05



「え、アヤたん急にどこ行くの?!」


参謀長官室から出ると、ちょうどサボりから帰って来たヒュウガが何か話しかけてきたが、「少し出てくる」とだけ告げて軍を出た。

急に明日から遠征になった。
前までは名前に告げることなく十数日もの間家を空けることが当たり前であったが、一言くらい言っておくかと電話を入れたのが3時間前。
しかし名前は出なかった。
バイト中かと思い、もう一度電話を掛け直したのが15分前。

そして現在、私は街を歩いている。
もしかしたら、と思うと居てもたってもいられなくなったのだ。
この3日帰っていないが、また2か月前のように倒れているのではないだろうかと。

自分がどんな顔をしているのかはわからないが、街を行き交う人々が避けるように道を開けてゆく。

そんな中、目当ての人物を見かけた。
見たことのない男と手を繋ぎ、笑っている名前を。

あぁ、そうか。と携帯に出なかった理由に妙に納得する。
あの楽しそうな表情から察するに、彼氏に夢中で携帯など見てもいないのだろう。

倒れているわけではなかったか、と安心する反面、あの嬉しそうな名前を見る気にもなれずに踵を返した。
ただの女一人に振り回されている自分が滑稽に思えてくる。
いや、この感情はただの嫉妬なのかもしれない。
この込み上げてくる感情はひどく厄介だ。

ルームシェアを始める前、男がいるのなら面倒が起ることもないと思っていたが、男がいる女に惚れることこそが面倒だったのだと気付く。
惚れてしまえば後の祭りだ。




***




「だれかアヤたんの機嫌悪いのどうにかしてよ。」


アヤたん以外のブラックホークの皆に言えば、クロたん以外は苦笑するばかりだった。
リビドザイルの一室にはカツラギさんが淹れた紅茶のさわやかな香りが漂っているが、空気は少し重たい。


「なんでかオレ当たられてる気がするんだけど。」

「ヒュウガだから仕方ないよ。」

「オレそんな扱い?!ひどいクロたん!」


遠征初日からアヤたんがあのテンションなのは珍しい。
遠征の時はいつにも増して切り替えるくせに、今日は上手くそれがいっていないようだ。

アヤたんに何かがあったのか。
アヤたんをそうさせる誰かがいるのか。

考えてみれば最近のアヤたんは少し不思議な行動ばかりしている。


「ねぇ、アヤたんって最近どこに行ってるのかな。休日の前日には絶対どっか行ってそのまま帰ってこないしさ。忙しくない時も仕事終わったらどこか行ってるし。」

「そういえば近頃楽しそうにしていらっしゃったり、妙にため息が多かったりしてらっしゃいますよね。」

「ね、コナツもそう思うでしょ?」


そんなコナツも最近アヤたんみたいな行動してるけどね。
どこ行ってるのか、オレ的にはどっちも気になっている。


「恋人でもできたのでしょうか。」


ハルセの言葉にそんな想像を頭の中でしてみたが、女のところへ通うアヤたんなんて全く想像がつかない。
もし仮にそうだったとして。
あの機嫌の悪さが女絡みだったとして。
いや、ない。
絶対ない。
あのアヤたんが女性関係で一喜一憂させられているなんて。


「そういえばハルセさん、この間お菓子が美味しい店をアヤナミ様に聞かれていませんでしたか?」

「そういえばそんなこともありましたね。」

「…やっぱり彼女かなぁ…。」


別に恋人ができたのはいいんだけどさ、同期でちょー仲良しのオレにくらい一言言ってくれたって…。

カツラギさんとハルセの会話にやはりと漏らせば、クロたんは食べきったお菓子の袋に息を吹き込んで、パン!と叩いて破裂させた。


「アヤナミ様が女の毒牙にかかってるなら……その女、始末しないとね。」


クロたんはニコリと笑って、破れた袋をゴミ箱へと放った。




***




自分が信じられなかった。
遠征で2週間ほど名前と会っていなかったとはいえ、あの現場に出くわしたのだからしばらく距離を置くつもりだった。
それなのにだ。
遠征についての報告書を出し終わった後、真っ先に向かったのは名前が働くカフェだった。

確か今日は月曜日だからこの時間はいつものカフェでバイトだろうと、名前のバイトのシフトが頭の中に入っている自分に情けなくなってくる。

略奪愛なんて…と考えたところで、それも悪くないかもしれないと思い始めてきた自分はそろそろ末期かもしれない。

自己嫌悪に陥ってきそうな気分を振り払うようにしてカフェの扉をくぐると、「あ!」とどの店員よりも早く名前が私に気付き、「アヤナミさんだ!」と駆け寄ってきた。


「いらっしゃいませ!カフェに来るなんて初めてですね!」

「あぁ。コーヒーが飲みたくなってな。」


名前に案内されながら日差しが優しく当たる席へと案内された。
コーヒーでしたね、と注文を取ってキッチンへと姿を消した名前の後姿を見送って、特に何をするでもなく何となく窓際の方へと視線を向けると、先に仕事をあがったコナツがカフェの道向かいにある花屋で立ち止まった。
中からふんわりとした雰囲気の女性が笑顔でコナツへと駆け寄ってくる。
ブラックホークに居る時とは若干違ったやわらかい雰囲気をしているコナツは珍しくも私服で、何やら楽しそうに話している。


「お待たせしましたー。」


淹れたのは別の人ですけど名前ちゃんが愛情込めて運んで来ましたー!と笑う名前からコーヒーを受け取ってそれを喉へ流し込む。

コナツは一旦店の中へと引っ込み、帰りの支度をしてきた女性とどこかへ歩いて行った。
遠征が終わってコナツが真っ先に会いに行きたかった女性というわけか。

そして、私が会いたかったのがコレとは、我ながら笑えない。
成人しているとはいえ、まだ学生の女に会いに来たとは…。


「アヤナミさん、今日は帰ってくるんですか?」

「あぁ。そのつもりだが。」

「じゃぁ一緒に帰りましょうよ!今日は後30分でバイト終わりなんですよ。」


知っている。とは言わずに、小さく「あぁ。」とだけ呟けば、ただそれだけで名前は嬉しそうに笑った。




***




きっちり30分後に帰りの支度を整えてきた名前とどこかで夕食を取ることになり、「私今日はお魚の気分です!」というので適当にレストランに入れば、魚を食べたいと言っていた名前はメニューを見た後に結局ハンバーグを注文していた。

魚はどうした魚は。と問えば「女心と秋の空ってやつですな。」と言った名前に、ここは奢ってやると言うと、「じゃぁじゃぁデザートも頼んでいいですか?!?!」と目を輝かせたのでテーブルの脇に立ててあったメニューを差し出してやれば、ただでさえ高かった今日の名前のテンションはMAXにまで上がった。


「今日はやけに機嫌がいいな。」

「やっはりわかりまふか。」


食後のイチゴパフェを頬張りながら名前がにんまりと笑ったので、これは聞かない方が良かったかもしれないと思った。


「実はですねー、彼氏との旅行先が決まったんですよー。いやーバイトにも身が入りますよねー。」


えへへと笑う名前に「それはよかったな。」と返す。
これが大人としての余裕さから出た言葉だったのか、それともただの矜持だったのかはわからない。
ただ、胸の真ん中あたりが苦しくなったのは確かだ。


「どこに行くんだ。」

「第三区に有名な温泉宿があるんです。そこに行きたいねってなって、明後日二人で旅行代理店に行く約束してるんですよ。」


お土産買ってきますね。と楽しみからかそわそわしながらも嬉しそうに話す名前は「ご馳走様でした」とスプーンを置いた。

カランとグラスの氷が音を立てて崩れるのとほぼ同時に、残酷だなと内心呟きながらゆっくり瞬きをして立ち上がる。
レジでお金を払えば名前は「ごちそうさまでした。」とお礼を私に言い、次に「お腹いっぱいです。」と満足した顔をしながらすっかり暮れた夜空の下へと出た。


「実は私の今日の持ち金1000ユースしかなかったんで助かりましたー」


お前最初から奢ってもらうつもりだっただろう。と頭をコツンと小突けば目を逸らしながら、ふふふーと名前は笑った。

のんびりと食事を取っていたせいか時刻は21時を少し過ぎているというのに、名前は急に路地裏を指差す。

「こっち通ると近道なんですよ。奢ってもらったお礼に教えちゃいます。」と路地裏に入ってゆく名前に小さくため息を吐いた。
それくらい知っている。
この路地裏を出るとホテルが連なっているということも。
この女はそんな道を通って帰るというのか。


「名前、いくら近道だと言っても一人でこの道を通るなよ。」


この女のことだ、知らない男に連れ込まれかねない。


「へ?なんで?」

「なんででもだ。」


ホテル街を歩きながら、名前は小さく小首を傾げたが「はーい」と返事をした。
あと少しでこの如何わしい通りも終わる、と思ったところで、謂わばラブホテルから出てきたカップルがまだ雰囲気に酔っているのか外で堂々とキスしているのを見かけた。
目に毒だな、と目を逸らそうとして…やめた。
どこかで見たことがある男だと思ったからだ。

あの時見た男だ、と思い出した時には遅かった。

「アヤナミさんどうしたの?」と名前が私の視線の先を追ったのだ。
咄嗟に名前の目を左手で塞いだが、すでに遅かったのか、名前はその場に立ち尽くしたまま動かない。
ただ、目を塞いでいる手の下で名前が何度も瞬きを繰り返しているのだけが、手のひらに当たるまつ毛の動きから伝わってきた。

キスを繰り返していた男はこちらに気付かないまま背を向けて去ってゆく。
名前は私の手を退かすと、ただただ黙ってその男の背中を見つめていた。

ポツリと名前の口から男の名前が零れる。
そうか、名前の彼氏はそんな名前だったのか。と苦い気持ちになった。
略奪とか、などと考えていたが、名前のこんな表情を見たかったわけではない。

空っぽのような表情から一遍、男の後ろ姿が曲がり角によって消えたのを切欠に、その表情は見る見るうちに悲しみに歪んだ。


「ふ、ぇええぇぇぇ、っぅぐっ、ぇっ、えぇぇぇん!」


声を出しながら涙を流す名前の子どものような泣き方が妙に痛々しい。


「う、うぇぇえぇん。」


泣いてばかりの名前の手を握って「帰るか。」と言えば、頷きながらも泣く名前は私に大人しく手を引かれながら一歩後ろを歩く。


「ぅぅぅううっ、く、浮気するなんてばかぁああぁぁー。」


軍服のままでよかったと心底思う。
これで私服だったら嫌がる女をホテルに連れ込もうとしている男に見られただろう。
もしくは今の名前のセリフから私が浮気していると思われたに違いない。
名前が傷ついたことに比べればこんなこと比じゃないが。


「アヤナミさん!やっぱり今日は帰らない!朝まで飲むぅぅぅううぅぅ!」

「お前、さっき持ち金1000ユースとか言っていなかったか。それでよく朝まで飲むとか言えるな。」


誰が酒代を払うんだ、誰が。


「やだやだやだやだ!!飲むの!うぇえぇぇん!このまま帰ったらアヤナミさんの布団に涙と涎と鼻水つけてやるー!!」

「わかった、飲みに行こう。」


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