09



「いらっしゃいませー。」


何者でも受け入れます。そんな笑顔を浮かべて今日も一日バイト三昧。
お客様は神様で金づるです。をモットーに日々頑張っている私は、食器を重ねてキッチンへ運んだり、テーブルを拭いたりと大忙し。
春休みが終わったかと思えば、次にやってきたのは黄金週間。
つまりは稼ぎ時である。
暇だろうと忙しかろうと、お給料の金額が変わらないのはバイトの悲しい性だけど。


「ごめん、このテーブルのつまようじ補充して置いてくれる?」


たまにいるんだよねーテーブルに備え付けてあるつまようじ、ごっそり取っていくやつ。
一本一本袋に入ってるからってさ、一本残しで後全部取っていくなんてあんまりじゃないか。
どうせ取っていくなら全部取っていけばいいのに。
そんなことを忙しさでいっぱいの脳裏で思ったりしながら、春から入ったバイトくんに後は任せて、私は別のテーブルの片づけに入った。

お客様に呼ばれたらオーダーを取り、片づけたり、そして飲み物を運んだりと、てんてこ舞いである私の耳に『アヤナミ』という単語が入ってきた。

忙しくも声がした方を振り返ると、軍服を着た若い男2人がコーヒーを飲みながら語っており、私は一体どちらのアヤナミだろうと内心首を捻る。
私が知っている『アヤナミさん』なのか、それとも噂の『アヤナミ参謀』なのか。
とりあえず片づけながら耳を澄ましてみる。


「遠征疲れたなぁー。2週間とか長ぇよ。」

「わかるわかる。でも3週間かかる遠征が2週間で済んだだけでも喜ぶべきなのかもしれねぇよ?」


そんな会話に耳を傾けながら、そういえばアヤナミさんも2週間前に『明日から遠征だ。3週間前後は帰ってこない。』とか言っていたなと思い出す。
もしかしたら彼らと同じ所属だったりして。と思ったりもしたが、さすがにお客様に話しかける勇気はない。
まずこの忙しさだし、それに『は?誰それ、知らねぇよ』とか言われたら恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「いやー今回も参謀すごかったなぁ。あの人一人で制圧できるんじゃねって感じなんだけど。」

「強ぇんだけどなぁ…威圧感が半端ないっていうか、怖いんだよなぁ。」

「あー…ほら、3年前の第4区での内戦覚えてるか?」


テーブルを拭いていた私の手が止まった。
3年前の第4区での内戦といったら、私の両親が死んだ原因だ。


「あの時の指揮官アヤナミ参謀だっただろ?俺あの時あの人に畏怖したんだよなー。」


『無関係な人間は殺してはならない』という協定がありながらも、帝国軍によって殺されてしまった両親。
偶然にも2人で買い物に出かけて、偶然にも内戦に出くわして、そして偶然にも死んでしまった。
私を一人残して。

後々噂で聞けば『協定関係なく、抵抗するなら殺せ』という命令が上から下ったのだという。
つまりは…その時指揮官だったアヤナミ参謀からというわけなのだ。

私はテーブルを拭いていた台拭きをキツく握りしめた。

両親を亡くした時にできた傷が、3年経っても、いや、何年経とうと癒えるはずはなく、平和な毎日で忘れようとしていた憎しみという真っ黒いものがドロリと心の中に渦巻いた。




***



もはや人の家という感覚さえ薄くなってきた家に、深夜、2週間ぶりに帰るとリビングに名前が蹲っていた。
うぅ、うぅ…。といううめき声がわざとらしいため、また前のように倒れたわけではないらしい。


「何をしているんだ。」

「せ、生理痛がぁ〜。」


バイトから帰ってきたら生理きてさ…。と恥じらいもなく話しはじめる名前を無視して浴室に入る。
あの女には全くといっていいほど恥じらいというものがないらしい。
付き合っているわけでも、家族なわけでもない異性に、それも他人に生理がなんたらと言う女に出会ったのは初めてだ、と風呂から上がって未だ蹲っていた名前にそう言えば、「じゃぁ私が初めての女だね。」とウインクをしながら右手の親指を立てて力なく笑ったので、とりあえずその目障りな右手を軽く踏んでやった。

ソファに座り、赤ワインをグラスに注いで飲み始めながらもゴロリとうつ伏せになった名前を見下ろす。


「あまり顔色が良くないが。」


またバイトを詰め込みすぎているのではないだろうなと思い問いかけると、「生理中で貧血さ」という応えが帰って来たので「聞いた私が悪かった」と眉間の皺を揉んだ。


「アヤナミさんが赤ワイン飲んでるとさ、それが生血に見えてくるから不思議だよね、ぐふっ!」


さっきから小憎たらしい名前の背中を足で踏んづける。
如何にも元気がないと言った表情をしているのに、妙にしゃべりたがる強情さが腹立たしいので少し強めに。


「おーもーいー!」


うるさくも四肢をバタバタさせ始めたので足を下ろしてやると、名前はまたゴロリと横を向いた。
その瞳はこの場所ではない、どこか遠くを見つめているような気がしてならない。


「何かあったのか。」


名前は、私の口から零れ出た言葉は最早すでに疑問形ではないことに気付いているだろうが、だんまりを決め込んだまま今度はピクリとも動かなくなった。
静寂が訪れ、さてどうするかと考え始めた時、名前は「前さ、」とゆっくりと会話を始めた。


「歴史の先生になりたいって言ったでしょ?その切っ掛けね、お父さんが教師で、お母さんは歴史が好きだったからなんだ。」


両親の話をするなんて珍しい。
急に他界してしまった両親を恋しく思ってしまったのだろうかと思いながら、黙って耳を傾ける。


「でも3年前に死んじゃってさ。追いかけてた背中も、繋いでくれた手も失って。目まぐるしく毎日は過ぎて行ったけど両親が死んでたった3年、されど3年。アヤナミさんは3年前の第4区の内戦に参加してた?」

「あぁ。」

「協定があったよね?『無関係な人間は殺してはならない』って。覚えてる?」

「あぁ、覚えているな。」


確かあれは政府と対立しているカルト教団との戦いではなかったか。
カルト教団は『無関係』に位置する人間側にもまだこれから信者になる者は居ると信じており命は貴重だと、帝国側に協定を提案してきた。
しかしその協定が『信者を増やし、内戦に参加させるため』という裏を含んでいることに気付いていた政府側だったが、余計な死者を出すつもりはなく、それを受諾。
そのせいでと言っては何だが、思ったよりも長引いたのは確かだ。

その戦地にいる人間全員に制裁を奮っていいというわけではない宗教関係の内戦は今のところあの戦いが最初で最後であってほしいと思う。


「でもその協定は帝国側によって破られたんだよね…。」


破られた?
いや、そんなはずはない。
カルトはもちろん、帝国側も破ってはいないはずだ。
私は確かに命じたはずだ『無関係な人間は殺すな、協定に従え』と。


「お父さんとお母さん、その内戦で死んじゃったんだ。その内戦の話を今日カフェに来てた人たちがしててね、思い出しちゃって…。」


猫のように丸くなり、膝に顔を埋めた名前に、ソファに掛けてあったブランケットを半ば投げるようにして掛けてやった。


「やり残した仕事を思い出した、軍へ戻るからお前はもう寝ろ。」


あのカルト教団は朝昼晩の礼拝に鶏肉以外の肉を食べていなかった。
もし名前の両親がそのカルトに入っていたとしたら、今の名前は知らず知らずに肉を口にしなかったり礼拝を行っていただろうが、この半年ほど一緒に住んでいる間そんな光景は見たことがない。
つまり、名前の両親は本当に無関係の人間だったと言える。
なら何故死んでしまったのか。


ソファから立ち上がり、未だ寝転がっている名前の横を通り過ぎると「ねぇ、参謀さんってどんな人?」と声がした。
ブランケットの中から聞こえてくる声はくぐもっていたが、妙にはっきりと聞こえるのは、どこか嫌な予感がしているからだろう。


「…さぁな。」


3年前、私の指示によって終結した内戦は、その当時話題になった。
もちろん私の名前も出ていたはずだ。

名前は知っているのだ。
『アヤナミ参謀』が3年前の指示を出したということを。


「どうして無関係な人の命まで奪えるのかな。」

「何が言いたい。」


煮え切らない会話にイライラするでもなく、モヤモヤするでもなく、ブランケットで表情の伺えない名前を見下ろす。

彼女は今感情的になっている。
女が感情的になってる場にいていいことなんて一つもないはずだ。

なのに一言一句聞き逃すまいとしているのは、惚れた弱みなのだろうか。


私の心情を知らない名前は、ズッと鼻を啜った。
きっとブランケットの下で泣いているのだろう。


泣きやむまで側に居てやるかと踵を返した次の瞬間、彼女から発せられた言葉にひどく動揺した。


「なんで…、なんで…私の両親は死んだのに、その参謀さんは生きてるんだろう。」


一瞬、息の仕方を忘れた。


「その参謀が死んでしまえばよかったのに。」


- 9 -

back next
index
ALICE+