つまらぬ愛ですが
旅路のお供に
 今日が誕生日だという彼のために用意した贈り物を渡すチャンスを、私はずっと窺っていた。直接彼から聞いたわけではない。彼と出逢ってしばらく経った頃、関係する文献を読んでいた際に11月23日が誕生日だとされている――との記述があったのを見て知ったのである。他にも9月17日と11月20日の説があるようだったけれど、第一に記述されていた今日に、彼へのプレゼントを渡すことにしたのだ。
 プレゼントと言ってもそんなに大したものではない。ごくごくささやかなものだ。気に入ってくれると良いのだけれど、と食堂の隅でロビンたちと話しているビリーを眺めながら半ば祈るような心地になる。サプライズをしたいと思ってリサーチするのを控えていたものだから、果たしてこれが彼の趣味に合うかどうか定かでないのだ。彼との付き合いは決して短くないはずだが、彼は未だに謎の多い人だった。

 ……と、ロビンがビリーに顔を寄せて何か話しかけたのが目に入る。何だろうと思って見ていると、不意にビリーがこちらを振り返り、ぱちんと音を立てて視線がかち合った。瞬間訳もなくどっと心臓の鼓動が跳ね上がって、何やらひどく気恥ずかしいような、じっと彼の様子を見つめていたのがまるで盗み見をしていたようで後ろめたいような気持ちになる。うなじにじっとりした汗をかきながら、なるたけ自然に視線を逸らしてみたけれども時すでに遅し、ビリーはぱっと席を立って真っ直ぐこちらに向かってくるところだった。
「どうしたの、マスター」
 僕に何か用事?とビリーが不思議そうな顔で話しかけてくる。

「さっきからずっと見てたってロビンが言ってたけど……どうかしたのかい?」
「うん、その……」

 ちょっと渡したいものがあって、と発した言葉は随分情けなく震え、緊張のあまり上擦っていた。所々変に裏返った声音に一層羞恥が増して、じわじわと顔が赤らんでいく。誕生日プレゼントを渡すだけだ。何も恥ずかしいことなどないはずなのに、ただ彼を祝福したいだけなのに、私は何故こんなにも恥ずかしがっているのだろう。
 勝手に誕生日を知って勝手に祝おうとしているエゴイズムが後ろめたいのか、一日中ずっとビリーの動向を目で追っていたのが当人に見つかって後ろめたいのか、それとももっと別な理由があって、妙に気まずく感じているのか、もはや自分でははっきりとしなかった。
 そしてビリーも、私の様子が平時と違うことに気付いたらしい。すぐにハッとした顔になって「場所変えようか」と柔らかく私の手を取り、食堂の出入り口に向けて踵を返す。私はそれを振り払うこともなく、うん、と浅く頷いて大人しく彼についていった。


「君の部屋でいい?」と言った彼に連れられて足を踏み入れた自分の部屋は、彼がいると言うだけで、今朝目にした時とは違っているように見えた。ビリーが私の部屋に来るのは初めてではないのに、今日は彼が部屋にいるのが随分不思議なことのように思われる。私はやはりひどく緊張しているらしかった。
「それで、渡したいものって?」
 ゆったりとベッドに腰を下ろした彼は、これ以上はないと言うほど優しい声色でそう尋ねた。うん、と私はまた頷いて――今日の私は「うん」しか言っていないように思われる――、やはり声を震わせながら、
「今日、誕生日だって知って、その、……プレゼントを、渡したくて」
「誕生日……」
 そういえばそうだっけ、と言わんばかりの表情だった。いまいち実感が湧かないといった様子の彼に一つ首肯を返して、気に入ってもらえると良いんだけど、とずっと隠し持っていた小箱をそっと差し出す。「本当に?いいの?」わずかに見開かれた双眸に「もちろん」と返して、受け取ってもらえたら嬉しいです、と付け加える。
 深い木目の模様がシックに映るウォルナットのケースが、私の手からビリーの手へと移される。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
 見てみて、と開封を促すと、彼はケースを膝の上へ置いてシックなゴールドのサテンリボンをするするとほどいた。見ているこちらがどきりとしてしまうような、慎重で優しい手つきで箱を掬い上げ、そうっと指をかける。木箱はカコンと小気味の良い音を立てながら、彼の指に従って上蓋を開いた。「指輪?」とビリーが感嘆を吐く。
「ん、ピンキーリングにしてみたんだけど、どうかな」
 箱の中身は極細のシルバーリングだ。あまり太かったり分厚かったりすると邪魔になると思って、なるたけ細く、そしてシンプルなものを選んでみた。奇をてらっていない分、万人受けしやすいと思うのだけれども、どうだろうか。恐る恐るビリーを窺ってみると、彼はちょうど手袋を外してリングをつけようとしているところだった。

 私はその時初めてビリーの手をまじまじと観察した。普段黒の革手袋に覆われている彼の手は、すっと透き通るように白く、手の甲にはうっすらと骨が浮かんでいる。大きさは私のそれと大差ないが、少し骨張った指の輪郭やカクカクとしてどこか直角的なその線は、彼が立派な男性であることを如実に示している。初めて間近に見る彼の手にことんと心臓が跳ねたのを強く自覚しながら、サイズが合うと良いんだけど、などと言って胸の鼓動を誤魔化した。

 ビリーは迷うことなく右手の小指にリングを嵌めた。抜けるように白い肌に、シルバーの光沢が艶やかに映えている。彼はこぶしを作ったり、手のひらを広げたりしながら指輪を眺めていたが、やがて、「ぴったりだ」と口にした。

「すごいね、マスター。どうやって調べたの?」
「ビリーくんと同じくらいの手のサイズの人に聞いて、それを参考に……。なるべく細めにしたから多分邪魔にはならないと思うんだけど、どうかな」
「へえ。何か言われなかった?」
「特には。でもちょっとにやにやされた」

 何もないのにね、と手袋を嵌めるビリーを見つめながら言うと、ややあって「そうだね」と答えが返ってくる。グローブを嵌めてしまうと、小指にあるはずのリングはその隆起さえ見せなくなって、完全にその存在を隠してしまった。目立ちにくさの点では大成功と言える。ビリーはまた手のひらを握ったり開いたりして、銃のグリップに手をかけた後、うん、と頷いて、大丈夫と口にした。
「全然平気だよ。……ありがと、マスター。大事にする」
 ふ、と穏やかな微笑み混じりに見つめられて一つ鼓動が跳ねる。今日は何だかどきどきしてばかりな気がする、そんなことを考えながらこちらも努めて穏やかな微笑を浮かべて「良かった」と口にした。
「そうしてくれたら、私も嬉しい」
 指輪をプレゼントする意味を知って、死んでしまいそうなほど恥ずかしい気分になるのは、もう少し後の話だった。




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