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数日振りの土の感触を靴越しに感じる。
リビドザイルに乗っていないため空を遠くに感じ、風を肌で受け止めれば空気調整されていない少し冷たいそれに身震いしてしまったけれどどこか気持ちがよかった。
「ここは任せた。」
「…はい。」
同じくリビドザイルから降りたアヤナミ参謀が私に声をかけて戦地の方へと歩いていく。
「オレも行ってくるね♪」
帯刀したヒュウガの笑顔は戦地になんて似つかわしくないのだろう。
これから人を斬りに行くとは到底思えない。
数日前、急に夜訪ねてきたヒュウガと一緒に眠ってからというもの、それから毎晩体温を分け合うように眠るようになった。
抱きしめられる意外は何もない。
キスも、それ以上も。
そこに何と言う名の感情が存在しているかはわからないけれど、確かにあった体温はゆっくりとだが今確かに遠くなっていっていた。
昔からこうしてヒュウガを見送るのは幾度となくあったけれど、一番記憶に新しく、そして感情を揺さぶるのはあの日の出来事。
ヒュウガが私から離れていった日の事だ。
それまでヒュウガとはずっと一緒に居た。
学校へ行く時も、帰る時も、遊ぶ時も、お遣いに行く時も。
お遣いといえば昔に苦い思い出がある。
母親に頼まれてお遣いに行く途中、お隣さんであるヒュウガの家の前を通った時にヒュウガが窓から私を見つけたらしく、「一緒に行くよ」と2人で出かけた日のなんて事ない在り来たりな日。
そんな日に強盗が私達のいる店に押しかけてきて従業員やお客さん合わせて3人が殺されたんだ。
あの日の出来事は正直あまり思い出したくない。
今でも恐怖で立ち竦むことができるから。
体の傷は癒えても簡単に癒えない傷があるということを学んだ日でもあった。
それからもヒュウガと一緒に居て。
きっとこれからも…そう思っていたのに。
あぁ、ヒュウガが士官学校へ行くと私に背を向けた日もこんなふうに空も風も、今日みたいに全てが澄んだ日だった。
「名字さん、治療お願いします!」
まだ戦が始まってから30分と経っていないのにもう早速一人目が運び込まれてきた。
「…はい。」
体中にかすり傷、その上、頭から血を流している。
銃弾が掠ったのだろう傷に手を翳してザイフォンを発動させればみるみるうちに傷が癒えていく。
あと少し銃弾がずれていたら…そう思うと背中や額に嫌な汗が流れた。
「名字さん、こちらもお願いします。」
「名字さん、」
「名字さん次はこっちを!」
時間が経てば経つほど次々と運び込まれてゆく怪我人。
重症の人もいればかすり傷の人もいて。
傷が癒えたらまた戦地へ向かう。
怖くないのだろうか。
また傷つきに彼らは行くのだ。
今回は命があった。
でも次はわからない。
そんな場所へ彼らは…。
傷つき、傷つけ、一体そこに何があるのかわからない。
あの日の私のように恐怖し、癒えない傷を彼らは作っていくのだろうか。
こんな感情を持つ私はこの場にとてもふさわしくないように思えた。
ふと、ヒュウガが歩いていった方向へと顔を向けた。
もちろんその先にはヒュウガの姿は見えない。
怪我人として運ばれている人の姿の中にも彼がいないことに一先ず安心する。
もちろんブラックホークの誰一人として運ばれても来ない。
先頭を切って行った人達なのに。
アヤナミ参謀はリビドザイルから出てくるなり「ここは任せた」と言ってくれた。
その時の表情は今までに見たことがないほど冷たく、畏怖さえ感じてしまったが、今となってはその言葉が彼に課せられた命令だと思う。
ヒュウガが一体どんな顔で人を斬っているのかなんて想像もつかないし、したくない。
だけど、私には私にできることをしなければいけない。
治しても治してもキリがないといえばそれまでなのかもしれないけれど、それがこの戦地で唯一私にできることだから。
「大丈夫、すぐ治りますからね。」
呻き蹲っている軍人さんに手を翳して治していく。
こんなふうにヒュウガの傷を癒す事がなければいいなと、思いながら。
「ただいま♪」
戦地へ赴く時と同じ笑顔で『ただいま』というヒュウガに「おかえりなさい。」と返す。
何故戦っていない私のほうが血まみれで、ヒュウガの方が返り血一つ浴びてないのか不思議だ。
今までコナツくんのいう『サボり』というものをしていたのではないかと思うくらいには。
怪我人の治療中に触ったり、噴き出ている血を浴びた私は安堵のため息を漏らした。
ブラックホーク全員が無傷とは恐れ入った。
「名前、疲れてる?」
「少し。」
ヒュウガに髪の毛を耳に掛けられて苦笑する。
こうでもしなければ今にでも気分が悪く、倒れてしまいそうだったから。
怪我人は今までだってたくさん見てきたけれど、これほどまでにたくさんの怪我人を見るのは正直体力的にも辛かったし、精神的にもダメージを食らった。
ザイフォンで治療する前に息絶えた人だって少なくない。
それに充満する濃い血の匂いに吐きそうだ。
「ヒュウガも疲れてない?」
「平気だよ☆」
「…そう。怪我はない?」
見てわかるのだけれど、聞いていられずにはいられなかった。
ヒュウガは頷いて、「皆も怪我一つないよ♪」と笑う。
「名前、ご苦労だった。噂以上の力量だな。」
「…ありがとうございます。」
怪我人全員を治したわけではないけれど、命に関わるような人の手当は全て済ませている。
かすり傷などは、私の体力が戻ってから治してあげたい。
癒し系ザイフォンは体力消費が激しい。
私は他の使い手より持つ方だが、正直キツかった。
「名前、ボクが怪我したときも治してね?」
クロユリくんの笑顔に小さく微笑みを返して頷く。
「でも怪我しないように気をつけてね。」
「うん!」
癒すのはいい。
だけど心の傷だけは癒してあげることができないから、とてももどかしい。
「名前、部屋に戻ろ。」
ヒュウガは私に運ばれてきている死体を見せたくないようで、その方向を自分の体で遮って帰艦するように促してくれたので、私は素直に頷いて一歩歩みを進めた。
シャワーのコックを握り、キュッと捻ってお湯を止める。
やけに冷えていた体を打ち付けていた温かいお湯がピタリと止み、腕を鼻へと近づける。
あれほど怪我人の血を浴びたのだ。
もう血の臭いはしないだろうかと確認してお風呂場の扉を開けて体が冷える前に着替える。
動きやすい服に着替えて髪を乾かし、部屋へと続く扉をまた開くと、ちょうどヒュウガが私の部屋に入ってきて扉を閉めているところだった。
「ご飯どうする?」
「んーいいや。お腹空いてるけどそれよりちょっと眠りたいかも。」
ベッドに腰掛けてひどく重たい瞼を手で擦る。
体がいつもより何倍も重たく感じられるのはきっとザイフォンの使い過ぎなのだろう。
これは早々に眠らなくては回復もしなさそうだ、とベッドの中に入れば先ほどまで私が腰掛けていた位置にヒュウガが座った。
彼からふわりと香るヒュウガの香りと、シャンプーやボディーソープの華やかな香りがしたことに極度な安心感を覚えた。
「ごめんヒュウガ、も…寝る…」
彼が生きているという実感を改めて確認し終えると、もう限界だった瞼を下ろした。
ふと、今日一日の出来事が瞼の裏側に蘇ってくる。
今回、勝利したのはもちろんこちら側。
敵よりも死者も被害率も低いはずだ。
だけどこれだけの死者がこちら側にもでているということは、あちら側はもっと…、ということになる。
そう考えただけで胸が痛いけれど、大切な人や、一緒に笑ったりした彼ら達が無事だという事に安心してしまい、内心喜んでしまっていることは非情なのだろうか。
ヒュウガの手がそっと頭を撫でる。
その手は先ほどまで人を殺して来たとは思えないほどひどく優しくて、胸が震えた。
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