01
バルスブルグ帝国、第一区に栄えるこの街の片隅の片隅の片隅に、この店はある。
大通りから路地に入り込み、ちょっと進んだらさらに小道に入り、小さな赤い屋根でいつも昼寝をしている猫が視界に入ったらもう店は目の前だ。
路地にあるのにこの店だけは陽に当たっていて、店の中はほの温かく心地よい。
その上、大通りのように騒音が一切入らないから、私はつい転寝をしてしまう。
だからお客さんが来たら分かるように扉に鈴をつけた。
店番をしている私がちゃんと起きれるように。
あの人が来てもちゃんと起きれるように。
「ふぁ…」
店内には誰もいない。
だから大きく欠伸をしてのけた。
手で隠すこともせずに、だ。
お母さんに見られたらピシャリと怒られていただろうけれど、幸いなことに今ここにはいない。
だからもう一回欠伸をした。
「ものすごく日当たりがいいのが悪いんだわ…」
一体何のせいなのやら。
私はお客様の椅子に座ってカウンターに両腕を置いた。
寝る準備は整った。
あとはこの重たい頭を両腕に乗せるだけだ。
一生懸命『彼』を待とうと思うが、睡魔にはどうやら勝てないようだ。
私は誰も開けない扉を見つめながら睡魔が誘うままに腕に頭を乗せた。
辛うじて開いていた瞳も次第に落ちてくる。
「今日は来ないのかな…」
私はそっと瞳を閉じた。
『彼』こと、アヤナミさん。
別に恋人というわけではない。
そんな恋人だなんて甘い関係になれるとも思っていない。
ただ、私が勝手に一方的に想いを寄せているだけ。
私達の出会いはこの紅茶専門店である父親の店だった。
こじんまりと紅茶の店を開いているものの、こじんまりすぎてお客は少しの常連さんばかり。
そんな中、久しぶりに新しいお客さんがやってきたのだ。
銀髪の『彼』が。
端正な顔つきで軍服に軍帽がとってもお似合いの軍人さん。
「いらっしゃいませ。」
彼は適当に一番隅の日当たりの悪い席に座った。
せっかくだから日当たりのいい席に座ったらいいのにと思うけれど、お客様はそれぞれ。
彼はわざわざ日当たりの悪い席を選んだのだ。
そこが一番落ち着くのだろう。
余計なことは言わずに、水と一緒にメニュー表を差し出す。
水には少しのレモン汁を混ぜていて、あっさりと飲めるようにしている。
これは父のこだわりだ。
紅茶の店なのに水にこだわるなんて、と母はニコリと笑っていた。
私も笑った。
母も私もこの水が好きになった。
でも父がこだわっているのは水だけではない。
もちろん、メインである紅茶もその一つである。
彼はメニューを眺め見て、「アールグレイ」とだけ呟いた。
「かしこまりました。」
ペコリと頭を下げて承っていると、また扉が開いた。
あきらかにヤンキーそうな男の二人組みが入ってきた。
しかし見た目で判断してはいけない。
お客様は神様仏様マリア様なのだから。
「いらっしゃいませ。」
ニコリと微笑んでそのお客様にもメニュー表を差し出し、注文をとった。
適当に「紅茶二つ」と言われ、少しだけムッとした。
カウンターに戻ってテキパキと紅茶を淹れていく。
その手際の良さは父親直伝だ。
その父親は未だ家に忘れ物を取りに行ってから帰ってこない。
きっと母の紅茶でも飲んでいるんだろう。
私が一人で紅茶を淹れられるようになったし、お客もあまりこないし、と思っている父親は少しおっとりしている。
こんなことは頻繁だ。
もうすっかり慣れてしまった。
紅茶を淹れ、まずは銀髪の彼のところに持っていく。
ベルガモットの香りがするアールグレイを彼の前に置き、そのテーブルの隅に伝票も置いた。
次いで持って行くのはあのヤンキー二人組みだ。
ちょっとドキドキする。
もちろん悪い意味で。
こんな時いて欲しい時にいないなんて、父親も存外人でなしだ。
お客が来ないって思っていたんだろうから仕方ないけれど。
「お待たせいたしました、紅茶です。アールグレイになります。」
適当に茶葉を選んだ私は、カチャカチャとテーブルにカップを置いていく。
すると、右側に座っていた男が私の右手を掴んだ。
「ひゃ!な、何でしょう?!?!」
「ちょっとこれ温くねー?」
…は?
この人は何を言っているんだろうか。
温いはずがない。
紅茶は基本100度で淹れるし、その前にカップもポットも温めて置くから、温度は冷めにくい。
それにこの男はカップに手さえ触れていないのだ。
なのに温いとか……わかんないでしょう??
ついキョトンとしてしまった私の腕を思い切り引いて、男は私を膝の上に乗せた。
ジタバタと暴れて抜け出そうとするけれど、男の手は腰に回ってさらに抜け出せない。
「やめてくださいっ!」
「暴れたら熱い紅茶が零れちゃうよ?」
熱いってわかっていながら『温い』とか零れちゃうとか…
クレーマーなんてものじゃない。
警察だ、警察を呼べ!!
でも、せっかく淹れた紅茶が零れるのは嫌で、私はピタリと動きを止めた。
「…警察を呼びます。」
「いいけど。」
「ほんとにしますからね!」
って、まずこの男の腕から脱出しないと電話もなにもありゃしないじゃない!
あぁ、どうしよう。とオロオロしていると、今度は左腕を銀髪の彼に引っ張られていて、あっさりとヤンキーの腕から抜け出せた。
私はわたわたと銀髪の彼の後ろに隠れる。
「なんだお前。」
もちろん、ヤンキーは逆上だ。
「去れ。」
銀髪の彼がザイフォンを彼らの首元に押し付けると、ヤンキーたちはたちまち力の差を悟ったのか逃げていった。
もちろん、紅茶代は置いていっていない。
めずらしくお客さんが来たと思ったけれど、仕方ない。
むしろ助かった。
ホッとしている私を尻目に、銀髪の彼は先程の席に座って紅茶を飲み始めた。
いけない。
お礼を言わなくては。
「あ、あの。助けてくださってありがとうございました。」
「私に礼をいう必要はない。私の目障りだったから追い払ったまでだ。」
「でも実質、私は助かったので。だからお礼くらい言わせてください。ありがとうございました。」
銀髪の男はまた静かに紅茶を一口飲んだ。
「先程の文字、ザイフォンですよね??テレビでは見たことありますけれど、実際には始めてみました。お強いんですね。」
「…」
尊敬の目で彼を見ると思い切り目を逸らされた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「……アヤナミだ。」
「アヤナミさんと仰るんですね!私は名前です♪」
ニパッと笑えば、銀髪の彼、こと、アヤナミさんは飲み干したカップをソーサーに置いた。
「会計を。」
「はい!」
ピッタリのお金を貰い、レジに入れたときにはアヤナミさんは扉を開こうとしていた。
「アヤナミさん、本当にありがとうございました!またご贔屓に♪」
私の言葉に振り向くこともせず、アヤナミさんは店を出て行った。
アヤナミさんの背中が見えなくなるまで手を振っていたのを、私は今でも忘れない。
そして、彼の優しさを。
この出会いは
私にとって嵐のような出会い。
吹いていた風が一気に風向きを変えた、そんな出会い…。
―カラン―
「っ!!」
鈴の音で目が覚めた。
「また寝ていたのか。」
「まただなんて言わないで下さいよっ。」
うつ伏せから顔を上げると、『彼』の声がした。
夢の中でも『彼』。
現でも『彼』だなんて、今日の私はなんて贅沢なんだろうか。
緩む頬を制御しきれない。
「何をにやけている。」
「えへへ。いい夢をみたんですよー。」
「ほぅ。」
「知りたいですか?」
いつものように店の一番日当たりの悪い席に座った彼に、レモン風味の水を持っていきながら私はもったいぶったように含み笑いをする。
「焦らすほどの面白い夢だということか?」
「いーえ。違いますよ。アヤナミさんと出会った日を夢で見たんです。」
「つまらない夢だな。」
「つまらなくなんてないですよ。」
「つまらない。名前、今日はアッサムを。」
「はい♪」
本当につまらなくなんてないんです。
だってあの日、私は貴方に恋心を抱いたんですから。
大切な日。
大切な思い出の日。
「ちょっと待っててくださいね。」
年齢も分からないし、どの軍にいるのかもわからないアヤナミさんは謎だらけ。
でもわかることはいくつかある。
アヤナミさんは毎日くるときもあれば、一週間に一回、来ない時は一ヶ月に一回のこともあって、この店に来るペースは予測不可能だってこと。
予測不可能だって気付くくらい私と彼が出会ってから時間が経っているということ。
そして、私の好きな人は正義の味方だってこと。
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