今はただ息を潜めろ
「やぁ。」
士官学校を卒業して数日が経った今日、私は初めて着る軍服に身を包み気持ち新たに清々しい気持ちでいっぱいだった。
なのに、
「久しぶりだね、名前ちゃん。」
これから直属の上司だと紹介され、こちらに爽やかな笑みを向ける彼は私が昔付き合っていた人だった。
***
「名前みーっけ♪」
今日から入隊することを前もって知らせていたせいか、仕事中にも関わらず背後から近寄って来たお兄ちゃんに抱きつかれた。
ブラックホークで少佐をしている兄、ヒュウガはいつでもどこでもこのテンションなのだが、なんていうかもう、今日はお兄ちゃんのこのテンションについていける気がしない。
「あれ?なんでそんな入隊初日から疲れてるの?」
「だって、」
「少佐、この方が妹さんですか?」
お兄ちゃんの背後から現れたはちみつ色の髪をした青年は、お兄ちゃんが「うん♪可愛いでしょ♪」と頷くと少し驚いた表情を見せた。
「少佐と違って純粋そうな方ですね。」
「コナツのそれは天然なのかな?それともイジメなのかな??」
怒るでもなく笑うでもなく、お兄ちゃんはどこか遠い目をしながら私の頬に頬ずりしてくるものだからくすぐったい。
「コナツさんですね、お話は兄から聞いてます。いつも兄がお世話になってます。妹の名前です。」
「コナツ=ウォーレンです。入隊したばかりで大変だろうけど、頑張ってね。」
「はい!ありがとうございます!」
べったりとくっついてくるお兄ちゃんを引き剥がしながら敬礼すると、コナツさんは敬礼を返しながらニコリと笑った。
中性的な顔立ちの彼の笑みといったらそれはもう可愛らしいにも程がある。
お兄ちゃんもそうだけど、コナツさんもブラックホークだなんて顔にせよ性格にせよ、冷酷非道と噂の彼らがそうだと中々実感が湧かない。
「今日は入隊祝いってことで晩御飯は名前の好きないつもの店に食べ行こっか。」
「やった!仕事頑張って終わらせてくる!じゃぁお兄ちゃん、私、まだ仕事中だから戻るね。」
「ん?さっき何か言いかけなかった?」
「あー……うん、夜話す!じゃーね!」
入隊初日からサボっていると思われるわけにはいかない。
私は半ば強制的に会話を終了させるとそのまま部署の方へと駆けた。
落ちていたテンションも先ほどに比べたら随分と上がったものだ。
現金だと我ながら思うが、なんてったってお兄ちゃんに会えたのだ。
「相変わらず仲良しだね。」
角を曲がると、直属の上司であるソラ隊長が立っていた。
どうやら私が戻ってこないことに気付いて迷っているのかと探しに来てくれたようだ。
しかしよりによってお兄ちゃんと一緒にいるところを見られるなんて。
気まずさから目を逸らすと彼は小さく笑った。
「しかもスキンシップが激しいったら。ヒュウガの名前ちゃん溺愛っぷりはずっと知ってたけど、目の当たりにするとよっぽどだなぁ。」
棘があるのはきっと気のせいじゃない。
思い当たる節がある私は言い返す言葉が思い浮かばずに唇だけを尖らせた。
だって仕方がないじゃないか、私はお兄ちゃんが好きなんだから。
それも恋愛的な意味で。
「ソラさん…、ソラ隊長は少し意地悪になった気がします。」
「そうかな?昔と変わらないよ。名前ちゃんだって変わってないだろ?何にも、ね。」
含みのある言い方をする彼は私のこの想いを知っているからに他ならない。
私たちは、まだお兄ちゃんが士官学校に入る前からの知り合いだった。
お兄ちゃんと同級生だったソラさんはよく家に遊びに来ていたし、その頃の私は何処へ行くにもお兄ちゃんの後ろをくっついてまわっていたので、自ずとソラさんとも遊ぶようになり、2人が士官学校に入る頃、私はソラさんに告白されて付き合ったりもしたのだが…私の想いはソラさんではなくお兄ちゃんに傾いてしまったのだ。
『別れようか。好きな人が誰を見ているか(好きか)くらいわかるよ』そういったソラさんと別れた時にはもう、私の気持ちは完璧にお兄ちゃんへとあった。
元より私とお兄ちゃんは血が繋がっていない。
最初こそ『お兄ちゃんができた!ずっと欲しかったの!』と喜んだものだが、今となってな枷でしかないのだ。
『いくら義理とはいえ兄妹なんだよ。きっと周りには良く思われない。』別れ際にソラさんが私に言った言葉が今も忘れられないのは、きっと私も心のどこかでそう思ってしまっているからなのだろう。
あの頃から私は、何一つ恋に動けないでいる。
「言っておくけど、僕も変わってないよ。気持ちは君と付き合ってた頃のまま。」
なんてったって、君が僕の初恋だからね。と笑うソラさんもまた、動けないでいる一人なのかもしれない。
それでも私は、今も尚お兄ちゃんが好きなんだ。
「あの頃は君を可愛いと思ってたけど、綺麗になった君を見たらやっぱり別れなきゃよかったって後悔してる。」
「…わ、たしは…」
「知ってる。いいよ言わなくても。誰にも言わないし無理強いもしないよ。だってさ、君は今僕の直属の部下でヒュウガより一緒にいる時間はたっぷりあるんだから。」
そういって笑ったソラさんの笑みが、ひどく真っ黒に見えたのは気のせいだったらいいな、なんて思った昼下がり。
***
「え、ソラが上司?!?!」
告げた私のタイミングが悪かったのか、驚いたお兄ちゃんは口元に運んでいたフォークから生ハムを皿の上へと落とした。
それほどに驚いたのか、未だに口を開けているヒュウガは少しだけ脳内で逡巡したあと「ソラのやつ…」と、フォークをお皿に突き刺して悔しがった。
士官学校に入る前からの友人であり同期でもある2人は今も仲が良いようでたまに飲みに出かけててもいるようだ。
なのに黙っていたことが確信犯の何ものでもない。
確実に数日間には私が部下になることを知っていたであろうに。
お兄ちゃんを出し抜ける人なんて早々いないが、昔からずっと一緒にいるからこそお兄ちゃんはどこかでソラさんに対して気を抜いていたのだろう。
まさかそれが仇となるとは思っていなかっただろうが。
「お兄ちゃんもソラさんも軍に入ってるのは知ってるけど、まさか上司になるなんて思ってもなくてびっくりしたよ。」
「名前、セクハラされたらどうするんだったか覚えてるよね?」
「はいはい。『お兄ちゃんに真っ先に言うこと!』でしょ。」
もう耳だこだ。
一体お兄ちゃんは私にセクハラした人に何をするつもりなのか。
士官学校入学時には『教官とクラスメイトに気を付けろ』で、卒業後は『上司と同期に気を付けろ』と来た。
誰も私にセクハラなんてしないっての。と心の中で呟いた瞬間、『綺麗になった君を見たらやっぱり別れなきゃよかったって後悔してる。』と昼間に聞いたソラさんの言葉が脳裏に浮かんだ。
……前言撤回だ。
あの人、お兄ちゃんと一緒でお腹真っ黒だから。何考えてるかイマイチわかんないから。
「あれだ、類ともってやつだ。」
「何が?」
「なーんでも。」
ピザに手を伸ばした私にお兄ちゃんは首を傾げたけれど、深く追求してくることはなかった。
***
「あ、名前♪今日お昼一緒に食べない?カツラギさんのご飯前に食べてみたいって、」
「ごめんお兄ちゃん!今日忙しいからまた今度!」
廊下ですれ違ったお兄ちゃんにお昼を誘われたが、私は立ち止まることなく断ると半ば駆け足で他部署へ急いだ。
『今日忙しいって…ここ最近ずっとだよね。』と呟いたお兄ちゃんに気付くことなく書類を運び終えると今度は自分のディスクに戻って書類整理。
うんざりするが仕方ないと諦めるしかない。
入隊してそろそろ1か月が経つが、お兄ちゃんとゆっくりご飯に行けたのも入隊初日以来だし、まともに話だってできてない。
それもこれも私が入隊してすぐに、同じ部署のやり手の女性が躓いて階段から転げ落ち、聞き手をポッキリ折ってしまった上に、上層部が何故か急に溜まっていた仕事を次々処理してこちらへ回してくるためだ。
なんて不運。
こればかりは本当に仕方がないのだ。
というか、なんでお兄ちゃんは女性の軍人さん達と一緒にいることが多いんだろう。
今日は一人だったが、この1ヵ月で何度そんな現場を見たことか。
別にキスしてたわけでも、お兄ちゃんの鼻の下が延びていたわけでもないから彼氏彼女じゃないことはわかるけど、なんか距離が近いのが気になるところ。
女性からのスキンシップだって激しいし、この前なんてお兄ちゃんの腕に抱きついてたのだ。
イライラしてくると同時にその女性が羨ましくなった。
私は『妹』としてしかお兄ちゃんの側に居ることが出来ないのに。
『妹』という枠から逸脱することさえままならない。
その枠を超えてしまえば、お兄ちゃんの自慢な『可愛い妹』ではなくなってしまう。
今は沈んでいる暇なんてないが、こっそり小さくため息を吐きだす。
「ため息に交じって、この想いもどこかへ行ってくれたらいいのに、。」
なんて思ってもないことを呟いたりして。
「お疲れ、名前ちゃん。」
ソラさんの声がしたと思ったら、コトリと私のマグカップが机の上に置かれた。
そのマグカップからは香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。
「す、すみません!私が淹れないといけないのに!」
「気にしないで、僕がちょうど今コーヒー飲みたかっただけだから。それに他の部署にばかりお遣いで出されて疲れてるだろう?」
「いえ、これくらいなんてこと、」
正直ぶっ倒れそうなくらいキツイ。
キツイけど、それは私だけじゃなくてこの部署の皆なのだ。
つい数日前からは過労で倒れてしまった人もいるし、今が山場なのだから弱音を言うわけにもいかない。
そう思って笑顔を浮かべた私の下瞼を、ソラさんは親指の腹で撫でた。
「隈、できてる。」
う゛。痛いところを。
化粧でできるだけ隠してはいるものの、濃いそれは中々上手く隠れてくれない。
恥ずかしいのであまり見ないでくださいと顔を両手で隠すと、ソラさんは「今度添い寝してあげようか?」と冗談めかして小さく笑みを浮かべた。
目は全然笑ってないけど。ものすっごく本気っぽいけど。
「冗談言ってる暇ないですよ、ソラさ、隊長。」
「呼び方、まだ慣れないね。」
「『ソラさん』って呼んでた時間の方が多いですから。」
「確かにそうだね。だったら無理して隊長って呼ばなくてもいいよ。」
「それは駄目です!他の人に示しがつかなくなりますから!」
「うん、だから、2人きりの時だけ、ね?」
ソラさんは私の耳元で囁き、妙に意味深な言葉と笑みを残して自分のディスクに向かった。
そんな彼の後姿を見つめながら、これから絶対何が何でも『隊長』と呼ぶことにしようと誓った。
なんか今、身の危険を感じたのだ。
椅子に座った彼から目を逸らしながら気を取り直して仕事の続きをしようとペンを握り直した時、「あ、名前。」と同期に声を掛けられ、スッと小さな手提げ袋を差し出された。
「はい、これ。ブラックホークのヒュウガ少佐から。」
「え?!お兄ちゃんから?!?!」
手渡された袋の中には小さな保温バックが入っており、その中にホカホカのホットタオルが入っていた。
さっきすれ違った時にほんの数秒の間だけで私の隈に気付いたのだろう。
すぐに執務室の出入り口を見たが、そこには誰も居らず、せめてありがとうとお礼を言いたかったなと目線を戻す。
「呼びましょうかって言ったんだけど、忙しそうだからって。優しいんですねっていったら可愛い妹だからねって惚気られちゃった!良いわねぇ、強くてかっこよくて気が利く優しいお兄さんなんて!」
同期であり友人でもある彼女はうっとりとした後、次々自分のディスクに溜まっていく書類に気付くと「じゃ!」と片手を上げて向かいの机に座った。
私はホットタオルを取り出しながら、カサリとメモが入っていることに気が付いた。
『今度添い寝してあげよっか?』という何ともくだらない内容だったが、私の表情を緩めるのには十分だった。
昔からそうだ。
お兄ちゃんはいつの間にか私を笑顔にしてしまうんだ。
私は一人顔を上に向けてほかほかのホットタオルを目の上に乗せた。
じんわりと暖かさが伝わってきてあまりの心地よさに息を吐き出すと少しだけ涙腺が緩んだ。
大変な時に優しくされるといつもより余計に感動してしまうのは心が弱ってしまっているからだろうか。
ただでさえ好きなのに、これ以上好きになったら私ってばどうなるんだろう。
「やっぱり…好きなんだよなぁ…。」
お兄ちゃんを好きだと気付いたのはソラさんと付き合っている時で、彼といるよりも友達といるよりもお兄ちゃんといる時の方が一番楽しかったのだ。
そして何より安心感を与えてくれる。
だからソラさんには申し訳ないけれど昔も今も、私はお兄ちゃんが好きだ。
きっとこれからも。
だけどお兄ちゃんの中で私は『可愛い妹』でしかないのだろう。
それでもいいと思っていた時期もあったけれど、…多くを望むなら、私はお兄ちゃんの、ヒュウガの恋人になりたい。
***
「…名前、大丈夫かい?」
ここ数日全然寝てないだろう?とソラさんが心配してくれているようだが、どこか遠くから声を掛けられているように感じる。
大丈夫、大丈夫だ。
後この机の書類さえ終わらせれば明日は久しぶりにゆっくり休めるのだ。
それに数日後には骨折した先輩も戻ってくる。
これを乗り切れば大丈夫だ。
瞼が重いけど、頭がぼーっとするけどなんてことない。
「ソラさんだってあまり寝てないじゃないですか。」
「僕は君と違って男で体力があるし、徹夜だって慣れてるけど、君はそうじゃないだろう?この最後の書類は僕がやっておくから、もうゆっくり休んできていいよ。」
「でも…、」
「ほら、いいから。」
ソラさんは問答無用とばかりに私から書類を取り上げた。
ものすごく申し訳ないし、元彼が上司でやりにくいと思っていたが、この時ばかりはこの人の優しさが有り難かった。
「ではすみません、お言葉に甘えます。」
自室に帰るために椅子から立ち上がると、何故か天井が見えた。
「名前ちゃん!」
ソラさんの焦った声が聞こえる。
あれ?と思った次の瞬間には、私の視界は真っ黒になった。
***
「倒れるまで部下の体調不良に気付かないなんてね、ソラ。」
「うるさいよ。大体妹の事毎日どこかしらで見てた君だって気付いてなかっただろう?」
「オレは気付いてたけど♪?」
「気付いてても真面目な名前を止められなかったら一緒だよ。同罪だね。」
「…ソラと同罪とか嫌なんだけど。」
「それは僕のセリフなんだけどな。」
「大体いつになったら名前は目覚ますの。」
「さぁね。しばらく寝てなかったからまだもう少し寝てるんじゃない?ほら、今もあどけない寝顔してる。可愛いよね。久しぶりに会ったけど美人になったしさ。」
「その口閉じてくれる?名前が可愛いのは前からだよ。」
「はいはい。うるさいお兄さんだね。」
「ソラにお兄さんって呼ばれたくない。っていうか呼ばないで。」
「君のそれ、シスコンの度合い超えてるよね。」
「知ってる♪」
「うわ、性質悪いなー。」
……どうしよう。
お兄ちゃんとソラさんの声が聞こえる。とか夢うつつで思ってたら起きるタイミング見失った!!!
完璧見失った!
会話が会話なだけに寝たふりしてるはずなのに息を潜めそうになってしまう。
しかもかれこれ2〜3分はこの状態のせいでいい加減辛い。
もういいかな、もう目開けてもいいかな。
そう思っているとソラさんが「僕、後少しだけ仕事が残ってるから戻るね。」と切り出してくれた。
ナイスだソラさん!
ソラさんが出て行ってから適当に目を覚ますのが一番いいんじゃないだろうか。
「本当は君と名前ちゃんを2人きりにはしたくないんだけど…、まぁいいか。今は君より僕と名前ちゃんが一緒の時間を過ごす方が多いしね。」
「言っておくけどソラ。オレ悔しいとは思ってないよ♪だってさ、君と名前が一緒にいる時間って同じ部署の子もいるわけでしょ?確かにソラは名前と『一緒にいる』時間は多いかもしれないけど、オレは名前と『2人でいる』時間の方が今でも多いから、別に気にする必要なんてないんだよねぇ♪じゃ、お仕事頑張ってね、ソラくん♪」
「ホント腹立つよね君って!」
このサボり魔!と暴言を吐いたソラさんの足音がこの部屋から聞こえなくなった。
どうやら部屋を出て仕事へ戻ったようだ。
あの温厚なソラさんに暴言を吐かせることができるお兄ちゃんがすごいと思う。
もちろんいい意味ではないけれど。
「で、名前はいつまで寝たふりしてるのかな?」
お兄ちゃんの言葉に私は一瞬フリーズしたけれど、すぐにおずおずと瞳を開いた。
「バレてた?」
「オレにはね☆水飲む?」
「うん。」
どうやらここは私の自室のようだ。
内心ホッとする。
あんな小っ恥ずかしい会話、救護室でされていたら今すぐその場を立ち去りたくなるところだった。
お兄ちゃんがキッチンから水を持って来てくれたため、ベッドから上半身をいつものように起こそうとすると、くらりとまた軽い眩暈が襲って、私はベッドに舞い戻ってしまった。
「急に起き上がるからだよ。ほら、」
お兄ちゃんは私の背中を支えるようにゆっくりと起こしてくれると、私はそのまま水を受け取り、2口ほど水を乾いていた喉へと流し込んだ。
「まだ寝てないとね。」
そう言ったお兄ちゃんにまた支えられて布団の中に潜り込む。
そうすると、お兄ちゃんはベッドの淵に腰を下ろして「馬鹿名前。」と軽く睨むように見下ろしてきた。
「何が?」
「何がじゃないよね?オレ、心配したんだけど?執務室に『名前がが倒れたんです!』って君の同期から内線掛かってきてオレがどれだけ心配したか分かるかなぁ、名前ちゃん♪」
「わかりました!すみませんごめんなさい!お願いだから怒ってる時に笑わないで!余計怖いから!」
「全然わかってなさそー。」
ジト目がお兄ちゃんのサングラス越しに見えた。
やばい、これはかなり心配かけたようだ。
「分かったよ。今だって仕事中なのに側にいてくれてるんでしょ?」
「でも名前は真面目だから、倒れはしなくても似たようなことにはなりそうだよね。」
「…キツイけどそれは私だけじゃないから。」
同じ部署の皆だって大変だったのだ。
「でも心配してる人がいるってことは覚えておくこと。可愛い妹が倒れたって聞いてすごく心配したんだから。」
「心配したのは私が妹だから?お兄ちゃんは私が妹じゃなかったら心配しない?私が妹じゃなくなったら嫌?」
唇がひとりでに動いた。
発した言葉に気付いたのは、目の前のお兄ちゃんが目を丸くしたからだ。
「それって…、」
「今のなし!」
ばふり、と布団を勢いよく被り、一先ずお兄ちゃんの視線から逃げる。
無理だ、こんな空気耐え切れない。
ただ頭の中で思った言葉が勝手に口から出ただけなのに。
「嘘だから!今の嘘!ほら、今体調悪いから弱音出ただけ!ごめん、ちゃんと妹でいるから。」
布団の中で叫ぶと声がくぐもって聞こえた。
しかしこの声量だ、お兄ちゃんに聞こえていないはずもないだろう。
なのにすぐには反応がかえってこない。
不審に思っていると、お兄ちゃんは何故か急に私の布団に潜り込んできた。
勝手に人のベットに横になるし、顔を隠していた布団は肩口までしっかり下ろされるし、急な出来事に頭がついていかない。
「な、なにしてるの?!?!」
「前言ったでしょ?添い寝してあげるって♪」
添い寝?
あぁ、あのホットタオルの時か。
言ったっていうか、書いてあったっていうか…え、なに、何でそんなに機嫌が良いの。
「今の言葉都合よく取っていい?」
体をこちらに向けるお兄ちゃんとの距離はすでに1センチとない。
ぴったりとくっついていてお互いの体温がわかるくらいだ。
「あのね名前、心配したのは名前がオレにとって誰よりも大事だから。好きだよ、名前。名前がオレの恋人になってくれるなら、妹じゃなくなってもいいかな♪」
名前もそれを望んでるみたいだしね。と笑ったお兄ちゃんがあまりにも嬉しそうに、それでいて意地悪そうに笑ったため、私は何も言うことが出来ずに肯定とばかりにお兄ちゃんの胸板に顔を埋めるように抱きついた。
「あー…やっと手に入れた。」
安堵するようだ言葉が頭上から降り注ぎ、一体今お兄ちゃんはどんな表情をしているのかと顔をあげると、掠め取るように私の唇にお兄ちゃんの温もりが触れた。
今はただ息を潜めろ
(きっと、彼のいつもより速い鼓動が聞こえるから)
〜おまけ〜
「ご機嫌ですね、少佐。」
会議に向かう中、明らかに浮き足立っている男が1人。
「んーまぁね♪今日仕事終わったら名前とデートだからね♪」
これから少佐の嫌いな会議だというのにこのテンション。
恋とは恐るべし。
いや、名前さんの存在が恐るべしなのか。
「でも意外でした。」
「何が?」
「少佐は昔から名前さんのことが好きだったんですよね?少佐のことだから好きな子は絶対にどんなことをしても手に入れるタイプだと思っていたので、当の昔に想いを告げているものだと…。」
どちらかというと、少佐は白黒はっきりつけたいタイプに見える。
だからこそ、兄妹には見せかけていたものの、あの宙吊り状態の関係が保てていたことに違和感しか感じない。
「まぁ…ねぇ……。オレは初めて『新しいお母さんと、妹だよ』って父親に連れられて、初めて名前に会った時から好きだったけど、」
「そんな前からですか?!?!」
「だけど、あんまりにも名前が『お兄ちゃんできて嬉しい!ずっとお兄ちゃん欲しかったの!』って顔もするし、態度にも出すからね…。だったらオレはお兄ちゃんでいようって思ってたんだけど…今思えば慣れない我慢なんてしなきゃよかったよねぇ。」
少佐に特定の恋人がいないことは知っていたけれど、まさかそんなに長い間片思いしていたとは。
意外と辛抱強いのかもしれない。
だったらもう少し真面目に仕事してくれたらいいのに。
「あ、名前だ♪」
少佐の声に反応して目を凝らすと、前方から書類を抱えてこちらへ歩いてきている名前さんが見えた。
まだ遠くだったのに、それでも見つけてしまう少佐は目敏いと思う。
そう言うと「愛だよ、愛♪」とウインクを一つしてくるものだからこちらとしては苦渋の表情を浮かべるしかない。
近づいてきた名前さんに『その書類どこ持って行くの?』と少佐は尋ね、『重そうだから持ってあげるよ。』と言ったけれど、名前さんから返って来たのは『大丈夫』という断りだった。
まぁ、周囲からは義兄妹、2人がどんな仲か知ってる人たちの中では恋人同士とはいえ、上司で少佐に持たせるわけにはいかないと思っているのだろう。
そういった公私混同しない名前さんにはとても好印象が持てる。
ボクの隣では少佐が不満げに口を尖らせているけれど。
「名前さん、もう体調は大丈夫なの?」
つい先日倒れた名前さんだったが、今は大分顔色も良くなっている。
仕事も次第に落ち着いてきたそうだし、骨折していた先輩も帰ってきたらしく、最近はすっかり平穏な毎日を送っているようだ。
睡眠も休日も取れることが素晴らしいことだときっと学んだことだろう。
ボクも少佐のおかげで(せいで)学んでいることの一つなのだから。
「はい!もうばっちりです!いやーまさか自分が倒れるなんて思ってもなかったです。」
「そんなに仕事多い部署だったっけ?」
そう問うと、上層部が急に溜まっていた仕事したとかで、下の私たちに後処理が全部回ってきたのだという返事が返ってきたが、『上が急に溜まっていた仕事した』というフレーズが妙に引っかかった。
あれ?なんか、……あれ?とボクが考えている間、少佐は名前さんに抱きついたり頬っぺたにキスしたりと相変わらず激しいスキンシップをして名前さんに怒られていた。
その名前さんの顔が赤いから迫力もなければ説得力もないけれど。
「コナツさんいるのに!」
気にしてません、名前さん。
少佐は前から名前さん馬鹿でしたから。
名前さんが軍に入る前から、うんざりするほど名前さんの話聞かされてましたから。
「もう仕事に戻ってよ!」
そうだった、少佐も今から会議なんだ。
こんなところで話している場合ではない。
戻ったら仕事をしてもらって…、あれ、でも今は書類あまり溜まってない……って、そういえば少佐は『名前と会う時間増やしたいんだよねぇ♪だからアヤたんに『仕事しろ』って椅子に縛られて残業するくらいならちゃんと仕事しよっかなって☆』とここ最近まともに仕事をしてくれた少佐を鮮明に思いだした。
あれ?もしかして名前さんの部署に大量の書類が急に来たのって…もしかして少佐が仕事をしたから?
名前さんの部署は上層部の書類を更に処理する仕事だった…はず……。
「……。」
「コナツさん?どうしたんですか?」
「…い、いや…なんでも……」
気付いてしまったが、素直に教えてあげると『オレが仕事すると名前が忙しくなって会えないなら、じゃぁ仕事しないでおこっと♪』となることは火を見るより明らかなため、名前さんには悪いが黙っておくことにした。
いちゃつく2人を目の前にしているせいか、不思議と罪悪感はない。
今はただ息を潜めろ
(ボクの保身のために!!)
しかしそんな平穏もほんの数日で終わりを告げてしまうのだけれど。
聡く鋭い少佐がその事実にも気づき、またすぐに仕事しなくなるのはそう遠い未来ではない。
END
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