02
ここは何区だっけ?
私はイマイチ回らない頭で必死に考える。
確か私の間違いではなかったらここは第3区のはずだ。
そしてアヤたちが勤めている軍は第1区。
少なくとも、『わぁ!すごい偶然だね!』だなんてバッタリ会うようなテーマパークでもない。
ここは普通なら一般人は入ることはできない上級貴族のお邸だ。
そこで『偶然だね!』とは言えても、『わぁ!運命だね☆』だなんて思えるはずもない。
気持ちが悪いくらい世間って狭いと思った瞬間だ。
「名前様、こちらの方がこの度警護を勤めて下さる方々です。」
ミセスフロージアの丁寧な説明のおかげで、私はやっと正気に戻り、微笑みを浮かべる。
そうしたところでマリーカ様が私の後ろに少しだけ隠れて耳に小さく囁きかけた。
「名前、素敵だわ!こんなに素敵な方がいらっしゃるだなんて知っていたら綺麗にしてきたのに!!」
邸から出なくてもいつも綺麗にしているマリーカ様は今以上綺麗に着飾るつもりらしい。
恐らく最初こそは『どうせ貴族でもない軍人でしょ?挨拶なんて面倒だし下級の人間と話したくないわ』と思っていたくせに、この数分でものすごい身の翻しよう。
確かにどれもこれも顔はいい。
カツラギさんは顔も中身もいいけれど、アヤとヒュウガは『顔はいい』。
言い換えれば『顔だけはいい』。
はてさてこのお三方の誰を『素敵』と言っているのか。
はたまた全員なのか。
疑問は残るが、理想が無駄に高い男好きのマリーカ様が恋する瞳を先程からキラキラキラキラと見せている。
つまり私の行動は唯一つだ。
「はじめまして、マリーカ様のコンパニオンを勤めております名前=名字と申します。」
外面用の仮面をしっかりと被りなおした私が小さくお辞儀をしてみせると、さすがのアヤも訝しげな表情を見せた。
ヒュウガとカツラギさんに至ってはキョトンとしている。
そりゃそうだ。
お互いに気付いているのに私はわざわざ初対面のフリをしているのだから。
しかし彼らは頭の回転がいい。
私が初対面のフリをしている意図にさえ気付かなくても、初対面のフリをしなければいけないという理由があることは悟ってくれると信じている。
案の定、アヤは眉間に皺を一本嫌そうに寄せて敬礼してみせた。
私に敬礼だなんてきっと彼からしたら屈辱だろうけれど、ここでしなければアヤが自分は無礼だと言っているようなものになるのだ。
「ブラックホークのアヤナミです。」
「あら、あの有名な参謀様ですね。この度は明後日のパーティーのために警備を引き受けてくださって感謝しています。」
「いえ、これも仕事ですので。」
アヤの敬語は気持ち悪い。
慣れていないからだろうけれど、鳥肌だって立ちそうだ。
アヤの表情は『好きで引き受けたわけじゃない』と物語っている。
この表情に気付けたのはきっと私とヒュウガ、そしてカツラギさんだけだろう。
「今回のパーティーでの統括は私ですので、何か気になる点がありましたら気兼ねなく仰ってくださいね。」
「わかりました。」
「細々とした点はフロージアが説明いたしますので。邸の見取り図も用意しております。それでは、また後ほど。」
少しだけ頭を下げてマリーカ様と共に応接室を出ると、マリーカ様が廊下の真ん中で私に詰め寄った。
「ね?素敵でしょう??」
えっと…誰がでしょうか??
カツラギさんだったら素直に頷ける。
しかし残りの2人はどうだろうか。
顔が素敵でしょう?
なら頷ける。
だが全体的にだったら『そうですか?』としかいいようがない。
「あの黒髪の軍人さん、名乗られなかったけれど名前はなんて仰るのかしら。」
……マジでか。
女は一度くらい危険な恋に、そして危険な人に憧れたり焦がれたりするものなのかもしれない。
かくいう私も、今となっては題名も忘れた映画みたいな恋に憧れた。
少なくとも私は危険な人ではなく、危険な恋に憧れただけなのだけれど。
部屋に戻ってくるなり、目の前で先程から忙しく目線を動かしたり、意味もなく部屋をウロウロとしているマリーカ様は危険な人に一目で恋に落ちたらしい。
それもヒュウガという男に。
あの男はディスクワークをしすぎると人を斬りたくなるとかほざく危険人物だ。
ついでにいうと半年前までは女たらしで恐らくたくさんの女性と遊んで夜を共にしていたであろう最上級に最低な男だ。
そんな男と私は付き合っているんだよなぁ…としみじみ思ってしまったが、瞬時にその考えは打ち消す。
私の安定した精神状態のためだ。
それにしても一体なんだこの雰囲気は。
甘酸っぱい??いや、とにかく桃色オーラがマリーカ様から発せられている。
ヒュウガがこの部屋にいないのにも関わらずこのはしゃぎようなのだ。
本人が来たら一体どうなるんだろうとさえ面白く思う。
マリーカ様は男好きなだけで男慣れしているわけではないので、きっと顔を赤くするに違いない。
「あの…マリーカ様…」
少し落ち着け、ゴホン、落ち着いて下さいと私が言う前に、マリーカ様はクルリとスカートの裾を翻してこちらにやっと目線を向けた。
「名前、今日はもうお部屋に戻っていいわ。」
「え?」
まだ時計の時間は午後4時を差したばかりだ。
用意してもらっている自室に戻るにはいつもより早い。
普通なら夕食まで一緒にいるというのに。
「何だか一人でいたい気分なの。ね?」
何が『ね?』だ。
ただ一人でニヤニヤニマニマしたいだけじゃないか。
部屋に戻って今日はゆっくり眠りたいということもあったので、私は素直に頷いて椅子から腰を上げた。
「わかりました、ではお言葉に甘えさせていただきますね。」
「えぇ、ごきげんよう名前。」
「ごきげんよう。」
私はあからさまに薄ら寒い笑みを浮かべたけれど、今のマリーカ様は絶対気付いてさえいないだろう。
恋する女、恐るべし。
マリーカ様の部屋を出て自室までゆっくりと歩く。
はて、何故私はさっき薄ら寒い笑顔なんてマリーカ様に向けたのだろう。
何だかちょっとムカッときたんだよなぁ…。
でもマリーカ様は別に怒るようなことをしたわけでも言ったわけでもない。
う〜ん、と頷きながら歩いていると、ふと前方に影が見えて顔を上げた。
ミセスフロージアにエントランスまで案内されているようで、アヤ、カツラギさん、そしてヒュウガが後に続いている。
少しだけ壁際に除け、ミセスフロージアが通った後にアヤと目が合った。
しかし何を話すわけでもなくアヤは通り過ぎ、次にヒュウガと目が合う。
ヒュウガは小声で何かを言いたそうだったけれど、私は微かに首を横に振るだけでそれを制し、3人がエントランスを出て行くのを見て、私も長い廊下を進み階段を登ってそのまま自室へと入った。
「…はぁ。」
私の目はどうかしてしまったのだろうか。
今しがた確かに3人が帰って行くのを見たはずなのに。
変わり身の術でも使ったのかと馬鹿みたいに思ってしまい、自嘲した。
しかしついさっき見送ったはずの人間が目の前にいるというのは、やはりどういうことなのだろうか。
この邸に来てから溜め込んでいたため息の分までもまとめて盛大に吐き出すと、不法侵入してきた男はソファに座ったまま優雅に長い足を組み替えた。
「久しぶりに会ったのにあの態度はオレ傷ついちゃったなぁ〜♪」
どこがだ。
表情も口調も何一つ傷ついている感じがしないのに。
「ヒュウガ、貴方なんで私の部屋知ってるわけ?どうやって入ってきたの?」
「質問攻めだ☆そうだねぇ、オレも話したいことあるし、まずはあだ名たんの質問に答えよっかな♪」
ヒュウガは腕を組んで私を手招きして呼んだ。
何だかヒュウガを纏っている空気が少しだけ張り詰めているような気もするが、手を掴まれてしまったのでそのまま隣に大人しく座った。
「まずあだ名たんの部屋を知ってるのはさっき屋敷の見取り図を持って屋敷内を見て回ったから。その時メイドさんがここがコンパニオンの部屋だって教えてくれたんだよ♪」
おいおいミセスフロージア、危険人物になんてこと教えてくれたんだ一体。
これから絶対この男忍び込んできちゃいますよ。
警備しにきているはずなのに、この男が不法侵入で捕まるんじゃないかと言ってやりたかったが、仮にもブラックホークの少佐が捕まる訳ないか、と納得する。
「それに風通しのために窓が開いてたからそこから入ったの。」
…待て。
何か色々違う。
そんなことはわかりきっている。
私が聞きたいのはこの2階の部屋にどうやって入ってきたか、ということだ。
窓から入ってきたということは…ジャンプ?
いやいや、そんな非人間業誰も出来やしないだろう。
……う〜ん、やっぱりヒュウガなら出来そうな気がして、これまたブラックホークの少佐ならと納得してしまった自分がいる。
「じゃ、今度はオレの番ね♪」
急にピンと空気が張り詰めた。
一気に及び腰になってしまったのは仕方がないだろう。
アヤの時とは別の意味で鳥肌が立ってしまっている。
「なんで電話取ってくれないの?」
ヒュウガはいつもより笑みを深くして、逃げられないように私の腰に腕を回してくる。
ピンチとはこういうことを言うんだな、と冷や汗をかきながらどこか冷静な頭で思った。
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