01
『助けてください!』と少女は言った。
見たことも会ったこともないであろう少女の艶のある長い髪は、一見伸ばしっぱなしのようにも見える。
背丈は160cmにギリギリ満たない程度のようで、背の高いオレからしたら小さくちんまりとしている。
推定16歳くらいか。
それとももう少し下か。
大きくパチリと開いている瞳はやけに真剣そのもので、オレとアヤたん、それからコナツは足を止めた。
止めざるを得なかったというべきか。
「…。」
オレたちの目の前に立ちふさがった少女は、アヤたんの『退け』という無言の視線に若干の怯えを見せながらも退ける気配はない。
尻尾と耳の垂れた子犬のようにビクビクとしている様子は可愛らしいが、残念ながらただ今アヤたんは不機嫌MAXだ。
恐らくアヤたんは数秒後にはこの少女の脇をすり抜けて歩き出すだろうし、話しなんてもっての外。
『助ける』なんてことは天と地がひっくり返ってもありえないだろう。
アヤたんが歩きだすならオレもコナツも歩き出す。
そうなってしまったら、きっと少女はそこに立ち尽くすしかない。
そう思っていたのに。
「待って下さい!話しを!話だけでも聞いてください!」
想像通り、少女の脇をすり抜けたアヤたん。
そこまでは想像通りだったのだが、あろうことか少女が背後からアヤたんの腰に抱きついたのだ。
コナツはあんぐりと口を開き、『どどどどうしましょう?!?!』とオレに視線を送ってきている。
コナツの視線も結構痛いが、忘れてはいけない、ここが街中だということを。
行き交う人間の視線はコナツの何十倍も多く、そして遥かに痛い。
なんて、痛いと思うだけで気にするヤツなんてオレら三人の中にはいないのだけれど。
それにしても『助けて』と言うわりには瞳に覇気がないようにも見える。
意思はしっかり見て取れるのだけれど、どこか違和感というか…。
簡単に言えば死を覚悟しているような瞳。
訓練された軍人でもこんな瞳は早々できない。
それをこの少女はやってのけているのだ。
「離せ。」
上半身だけを捻り、腰に抱きついている少女を睨む大人気ないアヤたん。
いつもなら『まぁまぁアヤたん。少しくらい話し聞いてあげよーよ♪』くらいは言ってあげられるのだが、何せ数分前に怒られたばかりなのであまり出しゃばりたくはない。
帰ったら書類を倍に増やされるのだけは回避しなければいけないのだ。
「え?!話せ?!?!いいんですか?!ありがとうございます!ここでは何ですから、できれば人気のないところでとかどうでしょう。」
勘違いしている少女は花が咲くようにぱぁっと笑顔を見せると、人気のないところを希望してきた。
まだ若い女の子が人気のない場所に男を誘うだなんて、純粋そうな見た目とは裏腹にふしだらなのか…。なんてくだらないことを考えていたら、会話が成り立たないことに更に不機嫌さを増したアヤたんから視線を感じた。
恐らくこれは『どうにかしろ』という合図なのだろう。
「あー…えっと、オレたちもう軍に帰らないといけないんだよねぇ。だから今日は大人しくお家に帰ってくれるかなぁ??」
一向にアヤたんの腰に抱きついて離れない少女に声をかけると、少女はオレのほうに視線を向けて先程の笑顔を消した。
「嫌です。話し聞いてくれるまで帰りません。」
断固として拒否する少女はギュウッと腕に力を込めて更にアヤたんの腰に抱きついた。
いや、もうしがみ付いたといったほうが正しいかもしれない。
「んー……そうだ、飴いる?」
ポケットから飴を取り出して差し出すが、受け取る気配なし。
「一体私を何歳だと思ってるんですか。21歳ですよ。飴なんかで誤魔化されません。」
そっか、16歳くらいだと思ってたけど21か。
21なら尚更その行動を改めるべきだと思うな、オレ。
参ったなぁ〜こんな少女…いや、21なら女性か。
女性に武力行使は躊躇われる。
でも躊躇わずにやってしまうのがブラックホークなのだけれど、街中ではさすがにまずい。
とりあえず彼女の口の中に飴を放り込んで、アヤたんから引き剥がした。
「んぐ、っちょ、離して!」
「はいはーい」
アヤたんから引き剥がしてしまえばこっちのもんだ。とばかりに手を離すと、彼女はふて腐れた。
もう見るからにふて腐れた。
頬を膨らませて、だけどもコロコロと飴を舐めているその様はやはり少女のものだ。
「あんまり時間ないから、大人しく話し聞いてください。」
「んーオレらも軍に帰らないといけないから大人しく家に帰ってね。」
「何か話したいことがあるなら警察がちゃんとお話し聞いてくれるよ??」
黙ってみていたコナツが警察署のあるほうを指差しながら彼女のために教えてあげるも、彼女は首を横に振ってオレの手を取った。
「警察じゃダメ。お願い、助けて。貴方達ブラックホークでしょう?強いんでしょう?」
尚も食い下がってくる少女が何故オレたちがブラックホークの人間と知っているのか問い質そうとしたその時、オレの手を握っている少女の手が微かに揺れた。
それはビクリと肩から揺れて、すでに少女の目線は違うところを見ていた。
「まずい、追っ手が…。」
追っ手?
彼女は何かに追われているのだろうか。
彼女はオレの手を離して、一歩後ずさった。
「明後日、午前10時に第一区の北の図書館には近寄らないでね。絶対だから。絶対。」
彼女はそれだけを言い残すと、追っ手に気付かれないように路地裏へと姿を消した。
ポツリとそこに立ち尽くしたのはオレたちの方だった。
彼女の姿はもう見えない。
追った方がいいものかとアヤたんに視線をやると、アヤたんはすでに歩き始めていた。
「何者なんでしょう、彼女。」
「んー…さぁ??」
名前もわからない彼女が何者かなんて、きっとアヤたんでさえわかっていないだろう。
コナツもオレも首を傾げながらアヤたんの後に続いて歩き出した。
少しくらい話し聞いてあげたほうが良かったかなぁとも思うが、後の祭り。
もしまた会うことがあったら聞いてあげてもいいかもしれない、と思っていると、アヤたんがこちらを振り向くことなく指示を出した。
「ヒュウガ、北の図書館を今日の内に調べておけ。」
「へぇ〜あの子の言葉信じるの??」
何があるのか、何が起きるのか、誰がいるのか、誰が起こすのか、何一つわからない根拠のない言葉をアヤたんは信じるらしい。
それほど彼女が切羽詰っているように見えたのか。
実際、確かに困っていたようには見えた。
「聞いてしまった以上何かあっても面倒だからな。」
「りょーかい♪」
一体彼女は何に追われていたのだろうか。
怪しい人影は確かに先程まであったけれど今はもう消えている。
彼女は無事に逃げ切れただろうか。
考えてばかりでは何も始まらないと、一先ず軍へと戻って北の図書館を巡回しに行ったけれど何もなく。
とりあえず言われた明後日までは数名の下っ端軍人を配置させておこうという結論に至った。
次の日には書類に追われて昨日のことなどすっかり忘れてしまっていた。
いつものようにサボって、コナツに見つかって、アヤたんに怒られて書類を増やされて。
増えていくばかりの書類に落書きしてまた怒られて書類を増やされ。
さすがに処理していこうと筆を滑らせて、でも1時間後には集中が切れてサボりに行って。
無限ループ。
終いにはコナツが釘バット持ってキレた。
いつもとなんら変わらない日。
だけどその次の日…。
悲劇は起きた。
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