恐怖が消え去る日
「あ、乗ります!」
閉まりかけていたエレベーターの扉をすり抜けて乗り込めば、そこには私なんかが一緒のエレベーターに乗るのもおこがましいほどのお方が1人乗っていた。
ドクリと心臓が跳ねる。
嘘か真かはわからないが、悪い噂ばかりされているアヤナミ参謀とは、エレベーターを降りるまでのたった数十秒とはいえ2人きりになるのは避けたかった。
無理矢理乗り込まずに大人しく次のエレベーターを待てば良かったと後悔しても遅い。
内心オドオドしている私を余所に、冷気を纏い、佇んでいる彼はそんな私を一瞥するなり8階を押してくれた。
すでに12階のボタンが押されていたため、アヤナミ参謀は私のために押してくれたのだろう。
何故8階が行先だとわかったのか知らないが、『アヤナミ参謀だから。』ですべてに説明がつくと私は勝手に思っている。
3階、4階、5階と、次々光る電光板を、早く8階について!!と願いを込めて見守るがもちろん急激に早くなるわけもない。
しかし途中で誰かが乗ってくるでもなく7階を表示した時だ。
ドコン!!という音がどこかから聞こえて来たと同時にエレベーターが上昇を止めた。
一瞬エレベーター内は真っ暗になったのち、すぐに予備電源へと切り替わったのか煌々と電気が点く。
「…と、止まった??」
冗談でしょ!と内心悲鳴を上げながら、アヤナミ参謀が非常ボタンを押して外と連絡を取ろうとしているのを呆然と眺める。
しかし、アヤナミ参謀が非常ボタンを何度押してもうんともすんとも返答は返ってこない。
「ど、どうですか?」
「見ての通りだ。」
恐る恐る声を掛けると、参謀はボタンを押すのを止めて肩を竦めて見せた。
何諦めモードに入ってるんですかぁっ!!と泣きたいのを堪え、私も非常ボタンを押すが、やはり反応はない。
「うそ…。」
「エレベーターが止まっているのはわかっているはずだ。大人しく救助を待つのが得策だろう。」
この状況で平然としているアヤナミ参謀に感服する。
私には到底無理だ。
今ここで泣きたい。子どものように泣きじゃくりたい。
『アヤナミ参謀と2人きりなんて怖すぎて耐え切れない』と。
最初こそ壁に寄りかかって打ちひしがれていたが、このエレベーターという密室での静寂に耐え切れなくなってきた私は、このまま助けに来てくれないんじゃないかという押し寄せてくる不安と相俟って参謀に話しかけることにした。
「外で…何かあったんでしょうか?」
思えばエレベーターが止まる前、ドコン!という何かが壊れたような派手な音が聞こえた。
それも階下から。
もし敵が襲ってきたのなら余計こんなところで足踏みしている場合じゃない。
「どうだろうな。」
どこか他人事の参謀に若干頬を膨らませながら、壁に背を預けたままズルズルと座り込んだ。
こんなことになるんだったら階段を上った方がマシだっただろう。
小さくため息を吐きながら暖を取るように右腕を摩った。
どうしよう、このエレベーターの中、寒い。
もう少し人数がいれば暖かかったかもしれないが、いるのは2人だし、その上もう一方はその鋭い双眸から冷気を出しているのかと思えるほどのお方だ。
寒くないわけがない。
困ったな、と思っているとバサリと上着が頭上から降って来た。
手に取りながら上を見上げるとアヤナミ参謀が「着ていろ。」とこちらを見下ろしている。
「そんな、悪いです!」
「うるさい、黙って着ていろ。」
その物言いはピシャリと厳しくも感じたが、今はとてつもなく有り難かった。
お礼を言いながら袖を通したそれは案の定大きく、暖を取るには十分だ。
「暖かいです。」
「そうか。」
先ほどとは打って変わって、『なら良かった。』と言わんばかりの柔らかい声色に私は若干驚きながら、未だ立ちっぱなしの彼を見上げる。
恐ろしい人とばかり思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。
どうやら私は噂に耳を傾け過ぎていたらしい。
自嘲していると、こちらを見下ろしている彼と目が合った。
変に逸らすのも憚れて、かといって何かしゃべるわけでもなく瞬きを繰り返していると、ブルリとポケットが震え、そこで漸く携帯という存在を思い出した。
あまりの不安と恐怖ですっかり抜けていたようだ。
携帯にはメールが一通届いており、開き見た内容に唖然とせざるを得なかった。
「あ、あの、今同僚からメールが来たんですけど、」
今どこにいるの?姿見えないけど大丈夫?という見出しから綴られているメールにはすべての経緯が書いてあった。
「さっきの大きな音、…ヒュウガ少佐が侵入者とやりあっている内にザイフォンで建物の一部を破壊しちゃったみたいです…。」
お宅のヒュウガさんは一体何してくれちゃってんですか。と遠い目をする中、エレベーター内の気温がまた1度下がったような気がした。
「それで、エレベーターが止まっちゃったみたいで…。」
「外部と連絡は取れそうか?」
「あ、はい。とりあえず同僚に電話して……」
みます。と続くはずの言葉は声となることはなかった。
真っ黒になった画面を呆然と眺め見た後、無言のまま参謀を見上げ、呟く。
「充電、…切れました……。」
その声は自分が思っていたよりか細く、泣きそうだった。
今日の私の運勢は一体何位だったんだろう。
さっきから泣きたくなる出来事ばかり起きる。
アヤナミ参謀のため息は聞こえるし、できるものなら消えてなくなりたい。
「すみません……。あ、でも、アヤナミ参謀は携帯お持ちではないですか?」
「今は持ち合わせていないな。」
なるほど、携帯を携帯しない人か。
これで完璧外部との連絡の術は断たれたわけだ。
「あ、思い出した。今日の運勢…最下位だった…。」
「なんだ、意外と余裕そうだな。」
「…そう見えますか?」
「安心しろ、どうせカツラギ辺りがすぐに気付く。」
部下を信頼しきっている言葉に私も何だかつられるようにホッとしたのも束の間、ついには予備電源も落ち、一瞬にして視界は真っ暗になった。
「や、やだ、うそっ!」
神様仏様アヤナミ様、私が一体何をしたというのですか。
思わず立ち上がってオロオロしていると、アヤナミ参謀にぶつかってよろけてしまった。
「落ち着け。パニックになるな。」
よろめいたところを肩に腕を回されて支えてもらうが、それどころではない。
いつもの私ならアヤナミ参謀に触れた瞬間土下座でもしてぶつかったことを謝り倒しているだろうが、今の私は普通じゃないのだ。
何を隠そう、私は睡眠時にもヘッドライトを点けているくらい暗闇が好きではないのだから。
「とりあえず座れ。」
そんなこと言われても、座るって何、座るって何だっけと暗闇の中目まぐるしく脳がグルグルと回っている。
しかしそんな私はお構いなしに半ば押し付けられるようにして、肩を抱かれながら2人並んで座った。
右側にアヤナミ参謀がいるのは感触からわかるが、何も見えない暗闇の中を模索するように手を宙へとさ迷わせれば、右手を掴まれ、もう一度「落ち着け」と宥められる。
「暗闇は苦手か?」
「小さいころ…当時私が大の苦手だったキョンシーの恰好をした兄が、面白目的で私を脅かそうと暗闇の中背後に立っていたことがあって…。それ以来…こんな感じです…。」
「キョンシー?あの異国の妖怪か?」
今、半笑だったような気がする。
参謀が半笑とか想像つかないけど、絶対半笑だった気がする。
「アヤナミ参謀からしたら妖怪の1体や2体別に平気かもしれませんけど。」
「そう拗ねるな、悪かった。怖いなら目でも瞑っていろ。」
やっぱり笑ったんだこの人。
「笑うなんてひどい。」
「なんだ、エレベーターに乗った時とは違って今はえらく威勢がいいな。乗り込んできた直後はどこの小リスかと思ったんだが。」
「だってアヤナミ参謀怖いんですよ!」
「なら離れるか。」
「いやー待ってー!!嘘ですごめんなさい、アヤナミ参謀よりキョンシーと暗闇の方が怖いんですー!」
離れようとしたアヤナミ参謀の服を掴んで引き止めながら、情けなさと暗闇というか、暗闇の中からキョンシーが出てくるんじゃないかという恐怖で目尻に涙が浮かんできた私を、参謀はまた抱き寄せて目尻の涙を拭ってくれた。
気が動転していてハッキリとはわからなかったが、気のせいじゃなければ唇で吸い取られたような気がしないでもない。
「い、今、…」
「なんだ?」
「…もしかしてアヤナミ参謀、見えてます?」
「少なくとも名前よりは夜目が利くらしい。」
なんて羨ましいんだ。
いや、やっぱり私は見えなくていいかもしれない。
見えたら見たくないものまで見えてしまいそうだ。
しかし最初に比べて落ち着きを取り戻せているように思う。
触れているところから恐怖を取り除かれているようだ。
「知らなかったです…参謀、女ったらしなんですね。」
唇を寄せられたらしい右の目尻を触って顔を逸らせば、「名前限定でな。」という摩訶不思議な言葉が降ってきた。
キョンシーよりも参謀の方が不思議な存在のような気がしてくる。
思えば、私の仕事場が8階だということを知っているようだったし、名乗ってもいないのに名前だって呼ばれているこの状況に一つの自惚れが脳裏を過ぎる。
「…もしかして、…参謀、私のこと好きなんですか?」
そんな疑問が口を出た瞬間、体温の低い薄い唇が私の唇に押し当てられた。
「理解が早くて助かる。」
キスされたのだと驚いて目を見開くと、急に眩しいくらいの電気が点いたために目を顰めているうちに動き出したエレベーターはものの数秒で8階にて止まり、その重い扉を開いた。
「やっと到着だな。」
何事もなかったかのような素振りで立ち上がったアヤナミ参謀に、手を差し伸べられて立ち上がる。
参謀があまりにもいつも通りだったため、今までの事が嘘だったかのような錯覚さえ覚えながらヨロヨロとエレベーターを降りると、背後から名前を呼ばれて振り向く。
「名前、良いことを一つ教えてやろう。」
振り向いた先の彼は、いつもと同じ表情や立ち振る舞いをしているはずなのに、怖い印象は一切感じられなかった。
それは、この短時間で起こった出来事がやはり夢ではなかった明らかな証拠なんだろう。
「なんですか?」
「キョンシーは自分を写すものを嫌う性質があるらしい。鏡を持ち歩いたらどうだ?」
やっぱりちょっと馬鹿にされている感が拭えず、一瞬こそムッとしたが、すぐにいつもの余裕を取り戻し、ハッキリと言い切ってみる。
「それより、アヤナミ参謀が守ってくれる方が一番素敵だと思います。」
アヤナミ参謀、キョンシー。
この二大恐怖が不思議なことに互いに相殺された瞬間だ。
もう私に怖いものなんてないのかもしれない。
恐怖が消え去る日
「なるほど。妙案だな。」
エレベーターの扉が閉まる寸前、アヤナミ参謀は満足そうな表情を浮かべていた。
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