10
「あれがエレーナか。」
参謀長官の言葉に小さく頷く。
それよりも私は驚いていた。
エレーナが花を取り替えてくれたことに。
今日は掃除してあげられないと言っていたことに。
花が枯れる前にエレーナは取り替えてくれているのだろう。
お墓が綺麗なのはエレーナが掃除してくれているからなのだろう。
きっとエレーナがあのお墓を建てるように言ったのだろう。
エレーナは『また明日来る』と言っていた。
毎日来ているのだろうか。
服の下にあるいつものペンダントに軽く手を当てながら思案していると、参謀長官に肩を叩かれた。
「行くか。」
私は頷いて踵を返した。
「参謀長官…、つれてきてくれてありがとうございました。」
「…あぁ。」
エレーナに対する憎しみや苦しみ。
そんなものが心の中を跋扈している。
だけど思うのだ。
エレーナは一体どんな気持ちであのお墓を建てたのか、どんな気持ちで毎日このお墓に来ているのか。
エレーナの優しさとか残酷さとか、訳がわからなくなる。
残酷な一面を知っているのに優しさに触れると残酷な面を忘れそうになる。
エレーナは弟を殺したのだろうか。
それとも別の誰かが殺したのだろうか。
もしかしたら弟が自害したのかもしれない。
真実はわからないけれど、弟が死んでいることはわかった。
ギュと唇を噛む。
なら、私がすべき事は一つなのだ。
「あだ名たんっ♪」
軍へと戻る途中、背後からヒュウガに抱きつかれた。
思わぬ行動にビックリして振り向くと目の前にヒュウガの顔。
ふと先日のキスがフラッシュバックして私は街中で叫びそうになるのを必死に抑えた。
「意外と早かったな。」
「うん♪弱かったからね☆」
遠征帰りらしいヒュウガはコナツさんを置いて走ってきたのか、少し離れたところからコナツさんが走ってくるのが見えた。
「少佐!急に走らないで下さい!」
追いついたコナツさんに怒られるヒュウガの腕から抜け出し、参謀長官の背後に隠れると、参謀長官に至極面倒臭そうな顔をされた。
けれど気にしない。
気にしてなんていられない。
どうしてヒュウガは人の心の準備が出来てないときに現れるのか。
「どうしてアヤたんの後ろに隠れるの?ほら、おいでー。」
両手を広げるヒュウガに首を振る。
こんな街中で何をするつもりだ、この人は。
しかもこんな目立つようなことを…。
私が脱走してきていることをこの人達は忘れているんじゃないだろうか。
追っ手に見られていないかとキョロキョロすると、コナツさんが首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「いや、追っ手に見られてないかなって。」
「大丈夫ですよ。怪しい人物はいないようです。」
「……わかるの?」
「気配で。怪しい動きをしている気配はありませんから。」
なんだ。
私以外の3人はわかっていたんだ、とちょっと拗ねようとしたところで、ヒュウガの腕に捕まった。
ヒュウガから視線を逸らすんじゃなかったと後悔しても後の祭り。
「ちょっと2人でデートしてくるから先帰っててねぇ〜♪」
「はい?!?!デート?!いや、ちょっと待っ、待って、待ってー!」
ズルズルと引きずられるように路地の方へ引っ張られる。
コナツさんと参謀長官にヘルプミーと手を伸ばしたけれど、どちらも手を掴んではくれなかった。
参謀長官、さっき今世紀最大みたいな優しさを見せてくれていたじゃないですか!
お墓に連れて行ってくれるなんて、正直思ってなかったんですよ!
コナツさんだっていつも優しいじゃないですかー!!
「路地裏でデートなんて、いい趣味してますね。」
抵抗も空しく人気のない路地裏に連れ込まれた私は少しだけ嫌味を呟いたが、ヒュウガには効かなかったらしい。
むしろギュッと抱きしめられた。
「ん、っっぷはっ!一体何するんですか!私そろそろ帰らないと…、」
ヒュウガの腕から顔を出すと、黒い瞳が静かに私を見下ろしていた。
「どこに?アヤたんと……行ってたんでしょ?」
ヒュウガはどこにとは言わなかった。
きっとヒュウガはすでに参謀長官に聞いていたのだろう。
弟が死んでいると。
「弟くんは死んでるのにエレーナのところに帰る必要はどこにあるの?」
的を得た質問にグッと詰まる。
「気付いてる?あだ名たん、さっきから泣きそうな顔してる。」
してない、と声が出なかった。
私は首を小刻みに振るばかりで、ヒュウガは全く離してくれない。
それどころか腰を引き寄せられて、もっと密着した。
首を振るのを止めた私の頭を撫でる大きな手は、そっと私の顔を胸板に押し付けた。
「泣きたいときは泣いていいよ。」
落ちてくる声は穏やかでひどく優しい。
ふと、頬を何かが伝った。
それが自分の涙だと気付いたのはヒュウガの軍服に染み込んでいくのを見てからだった。
涙だとわかってからはとめどなく溢れてきた。
嗚咽を必死に噛み殺そうとするけれど、堪えきれずにたまに漏れた。
ギュウッとヒュウガの服の裾を握って泣いた。
たまに誰かが通る足音が聞こえたけれど、それでも気にせず泣いたし、ヒュウガも何も言わずに抱きしめていてくれた。
しばらくして、ズズと鼻を啜って涙を拭く。
「も、だいじょ、ぶ。」
涙を含んでいる睫毛にヒュウガの唇が落ちてきて、涙を唇で吸い取られた。
頬に手を添えられて上を向かされる。
そこまでは抵抗しなかったけれど、唇にヒュウガの唇が重なる瞬間に私は顔を背けた。
背けたからヒュウガの表情はわからないけれど、切なく甘い雰囲気は一気にどこかへ行ってしまったらしく路地裏を通る風がやけに冷たく感じだ。
「あだ名たん?」
「…ダメ。」
もう一度唇を寄せてくるヒュウガの胸板を押した。
「ごめんなさい…。」
完璧なる拒否だった。
ヒュウガも拒否されたことを理解しているようだけれど、今までの私の態度から何故拒否されたのかはわかっていないようで目を丸くしている。
「ごめんなさい。」
理由をいうつもりはなかった。
誰にも邪魔されたくなかったから。
巻き込みたくなかったから。
しないといけないことがある。
アリスを作った私がしないといけないことが。
エレーナに唯一優しくされている私がしないといけないことが。
「ごめんなさい。」
私はヒュウガの腕から抜け出して路地を駆けた。
何度も何度も心の中で彼に謝る。
そして、自分の恋心にも。
キスして『好き』と言えたらどんなに幸せだっただろうか。
私はざわめく恋心のままには動けない。
動いてあげられなくてごめん。
「ごめんなさい…。」
ヒュウガは追ってこなかった。
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