識だったとはいえ――あまり距離を詰めるのも彼女に悪いな、と少し気にしてなるたけ距離を開けるようにはしてみたものの、今度は急に近づいたらどうなるんだろうなどと厄介な好奇心が顔を擡げてしまった。普段であればそんな好奇心は気にも止めず、近づいたらどうなるかだなんて気にしてそれを確かめている場合じゃない、と押し殺してしまうのだけれど、自分でも不思議なことに――……本当に不思議なことに、逸る好奇心を抑えきれず、時折また以前のように、否、以前より近づいて彼女の反応を見る、タチの悪い悪辣ないたずらをするようになって。
 嫌われてしまうかな、と思わなくもなかったのだけれど、と先ほどから頬を火照らせて俯いているマスターをちらりと見やる。
 倉庫かあるいは図書館か。資料と書類とを詰め込んだ段ボール箱を運ぶ彼女に、手助けの大義名分で近づいてから数分間、肩が触れるくらいの距離感に大いに戸惑って、僕の期待通りの表情を見せてくれたマスターは、代車を避けさせて以降ウンウンと唸りながら熱くなった顔を見られまいとしてかずっと俯いたままになっていた。
「下ばっかり見てるとまた誰かにぶつかりそうになるかもしれないよ」
 と注意したのだけれど「う、うん。そうだよね」と返ってきただけで、特に改める兆しはない。流石に純情を弄び過ぎたのかな、と唸る彼女を横目に僕も少し反省する。こんな状況下で惚れた腫れたの色恋沙汰に興じている暇はない、とはいえ彼女はうら若きピュアな乙女だ。頭でそれをわかっていても心がその通りに動くとは限らない。あまり距離を詰めて接するのは心臓は愚か精神衛生上よくなかったのかもしれなかった。無論、彼女が僕をそういう風に意識しているかどうかは定かでないけれど、一瞬どきりとするとか、なんだか照れ臭くなるだとか、そういったことはまあ、なきにしもあらず、十分あり得ることなのだし。
 これからはもっとちゃんとした、程々の距離感で接した方が良いのかも、いやきっとそうだ、今までのがやはりおかしかったのだ、とプチ反省会を締めくくり、不意打ちで距離を詰めて、彼女の頬がぽっと色づくのを見ては「可愛いなぁ」と浮かれたことを考えるのはもうやめにしようと心に決めたのが数日前のこと。

 そして燕青とロビンと、それにマシュを交えて談笑する彼女を見たのが、つい先ほどのことである。

 彼女たちが何を話しているのか、わざわざ神経を尖らせて小耳に挟む、、、、、ほど野暮な性格でもない。ただにこにこと楽しげに笑い合いながら、何やら愉快そうに肩を揺らす彼らをちら、と視界の隅に認めた、ただそれだけのことである。ロビンが少し呆れたような笑みを刷きながら何か言う。するとマシュがきりりとした顔で返して、マスターがそれに対してからりと肩を揺らし、ぷくりと可愛らしく頬を膨らませた彼女に何か言って、――
「あっ」
 とつい小さな叫び声が漏れた。「どうしたんです」と不思議そうに目を瞬かせたアルジュナに「ううん、何でもない」ちょっと忘れてたものを思い出しただけだと笑って誤魔化しながら、先ほどの光景を脳裏で再生する。
 マシュに対し一言か二言ほど言葉を投げかけたマスターは、やはりにこやかに笑っていた。そこまでは別に何の事件性もない、至って平和な日常の一幕であったのだが、問題は――と特筆するほどの問題でもないかもしれないが――そのあとの燕青が、呵々と笑いながら彼女の頭を撫でたところにある。撫でると言うよりも髪を乱すと言った方が相応しいだろうか。わしゃわしゃとまるで犬の頭を撫でるかのように、少し大雑把に撫ぜて、自ら乱した髪を再び綺麗に整えてやって。一部始終を見ていた他の二人は――少なくともマシュの方は一瞬固まっていたように思われる。ロビンも呆れるような困り果てるような曖昧な顔をして、彼らに少しの言葉を掛けていた。僕も多分、ほんの一瞬だけ驚いて固まってしまうかもしれない。わざと近づいて照れた顔を見る、だなんて悪行を為しておきながら何を、という話ではあるけれど、僕には到底、彼女の頭をあんな風に撫でることなどできそうになかったから。
 もしやったら、彼女がどんな顔を見せてくれるか気になるところではあるけれど、と数パターン考えて、燕青に髪を触られた彼女の顔を今一度窺ってみる。

 彼女は眉尻を垂らしてこそいれど、果たして困った様子もなく、頬が赤らむ気配さえ見せていなかった。乱した髪を元どおりに直してやる彼の手つきは、少し離れたところから見てもうっすらわかるほど丁重で優しいものだった。まるで宝物にでも触れるような、そんな雰囲気である。が、彼女は僕が不意に近づいた時のように恥ずかしがるそぶりを一切していない。近づかれるのは駄目だけれど、頭を撫でられるのは良い、と言うことだろうか、と考えてみるも少し手を伸ばせば触れられるような距離に至った段階で、彼女は気恥ずかしそうに手遊びしたり頬を薄ピンクに染めて落ち着かなさげにしたりするのが常である。
 ……と、ここである一つの閃きが降ってくる。荒唐無稽で、突拍子もない、何よりひどく自惚れた閃きだ。だがもし仮にそうだとしたら、と考えた途端、じわりとうなじのあたりが熱くなってぎゅう、と締め付けられるような息苦しさが胸を襲った。
『マスターが僕を、そういう風に意識しているとしたら』――つまり恋愛の相手として見ているとしたら、だなんて、本当にひどい自惚れだと思う。馬鹿げた空論に過ぎないと分かっていながら、とくり、と正直に跳ねる心音にひとつため息を吐いて。
 ――こんなことを真面目に考えて浮かれてしまうとは。「頭ではわかっていても、心がその通りに動くとは限らない」のは、彼女ではなく、僕の方じゃないか。
 彼女が特別可愛く見えたのも、そういう作用だったのかと考えると欠けていたパズルのピースを発見した後のようにあっさりと何もかもが腑に落ちて、それがまた少し悔しいような、と同時にすっきりしたような、そんな不可思議な気分になって目を伏せる。
 やっぱり彼女との距離を不用意に詰めるのはよした方が良さそうだ、こうなってくると僕も彼女に釣られかねない、とどこまでも単純な理由から僕は2回目のため息をこぼしたのであった。




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