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「名前さん…初遠征から帰ってきてからずっとあんな調子ですが…大丈夫でしょうかね…」


カストルは眼鏡越しに、遠くにいる名前を見てため息を吐いた。
そのため息は決して面倒だと言っている訳ではなく、心配だと告げている。

名前に与えられた教会の一室。
その窓から空を見上げたり、床を見つめたり。
どこを見ているわけでもなさそうだが意識は確実にこちらにはなく、云わば心ここに在らずといった様子だ。

名前が教会へ帰ってきたのは昨日の昼過ぎ。
『ただいま』という声は少し弾んでいるようにも思えたけれど、笑顔の裏にどこかマイナスの感情が読み取れた。

最初は遠征に行って疲れているんだろう、と皆はそっとしておいたり、ラブなんかはリラックス効果のあるお茶を淹れてあげたりしていたが、結局のところ日が変わった今日も昨日と変化なし。

名前は天辺にある太陽を見上げるように顔を上げて目を瞑っている。

怪我人が来たら治して笑ってはいるけれど、どこか貼り付けたような笑顔は正直見ているこっちが眉を顰めるほどだ。
本人はそのことに気付いているのかいないのか、気になって仕方がない。


「名前、ラブがお茶淹れたって言ってたから持ってきてやったぜ。」


名前の部屋に入るなりラブが淹れてくれたお茶の入ったマグカップを手渡せば「ありがとう」と小さく微笑む名前。

一体何があったのか聞きたいけれど名前が黙っていたいのなら無理に聞くわけにもいかない。
でも名前は聞かなければ話し出しそうには見えなくて、考えていることとか悩んでいることとか全て自問自答して消化してしまえそうだ。
それはある意味良い事だとは思うが、側にいるこちらからすると少々寂しく虚しいものがある。

落ち込んでいる時は悩み事を相談してくれてもいいし、イライラしてるのなら愚痴だって聞いてやる。

しかし、やはり名前はオレが来て数分経った今でも口を開こうとはしなかった。


後頭部をガシガシと掻いてそのままその左手を名前の頭へと乗せれば、椅子に座っていた名前は立っているオレを見上げ、また前を向く。

引っ込ませるタイミングを完璧に見失ってしまった左手をいつ引っ込めるか考え始めた頃、名前が「ごめんね。」と呟いたことでそのタイミングを更に失った。


「心配、させてるよね…」

「まぁな。」


心配しているのだから否定はしない。
それで名前がそれをまた更に重荷に感じたとしても、心配しているものはしていて、彼女にはそれを知る権利がある。


「遠征行ってから元気ねぇなって皆心配してるぞ。」


乗せたままの左手で頭を撫でてからそっと手を離す。
名前は苦笑してもう一度「ごめんね」と呟いた。


「色々考え事してるだけだから…。」

「考え事って??」









『考え事って??』と私の目の前に座ったフラウはいい相談役だ。
いっその事司教を辞めて、青少年お悩み相談室でも開いてカウンセラーになったらいいのに。なんて想像してやっぱりやめた。
こんな一見柄の悪いカウンセラー、見たこともないし初見の客がくるのかさえ怪しいったらない。

だけど腕は確かだ。
フラウは人の心の中に入り込むのがとても上手だから。
『あぁ、この人になら話してもいいかな』って気にさせてくれるから。
それはきっとこの人の人望とか器の広さとか、色んなものが彼から感じられるからなのだろう。

もちろん私だって例外じゃなく、閉じっぱなしだった唇を動かした。


「知り合いがね……、幼なじみなんだけど、その人がさ、…ブラックホークに入ってたの。久しぶりに会えてすっごく嬉かったんだけど、いざ戦場に着いて、傷を癒してたら……怖くなったの。」


そこかしこに飛んだ血と濃い血の匂い。
あちらこちらへと転がっている息絶えた者。
つい先ほどまでは痛がって、涙して、ちゃんと生きていた者。


「死体がか?」

「それもあるけど…、怖かったのはその幼なじみが死んだらどうしようっていう怖さ。」


温かいカップを指で撫でて瞳を閉じれば、戦場へ赴いていく時のヒュウガの後姿が簡単に思い出せた。

帰って来れるのかもわからない。
いつ傷つくかわからない。
帰ってきたのが動かない死体だったら?

そう考えると全身の血がサッと引いたのがわかった。
握っているカップがやけに熱く感じる。


「それに、優しかったあの人が人を殺しているんだって実感してしまった怖さ。」


『行ってくるね』と『ただいま』を同じ笑顔で言われるとは思ってもみなかった。
側にいるのにまだどこか遠くへいるような…、そんな感覚。
それと同時に……身が竦んでしまった。
それを彼に悟られないようにしなければと、帰りのリビドザイルの中で彼に笑顔で接したけれど、上手く笑えていられただろうか。

帰りの道中、彼は行きと全く同じだった。
部屋へ遊びに来て、一緒に寝て、軍についてからも『送っていこうか?』と気遣いだってしてくれた。
何ら変わっていないのに、私だけが変わったような…。


「それが普通の感覚だろ。人に殺された死体なんて見れば普通は驚くし怖い。それは人の命の重さを知ってるからだ。」


違うの…違うのフラウ。
私が何より怖いと思っているのはもう一つあるの…。


「オレは逆に、戦場に行ってもいつも通りの名前より、傷ついて怖いと言える今の名前の方が人間らしくて好きだぜ。」

「…ありがとう、フラウ。」


フラウの慰めが嬉しくて、私が微笑めばそのフラウの顔が近づいてくる。
キスしそうになって、私はフラウの唇に手を当ててその動きを後数cmというところで止めた。

固まるフラウと私。

私が止めたのに、私が一番動揺しているかもしれない。
ヒュウガに再会する前だったら、きっとフラウとこのままキスしていたのだろうから。

なのに、ヒュウガの顔が浮かんで仕方がない。


「…好きだぜっていって『ありがとう』って言ったろ。」

「えぇ?!?!あれ告白込みだったの?!?!」


「てっきり慰めるための常套句かと思ってた。とりあずさっきのなし!なしね!!」と素直に言えば、2人の間を遮っている私の手を握って取り払ったフラウの手。


「なぁ一つ聞いていいか?」

「何?」

「その幼なじみっての、男か。」


ヒュウガ同様にフラウも素晴らしく聡い。
目線を逸らせばもう肯定としての答えになった。

悟ったであろうはずなのに、フラウは何も言わずに私の背中に手を回して唇を寄せた。ところで扉が勢い良く開かれた。


「怪我人が来たって…、何してんだフラウ司教と名前先生…」


入ってきたのがカストルさんたちじゃなくて助かった。
どちらからともなく離れたが、きっとカストルさんたちには誤魔化しがきかなかっただろう。

怪我人が来たと呼びに来てくれた少年に「あああありがとう」と狼狽しながら返事をし、部屋を出る。


火照っているであろう頬に手を当てて、納まれ心臓、と何度も何度も心の中で唱える。
スッと落ち着いた頃にはまたヒュウガの顔が脳裏に浮かんだ。


あのね、フラウ。
本当は『ヒュウガが無事に帰って来られるのであれば、敵が何人死のうが構わない』って…思った私が何よりも怖いのよ…。

私はこの3つの怖さとどう戦えばいいのかわからない。
誰に縋ればいいのか、何に助けを求めたらいいのか。
わからないのよ…。





「ヒュウガ、次の遠征が決まった。」


参謀長官室から出てきたアヤたんから掛けられた言葉に、今からサボりに行こうとしていたオレの足が止まった。

扉のノブを掴んでいた手を下ろして振り向けば「明後日の7時にここを経つ。」と告げられる。


「遠征期間は1週間だ。」


丁寧に説明する様はまるで『名字嬢にそう伝えておけ』と言っているようで、「アヤたんが伝えなよ。」と言うと「幼なじみなのだろう?」と返されたので頷くしかなかった。

別に名前に連絡するのが嫌なわけではない。

ただ…、思い出すのは遠征の帰りだ。

戦場へ赴いたオレの帰りを、血で汚れた体と引きつった笑顔で迎えた名前。
行く時には感じなかった憂虞や恐怖を名前の中に感じた。

だけどもっと動揺を見せるかと思っていたけれど、想像していたよりかは少なかったことに驚いていると同時に、あれは虚勢だなと思う。

きっと彼女は心底恐怖していた。

たくさんの人の死、それとオレがブラックホークに入っていて人を殺しているということに。
それはそれでいい。
人が死んでいるのは変えられようの無い事実だし、オレがブラックホーク所属で人殺しなのも真実だから。

戦争は人を殺し、人は戦争を勃発させ、また戦争は人を殺す。
人を殺せなさそうな優しい顔の男だって戦争だからと人を殺す。
そこで人を殺しても何の罪にもならない。
人を殺した事に変わりはないのに。

それは些か不思議だ。
オレにとってはどうでもいいことだけれど。

…そう、思っていた。
軍に入り、それから名前に会うまでは。

いや、どうでもいいという感情は今だって思っていることだけれど、返り血を浴びないように、帰った時に名前に恐怖を与えないようにと、殺す時に注意を払っていた自分がいたことはどう説明したらいいのか。

名前が大切だから、と言葉にしてしまえばそれまでだが、どこかで名前に嫌われたくないという感情が存在していたのかもしれない。

昔からの幼なじみだからといって、再び再会して大人になっていた男女が互いに嫌いにならないという確証はどこにもない。

それに何より名前は自分とは正反対の道を歩いて大人になっている。
人を傷つけ、殺すオレと、人を癒して笑顔にすることができる名前とは間逆。

恥じているわけでも後悔しているわけでもない。
目の前にいるアヤたんの元を去る気なんてとんとない。

それでも、名前のことも欲している。
我が侭だと言われるだろうか。


「何か不満か?ヒュウガ。」


訝しげなアヤたんの顔はきっとオレよりも名前とかオレの感情を読み取っているのだろう。
オレはいつものように口の端を吊り上げて「ないよ♪」と笑った。


オレに恐怖し、狼狽していた名前は果たして次に決まった遠征に来るのだろうか。

来ないならそれでもいい。
今なら、逃がしてあげられるから。

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