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扉を開ける前からあははと笑う女の声が聞こえたので、『ヤツ』がいるのだとドアノブを取るのを躊躇ったのは仕方がないと思う。
今日もいるのか。とため息を吐きたくなるのを抑え扉を開くと、『ヤツ』こと名前=名字はハルセが作ったであろうケーキを頬張っていた。


「アヤナミ参謀!会議お疲れ様です。」


初めてであった時よりも垢抜けた様子の名前=名字は、たったこの1週間で随分とブラックホークに慣れてしまったようだ。
本人は『あの時は初対面で緊張していたんです』と言っているが、仕事に対する姿勢は非常に真面目で、あの時となんら変わりはない。
つまり今こうして名前=名字がここで笑っているということは休憩中、または休日を示していることをこの1週間で学んだわけなのだが、それがなんだか癪で仕方がないのだ。


「アヤナミ様、コーヒーでよろしいですか?」


カツラギが腰を上げかけていると、名前=名字は「あっ!私に淹れさせてください!皆さんの分も淹れますね。」と、すでに我が物顔でブラックホークの給湯室を使用している。


「女の子が一人部屋にいるだけで華やかになるねぇ♪」

「そうですね。」


私以外が頷くこの執務室の何と居心地の悪いことか。
確かに華にはなっているかもしれない。しかしだ。
他人事だからそう落ち着いていられるのだと思う。


「アヤナミ参謀、コーヒー淹れて参りました。」


参謀長官室に戻り、椅子に座って会議で使用した書類を纏めていると名前=名字はドアを開けて入ってきた。
それも至極楽しそうに。
コーヒーひとつ淹れることの何がそれほど楽しいのか。


「わざわざ部署が違うお前が淹れる必要はないのだが。」

「私が淹れたいだけですのでお気遣いなく。それよりお口に合うといいのですけど。」


コーヒーを机の上に置き、いかがですか?と聞いてくる様は『華』と形容してやってもいいし、エリートといえど『うまい』と言ってほしいところは他の女とかわりないらしい。
しかしこの女はそこら辺の普通の女の枠に嵌らないことをすでに学んでいる私は、コーヒーに手を伸ばすこともせず、手を机の上で組んだ。


「今日は何を入れた。」

「ご心配なく、前回『惚れ薬』を入れた際非常に怒られましたのでそれに懲りて『惚れ薬』は入れておりませんから。」


先日路地の奥の奥の奥で見つけたという露店で馬鹿高い値段で購入したというあからさまに胡散臭い『惚れ薬』を知らずに飲まされた際、『ムラムラしませんか?』と問われたのは記憶に新しく、しないと言えば『おかしいですね、即効性だと言われたんですが』と真剣に悩む始末。
あの時は『何を入れた』と聞くのが恐ろしかったほど。
惚れ薬は精力剤じゃないんだよ。とヒュウガに諭されていたが、今も尚名前=名字が淹れるコーヒーは恐怖の対象でしかないのだ。

名前=名字が差し出すコーヒー、紅茶、クッキーや和菓子すべて断れど断れど二言目には『私アヤナミ参謀の子どもが産みたいのです』とくる。
最近の頭痛の種だ。


「惚れ薬『は』ということは、他に何を入れたんだ。」

「赤マムシを擦っていれてみました。先日ヒュウガ少佐に『惚れ薬と精力剤は違う』と教えていただいたので、私なりに調べてみたんです。ぜひ飲んで感想を聞かせてください。」

「ヒュウガにでも飲ませておけ。」

「いいえ。私はアヤナミ参謀の子どもが授かりたいのでヒュウガ少佐に飲ませても意味がありません。」


そらきた。
二言目にはいつもそれだ。
この女の言うことはいつもどこか変な方向を向いている。


「そろそろその口を塞ぎたくなってくるな。」

「アヤナミ参謀の唇でですか?!それはもう喜んで!」

「針と糸でだ。」


カツラギに頭痛薬でも持ってこさせるべきか。
いや、この場からこの女が消えれば万事解決するのだ。


「そうですよね、初めてお会いしてまだ1週間ですから、キスなんて早いですよね。」


私の子どもが産みたいと言って回る女がキスはまだ早いとは。
基準は一体何なのだろうか。
理解できない、むしろ理解などしたくもない。
したら負け、子供っぽくはあるが、最近そう思うようになった。


「そうそう、今日はアヤナミ参謀に伺いたくて来たんです。因みにお聞きしたいのですが、女性が身に着けていたらいいなと思う下着の色は何ですか?先日ヒュウガ少佐に『多分意外と純情そうな色が好きだと思うよ』と助言いただいたので今日は白の、」

「お前に恥じらいというものはないのか。」

「恥じらいを身に着けることでアヤナミ参謀の気持ちがこちらに向くのでしたらいくらでも。」


つまりは私の好きな色に染められてもいいということか。
男冥利に尽きる話だが、この女が相手では願い下げだ。
男にも選ぶ権利はある。


「一つ忠告してやるがな、ヒュウガの言うことに耳を貸すな。あいつは人で面白がるタイプの人間だ。」

「そのようですね。ですがアヤナミ様が私に何も教えてくれない以上、側にいらっしゃるブラックホークの皆さんからお聞きするしかできないんですよ。あ、それとも今度はコーヒーに自白剤でもいかがでしょう。」

「いらぬ。このコーヒーも誰かが飲む前にさっさと処分しておけ。」


バッサリと言い切ると、すごすごとコーヒーを下げようとする名前=名字の下がった肩に悲壮感が漂ったがやはり赤マムシ(精力剤)入りは飲みたくはない。
これに懲りてまともなコーヒーを淹れてくるのなら飲んでやってもいいのだが。


「まともなコーヒーなら飲んでやる。」


あまりの落胆っぷりに、ついつい甘やかしてしまったと後悔しても時すでに遅し。
名前=名字は目をキラキラと輝かせた。


「それは…お願いですか??」

「違う、『どうせ淹れるならまともなコーヒーを淹れろ』と、」


人が話している途中なのに、名前=名字は参謀長官室の扉を開けると「やりましたよヒュウガ少佐!負けずに変な物入れてたらアヤナミ参謀から『コーヒーが飲みたいから淹れてくれ』ってお願いされちゃうようになりました!」と嬉々として執務室に向かって叫んだ。


口に手を当てて喜ぶ姿は可愛いものがあるが、ちょっと待て。
わざわざその一言を言ってほしいがためにそんな回りくどいことをしていたのか。
ヒュウガとつるんでいることといい、手のひらの上で踊らされたような気分が妙に腹立たしく感じる。


「へぇ♪よかったね☆」と口元に手を当てて参謀長官室に入ってきたヒュウガを一睨みする。
手で隠しきれていない口元が吊り上っているのが余計に腹立たしい。
この馬鹿共に文句を言ってやろうと口を開いたところで名前=名字の部下である水輝が「失礼します!」と入ってきた。


「やっぱりここに居ましたか先輩!休憩もう終わるのに帰ってこないからどこかで殺されてやしないかと心配しましたよ。」

「あら、アヤナミ参謀と話していると時間の進みが早いわねぇ。」

「惚気ですか?惚気ですか先輩。もう聞き飽きましたから。参謀に好かれ始めてよかったですね。はい、隣の部屋戻って仕事しますよ。」

「わかってるわよ、もう。」


待て、今聞き捨てならないことが聞こえたような気がしたのだが。
ついに疲れすぎて幻聴が聞こえ始めたか。


「おい、私が名前=名字を好きになり始めただと?」

「え?違うんですか?昨日先輩がそう言ってましたけど。」


水輝は訝しげな顔をしながら首を傾げた。
まだ幼さの見える男だが、これでも名前=名字の右腕として働いているというのだから彼もまた有能なのだろう。


「どこをどう見たらそうなるのかぜひ拷問室でお聞かせ願おうか。」

「拷問室…ですか。アヤナミ参謀が望まれるのでしたら喜んで。その、私、そんなマニアックなプレイに最初から耐えられるかわかりませんけど。」

「何の話をしているんだ貴様は。」


一人で突っ走っているこの女の存在を最近は信じられなくなってきた。
こんな女がこの世に在っていいのだろうか。
世のため私のため、一先ず私の前にしばらく姿を現さないでほしい。
ヒュウガもヒュウガで先ほどからニマニマニマニマと目障りで仕方がない。


「だって最近アヤナミ参謀『必要以上に執務室に来るな』と言われなくなったじゃありませんか。それは『会いに来てもいい。』『会ってやらないこともない』『いやむしろ会いたい』ということですよね?」

「貴様は一度病院へ行った方がいい。腕のいい医者を紹介してやるから今すぐにでも行って来い。」

「心配してくださるのは嬉しいのですが、風邪もひいていませんし至って健康ですので大丈夫です。」

「いや、異常だ。主に脳の方がな。それに心配もしていないから安心しろ。」

「……先輩、もうどうでもいいですけど、戻りましょう。」


『やっぱり先輩の先走った勘違いだったか』と呆れたようなため息を吐いた水輝は一向に進まない会話に痺れを切らしたようで、名前=名字の襟を引っ掴んで引きずり始めた。


「水輝!服延びるから引っ張らないで!」


アヤナミ参謀、また仕事が終わったらお邪魔しますねー!とエコーがかって聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。



(アヤたん、なんだかんだで名前ちゃんに振り回されてるよね。)
(……。)


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