01



魂が震えた。

この感覚は幾度となく感じたことがある。
戦慄ではない歓喜にも似た震えは目の前の獲物を殺したがっている。
オレはただそれに抵抗せず刀を振るうだけだ。


「ん☆いいね、君♪」


ホークザイルを降り、唇についた血を赤い舌で舐めると鉄の香りが鼻を抜けた。
何度も嗅いだことのあるこの匂いは戦場に立つたび鼻が麻痺したように、嗅覚も、何も感じなくなっていった。

太陽の光を浴びて光る刀に反するようなヴァルスが、禍々しく敵を食らい尽くしたがっているのがわかる。
地面を蹴った敵を迎え撃ち、しなやかに刀で受け流した敵の脇腹を蹴り飛ばすと建物の壁を2、3枚ぶち抜いたような音が聞こえた。


「まぁ結構楽しめたよ。でもオレ、そろそろ飽きちゃった☆」


瓦礫の中からふらりと覚束ない足元で立ち上がろうとする敵に笑顔を送り、ヴァルスを込めた刀を振り上げた。




***




「お初にお目にかかります、帝国軍会計監査隊の名前=名字と申します。」


人の予定など知ったことかとばかりにアポも取らずに女がやってきたと思えば、監査隊と名乗ったことに一瞬目を大きく開いた。
何故監査隊がこんなところにいるのか。
瞬時に頭を働かせると、意外にもあっさりとその答えは出た。


「私がここにいるということで、これから何が起こるのかご察しいただいていらっしゃると思いますが、」

「え?何しに来たの??帝国軍会計監査隊って何?」


ヒュウガが首を傾げる横でコナツが冷や汗を流している。
今はコナツの気持ちが手に取るようにわかる。
全ての元凶は恐らくヒュウガであろうからだ。


「帝国軍会計監査隊をご存じありませんか?軍の内部監査を扱う部署です。確かにブラックホークへはここ20年以上監査を行っていないようですが、今回、取締役である私を筆頭に後3名の監査官でこちらの監査を行いたいと思います。」


内部監査。
つまり内部であるこのブラックホークで不正が行われていないか調べに来たということだ。
金銭の管理は基本カツラギにさせているし、このブラックホークで不正など起きたことがないが、これも仕事というわけか一睨み利かせても億尾にも出さない胆の据わった女は続ける。


「わかっているだけでも、昨年はホークザイル48台、器物破損2538万ユース、その器物破損による営業損害補償510万ユース、その他部品武器諸々合わせて合計4987万ユース。そしてこの1年で壊したホークザイルの数52台、器物破損額3860万ユース、その器物破損による営業損害補償640ユース、その他部品武器諸々合わせて合計6739万ユースが経費で落とされております。年々増え続けているのが伺えると思いますが、それにしても明らかにこの部署だけお金が異常なほど動いているのです。つまり、他部署に比べて大きなお金が動いているこの部署で不正が行われていないか監査に参りました。」


先ほど名を名乗った女、名前=名字は淡々と書類を読み上げている。
読み上げられているほとんどの原因であるヒュウガは、耳が痛くなってきたのか途中で耳栓を嵌めていた。

やはりそうか、今回監査隊が動いたのはヒュウガが日々出している被害額のせいか。

鞭に手を伸ばしたくなったが、今は会話を続ける方が先決かと女を見る。
名前=名字という名はどんな不正も見逃さないことで耳にしたことがある。
どれほど自分より階級が上であろうが、金を積まれても一切不正から目を背けることのない女だと。

参謀の私を目の前にして怯えることもなく、ただまっすぐに見つめてくる視線からその信条が垣間見えた気がした。


「悪いのは蹴り飛ばしたオレじゃなくて、そんなところにつっこんだ敵さんだよ!!」

「それは先日の戦闘に置いての発言ですね?立ち合いと確認は後日行いたいと思いますので今は発言なさらなくて結構です。それより先にこの場にある金銭に関する書類と戦闘に関する書類の過去10年分ほどをお借りしたく思います。」


監査はすでに始まっているとばかりに書類を出せという女。
ここで抗っても無駄なことはわかりきっている。
監査隊からの命令は、どうやってもどんな部署でもどんな役職でも拒否する権限は持ち合わせていないのだ。


「一枚でも失くしてみろ、その首飛ばしてやる。」

「はい、その時はお好きにされてください。」


女は小さく微笑んだ。
堅苦しい言葉とは裏腹に表情は豊かなのか、その笑みは随分と柔らかかった。

しかし気を抜くことはできない。
なにせ相手は名前=名字なのだ。
あの歳で上からの信頼を得るほどの実績を踏み今もうなぎ上り。
現在は帝国軍会計監査隊の副官を務めるほどまでに出世したエリート中のエリート。


「わざわざエリートが足を運んでくるとは、余程疑われていると見えるな。」

「貴方がどう思われようと勝手ですが、これは私から志願しただけですので。」


それだけ言うと、名前=名字は執務室の外に控えていた部下3人を呼び入れ、棚から書類をかき集めさせはじめる。


「本日はご挨拶とお借りするだけですので、明日から監査を行います。隣室が空き部屋になっているようですので、そちらをお借りしても?」

「好きに使え。」


監査期間は明日から5週間。
監査官やその書類の量によって早く終わることも多々あるようだが、過去10年の書類とこの女が相手ではそんなこともないであろう。
長期戦か。と細くため息を吐いたところで、女も盛大に息を吐き出した。


「私、今日は休日なんです。」


だからなんだ。
女が纏う空気が一気に柔らかくなったことに訝しんでいると、女の部下の一人がギョッとした顔をしていた。
しかし女はそんな様子など見えないようで、私に詰め寄ってくる。


「あの、その、参謀は恋人とかいらっしゃるんでしょうか?!」

「せ、先輩!いくら今日が休みだからってそんな急にオフモードにならないでくださいよ!初対面なんでしょう??引かれますよ!」


部下である男は、詰め寄ってきていた女を引き留めるように、背後から服を引っ張って止めているが、その効果は薄いようでズルズルと少しずつ引っ張られている。
なんなんだこの女は。


「うるさい水輝!離して!やっとアヤナミ参謀に会えたのよ!私の今のこの昂揚感わかる?!」

「恐怖感ならわかります先輩。」

「おこちゃまねぇ。」


やれやれと肩を竦める女は部下の手を振り切ると、私の机に手をついて「それで、質問の答えはいただけますか?」と顔を近づけてきた。


「貴様に答える必要性を感じない。」

「それは困ります。」


きっぱりと言い切った女の顔は整っていて10人中10人は綺麗だという顔をしていたが、この部屋の秩序を乱す行為を許すことはできない。


「用事が済んだのであれば早々にお引き取り願いたい」

「アヤナミ参謀が私の質問にお答えくださればすぐにでも。」


にこりと微笑んだ女から漂う甘い香りの香水の名が頭に浮かんだ時、「アヤたんに恋人いないよ。」とヒュウガが答えた。
そのことに女は嬉しそうに手を叩き、「良かった」と笑った。

ここまでアピールされたんだ、どんなに鈍感な男でもこの女の気持ちは手に取るようにわかるだろう。

面倒くさい、至極面倒くさい。
こういったストレートな女は一方的に好意を投げて、それでいてフったらフったで場所も弁えず泣くんだ。


「初めて貴方を見た時から、私、アヤナミ参謀の子どもが産みたいんです!いや、もうむしろ絶対産みます!」


変化球ともストレートともとれる女のセリフに言葉を失う。
女の背後では「いっちゃった…」と部下が頭を抱え、ブラックホークの面々はカツラギを除いて口と目を大きく開けていた。
一体何の決意表明だこれは。


「明日から5週間で落としてみせますから、覚悟してくださいね。」


では今日はこれで失礼します!と、入って来た時とは180℃性格が違う女、名前=名字の存在に胃が痛くなった。



(アヤたん、モテ期?)
(どれもこれもすべて貴様のせいだヒュウガ、死んで詫びろ。)


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