重なる



「な、な…」


ホーブルグ要塞、西の棟の薬や毒物の開発に携わっている私は、衛生兵ほどはないけれどそれなりに血を見慣れている方だと自負している。
兵が負った傷に合う薬を新たに開発したりもするし、この前なんかは拾った猫の傷口を治すためにひっそり私一人で作ったりもした。
その際、もちろん実験台が必要なわけで。
マウスだったりするのだが、最終的には人間に使ったりするので、やはり血には慣れている方だ。

しかし、しかしだ。

私は目の前で腕から血をダラダラ垂れ流し状態にしている彼を見て唇を振るわせた。


「何ですか、その傷…」


彼、ことブラックホークのヒュウガ少佐は縁あって、私が拾った猫の面倒を見てくれている。
面倒を見てもらう代わりに出された条件が『私が毎日ヒュウガ少佐のお部屋に猫のお世話をしにくること』だったのだが、ヒュウガ少佐は意外なことに、恐ろしい噂とは違って真面目に猫の面倒を見てくれているようだった。
私が、そんな彼の姿に魅かれていくのはとても早かったように思える。

軍で猫を飼うことなどもちろん禁止されていて、1つの秘密を2人で共有するということは少し胸を高鳴らせる。
と、今はそんなことどうでもいい。
今重要なのは、そんな私の想い人が戦地から帰ったという情報を耳にしたので、預かってもらっている猫と彼に会いにきたら、あろうことか彼が左腕から血を垂れ流しにしているという事実だ。
ヒュウガ少佐の自室の床には所々血が滴り落ちている。
なんてスプラッタだ。


「ちょっとミスっちゃった☆」

「そういう問題じゃないです!!」


どうして早急に衛生兵に処置してもらわなかったのか、私はそれを言っているのだ。


「ど、どれくらい血流したんですか??顔色悪いです、ちょっと、え、えっ、」


まさかあのヒュウガ少佐が血を流して帰って来るなんて思っても見なかった私がオロオロとしていると、彼は若干青いその顔で楽しそうに笑った。
え、今のこの状況のどこに笑うところがあるのだろうか。
脳に血が行き届かなくてついに噂通りにイかれ狂ったとか?!?!


「えっと、笑ってる場合じゃないです。血足りてます?」

「足りてる足りてる。だから手当てだけしてくれる?」


手当てされるのが嫌なわけじゃないのか、と疑問に思いながらも頷いた私の足に、預かってもらっていた猫が擦り寄ってきた。


「ネコも心配してると思いますよ。」

「絶対してないよ。オレが血だらけで帰ってきても近寄りもしなかったよ、このオスネコ。」

「そうですか??とりあえずネコは寝室の方へ隔離ですね。」


手当てしている時に邪魔されても困る。
私は一先ず彼をソファに座らせてから、ネコに「ごめんね」と謝りながらも寝室に隔離し、手をしっかりと洗ってから救急箱に手を伸ばした。

彼の右隣に座って彼の上着を脱がしにかかると、彼は「いやん、あだ名たんのエッチ♪」とほざき始めたがスルーだスルー。

上着を脱がし、今度は下のカッターシャツのボタンに手をかけていると、ヒュウガ少佐のニマニマとした目線に私はようやく気付いた。
なんだろう、この人のこの目、私がものすごくいやらしいことをしているような気分になってくる。

この人、この状況で自分のことなのに楽しんでる…。
痛くないのだろうか…。


「こっち見ないで下さい。そんなにジッと見られてたらやりにくいです…。」

「えー?じゃぁどこ見てたらいいの?」

「目瞑ってて下さると助かりますが。」

「それだとオレが面白くないんだけどなぁ♪」


やっぱり面白がっているのか。とため息を吐く。
それでもこれは決していやらしいことなんかではない。
手当てだ、手当て。と自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、思っていたよりも平然とボタンを外す事ができた。


「ヒュウガ少佐もなんか元気そうなので自分で脱ぐ努力してくださいよ。」


小言をつぶやきながらカッターシャツを剥ごうとすると、素晴らしき腹筋とご対面してしまった。
うぅ、彼が元気な上にヘンな目線を向けてくるからどうしても疚しい事をしている気分になってしまう。


「顔、赤いよ?」

「…気のせいです。」


断じて私たちは恋人同士ではないのに、この雰囲気は如何なものか。
私が勝手に想いを寄せているだけなのだ。

私の勘違いでなければ、彼も少なからずとも私のことを『嫌い』だとは思っていないと思う。
だからこそ、こういうシチュエーションは恥ずかしい。

全くの他人だったら『何馬鹿なこと言ってるんですか』と一蹴できるし、恋人同士だったら『だってヒュウガ少佐が茶化すからでしょう?』と更に顔を赤くしながら照れることだってできるのに。
この私たちの距離はどうしたらいいのかわからない。


ヒュウガ少佐の腕からカッターシャツを抜き取ると、二の腕付近に斬り傷を発見した。
出血の割にはそれほど深くはなさそうだ。
あまりにも深いようだったらお医者様を呼んで縫ってもらわなければと思っていたけれど、それも必要なさそうだ。

お風呂場まで連れて行き、流水で傷口を洗ったあとまたソファへ座りなおし、今度は消毒をする。
少しは痛がるかと思ったけれど、そんな様子がチラともない彼は痛覚が鈍いのだろうかと不思議に思ったが、さすがの彼も人間なので我慢しているのかもしれない。
そう思うと、少しだけ可愛く思えてしまった。

まだ血が出てくるので滅菌ガーゼを当てて包帯で巻いていく。


「どうして衛生兵に手当てさせなかったんですか?ばい菌が入ったらどうするつもりなんですか。」

「んー、帰ったらあだ名たんがネコの時みたいに手当てしてくれるかなって思って♪」

「そりゃ手当てくらいしますけど…、心臓に悪いです。」


軽く頬を膨らませて拗ねると、その頬を彼の長い指が突いた。


「びっくりさせてごめんね。」


全然『ごめんね』という表情じゃないのが気になるところだ。
だから何でそんなに嬉しそうなんですか貴方は。

半ば呆れながらため息混じりに包帯を巻き終わると、彼は「ありがとう」と笑みを浮かべた。
救急箱を直しながら「いいえ、どういたしまして」と返す。


「ねぇ、一つ聞いてもいいかな?」

「なんですか?」

「もしオレがあだ名たんにこうして傷の手当をしてほしくて、わざと怪我して帰ってきたとしたらどうする?」

「…え、わざと怪我してきたんですか?」

「例えばだよ。」

「例えば…そうですね…まぁ、その理由だと衛生兵に処置してもらわなかったことにも納得がいっちゃったりもしますが、もし本当にそうだったら怪我人だろうと構わずその頬っぺた叩きます。」

「え、叩いちゃうの?」

「自分の身体をなんだと思ってやがるんですか。って。」


私はそっと包帯の巻きついた彼の腕に触れて顔を伏せた。
そういうのは、絶対にしないでほしい。

軍人の貴方に、いつも無傷で帰ってきて欲しいとは言わないから。
むしろ『たまには怪我でもして大人しくしててくださいよ』くらいの軽口を叩かせるくらいいつも元気に帰ってきて欲しい。


「身体、大事にしてください…。」

「…ごめんね、そんな顔させたかったわけじゃないんだけど…。」


私の頬に手を添えて顔を上げさせられた。
困ったような、でもどこか嬉しそうな表情を浮かべている彼は不思議と満足気に見える。

彼が怪我をしているというのに、近いこの距離にドキドキしてしまっていると、ギギギと嫌な音が耳に届いた。
どうやらネコが『開けろー!!』と言わんばかりにドアを爪で引っ掻いているようだ。


「ドア開けてきますね。」


手当ても終わった事だし、扉を開けてあげるために腰を上げようとすると、彼に腕を掴まれて引き止められた。
まだ何か用事でもあるのだろうかと視線を彼に戻せば「もう少しこのままで居たいんだけど。」と告げられる。

それは、このまま2人きりでいたいと解釈してもいいのだろうか。
私の都合がいいように…思っちゃったりしても…


「あ、えっと……」

「嫌?」

「…イヤじゃ、ないです…」


今の私にはこの言葉を告げるだけで精一杯だった。
『むしろ嬉しいです。』と言えたら、私たちの関係は変わったりするのだろうかと、期待をしてしまっている胸の鼓動がうるさいくらいに鳴っている。


赤くなっているであろう顔を隠すように俯くと、私の腕を掴んでいた彼の腕が離れた。
と思えば、すぐに手を握られる。


あぁ、この胸の鼓動が、いっそのこと重なっているこの指先から彼に伝わってしまえばいいのに、なんて……

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