01
太陽の日差しが暖かく、過ごしやすいこの気候のせいか、はたまたあの男のせいか。
小さく欠伸をかみ殺すと、目敏くもマリーカ様が顔を上げて笑った。
「あら名前、寝不足?」
「えぇ、遅くまで本を読んでいたもので。」
本当はあの男、ことヒュウガの『今どこでお仕事してるの?』というメールのせいだ。
私は何度も眠いから寝ると返信したのに、ヒュウガは全く聞く耳持たずといった様子でまた返信を返してくるものだから中々眠れなかったのだ。
午前様になった頃、最終的には私が『バカ!誰が教えるものですか!寝る!おやすみ!』と半ば無理矢理メールを終了させたわけだが、朝携帯を見ると『おはよ☆』とメールが来ていた。
あの男は女か。
小さくため息を吐いて『おはよう。』と律儀に返信した私も、ヒュウガに思考回廊を侵されているに違いない。
ヒュウガも遠征というものがあるらしく、その時ばかりはさすがにメールはこない。
毎日毎日メールがくるわけでもないけれど、意外と寂しがり屋なんだなぁと思えば、何だか可愛くも面倒臭くもあり、苦笑に落ち着いた。
「お肌に悪いわよ?」
「わかってはいるんですけれどね。」
夜更かしの問題は私ではなくヒュウガにあるのだから、私ではどうしようもない。
やっぱりあれだろうか、遠距離恋愛だからだろうか。
でもそんなことは付き合い始める前からわかっていたことじゃないか。
私はコンパニオンの依頼があれば東奔西走駆けずり回っているのだから、会いに行く暇なんてほとんどない。
お休みの日はもちろんあるけれど、第1区でない区にいる時は会いにいけるはずもなく。
第1区の時は会いに行けたりもするのだけれど、私が休みだからといってヒュウガも休みとは限らない。
前に一度『明日休みだから会えない?』とメールを打ったら『会える!仕事休みだよ☆』と返信が返ってきて翌日二人で会っていると、コナツから私の携帯に電話がかかってきて『少佐知りませんか??今日はなかなかサボりから戻ってこないのでもしかしてと思いまして…』という内容で。
あの時は『帰れ。』とヒュウガの背中を蹴った覚えがある。
『サボってまで会いに来て欲しくない』と言えば、ヒュウガはケロリと『オレが会いたかったの♪』なんて甘いセリフを吐いた。
今思い出しただけであの男は馬鹿だと思う。
ホント馬鹿だ、馬鹿。
「名前?顔赤いわよ?」
「気のせいですよマリーカ様。」
あーやだやだ。
得意な笑みを浮かべてこの場を乗り切ろうとしたが、マリーカ様には笑って誤魔化せ作戦は効かなかったようだ。
「明後日には当日を控えているのだから風邪はだめよ?忙しいんだからね。」
マリーカ様の言葉に小さく頷く。
最近私が勤め始めたクジュぺリア・フォン・ルッソ・ステーフロンスト・ルシエフェル家のクジュぺリア・フォン・ステーフロンスト・ルシエフェル・マリーカ嬢。
貴族の嫌いなところはこの長ったらしい名前だ。
もうクジュぺリア・フォン・マリーカでいいじゃないかと思うけれどそうもいかないのが貴族だ。
マリーカ嬢の3つ上のお兄さんなんてクジュぺリア・フォン・ルッソ・ステーフロンスト・ルシエフェル・カスヴェノ・サーンチェスタ・オースティンという名前なのだからまだマリーカ様の名前は短い方なのかもしれない。
聞けばおじいさんと父親の名前も引き継いでいるのだとか。
つまりはフォン以降の名前はすべて歴代の当主の名前ということになる。
貴族ではよくあることだ。
私の記憶力を試しているのかとさえ思うこの家の名は、私の中ではクジュぺリア家で収まっている。
もう一体何の呪文だ。
ヒュウガが聞いたら絶対頭の上にクエスチョンを浮かべることだろう。
そこの一人娘であるマリーカ様は明後日に誕生日を迎え、お祝いのパーティーを行うのだ。
そこで私の出番。
雇い主がお客様を持て成すのを助けるのもコンパニオンの仕事の一つだ。
誰を招待するのか、決まったら招待状をだして。
料理は何をだすのか、晴れていたら広い広い庭でいいけれど雨だったらどこでするのか。
遠方から足を運ばれるご友人や親戚の方の客室は足りるのか。
しないといけないことはたくさんあった。
マリーカ様は明後日は忙しくなると言ったけれど、ハッキリ言ってコンパニオンの私やメイドや庭師、料理長にバトラー(執事)だって使用人という使用人はここ一ヶ月忙しくて忙しくて。
これだから貴族のお嬢さまは。
裏で皆が頑張っているのを知らないだなんて幸せなことだ。
当日までにマリーカ様がしたことなんて、招待する方の選別だけなのだからため息さえ吐きたくなる。
あぁ、リリィ様に仕えていた時はもうちょっと肩の荷を降ろして優雅に過ごせたなぁなんて懐かしんだりもする。
まだ半年ぐらいしか経っていないのに、あんなにも懐かしい。
「失礼のないようにしてね、名前。」
「もちろんでございます、マリーカ様。」
ニコリと微笑みながら内心でため息を吐く。
目の前に座って優雅に紅茶を飲むマリーカ様は、明後日に想いを馳せているのかここ毎日楽しそうだ。
それもそのはず。
バースディパーティーだなんていうのは名目上のものだ。
実体はマリーカ様の婚約者探し。
今回大きくバースディパーティーをするのは他の貴族の方に来てもらうためだ。
それもできるだけ多くの殿方に。
恋愛にあまり興味のなかったリリィ様と正反対のマリーカ様はわかりやすいくらいに貴族そのものだ。
上流階級の貴族は一味違うな、と思う。
いい意味でも、悪い意味でも。
紅茶を一口嚥下したところで、部屋をノックする音が聞こえた。
マリーカ様の代わりに「どうぞ」と声をかけると、この家のヘッド・ハウスキーパーであるミセスフロージアが扉を開けた。
「マリーカお嬢様、明後日のパーティーで護衛と警備を勤める方がご挨拶に伺ったといらっしゃっております。」
「別にいいわ。挨拶なんて。」
面倒だとばかりにヒラヒラと手を振るマリーカ様に、困ったとばかりにミセスフロージアが目線を私に向ける。
いや、私に向けられても…と思うけれど、今の私はマリーカ様のコンパニオンなわけで、マリーカ様のしたがらないことも出来うる限りしないといけなくて…。
ホント、リリィ様に一生仕えていたかった、とマリーカ様に気付かれない程度にため息を小さく吐き出した。
「マリーカ様、私でよければご挨拶して参りますよ。」
「貴女が?……そうねぇ、コンパニオンなのだから役不足ではないわね。」
「では、」
「でもやっぱり私行くわ。あんまり我が侭だとお父様に怒られちゃうもの。」
十分今のままでも我が侭です。と内心で毒づく。
マリーカ様の気まぐれにもほとほと愛想をつかしてしまいそうだ。
マリーカ様を待っている間、読書でもして待っていようかと本に手を伸ばした。
しかしマリーカ様は扉に手をかけながら振り向くと「何しているの?名前も行くのよ?」とのたまった。
マリーカ様は私を待つ様子もなく先に応接室へと足を運んでいるので、この部屋には私しかいない。
開きかけていた本を閉じて盛大にため息を吐き出した。
マリーカ様みたいな我が侭な貴族令嬢はたまにいる。
だがコンパニオンの私にまで我が侭が及ぶことは数少ない。
稀にみる我が侭っぷりと男好きを絶対教育しなおしてやると、この時私は廊下を歩きながら固く誓った。
応接室の扉をノックしようとしたところで、中からはミセスフロージアが紹介している声が聞こえてきた。
防音というわけではないが、何て言っているかまでは聞こえないので、私も一先ず中に入って顔と名前くらい覚えておかないと…と思いノックする。
すると、ミセスフロージアが中から開けてくれた。
「ありがとうミセスフロージア。」
開けてくれたことに小さく微笑んで中に入ると、ふわりとあの香りがした。
私の好きな香りとアヤが好んでつけている香水の香り。
綺麗に微笑んでいたはずの笑顔が引きつったのが自分でもわかった。
視線をミセスフロージアから客人の方に顔を向けると、そこには知った面々が立っている。
あ。
声には出さないものの、私は小さく口を開けてしまった。
知った面々は三人。
アヤにヒュウガにカツラギさん。
アヤは驚いているのかさえわからない無表情を貫いており、カツラギさんは変わらずニコニコと笑みを浮かべている。
ヒュウガに至ってはかなり驚いたようで、少しだけ呆然としたあとすぐにニマニマと笑いだした。
何でいるの!とレディらしくなく叫びたくなったけれど、マリーカ様たちの手前、言葉を必死に飲み込もうとすると、変に喉が詰まった。
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