夜道には気を付けよう

それは秋も一層深まり、本格的な冬の訪れを予見させる日のことだった。
並木道も赤と黄に彩られた木枯らしの吹く冬木市では、ここ暫く不気味な事件が相次いでいた。塾帰りや帰宅の遅い児童等が失踪したことに端を発し、学校側や巡回中の警察から児童の夜の行動を控えるよう指導が始まると、今度は家族全員が一度に失踪する事案が多発。しかも事件の起きた家には夥しい量の血痕が残されている事案も多々確認されていた。

そんな事情から、現在の冬木市では児童に限らず夜一人で出歩く人間は極僅かだった。一部の楽観主義者は別とし、危険を承知で出歩くものは皆、已むに已まれぬ事情からその時間に行動せねばならない者達で、八神瑠迦<ヤガミ ルカ>もそんな事情のある人間の一人だった。瑠迦は児童ではないが、今年高校に進学したばかりの未成年者だった。
主にターゲットとされているのは児童とはいえ、大人も同時に失踪してることから、決して安全が約束されているわけではないのだ。それに夜8時を過ぎたこの時間帯は、件の事件がなくとも女学生が一人で出歩くには十二分に危険な時間帯だ。それでも致し方なくこの時刻を迎え、足早に帰路につく瑠迦の背後を、何者かが同じ歩調で追跡してくることに、彼女は気づいていた。しかし相手にこちらが気付いていることを気取られるのを恐れ、敢えて歩調は変えず、ひたすらに黙々と、なるべく街灯の多いルートを選択して帰路を急ぐ。この辺りは元々人通りも疎らで、近くにコンビニもないのが痛手だった。

後を追う相手が、件の事件の犯人なのかはわからない。
しかし相手の正体が何であろうと、拙い状況であることに変わりなかった。
挙動不審に見られないよう努めながら、頭の中では帰宅とは別の道を通って、さり気なく人通りの多い道かコンビニに駆け込もうかと複数のルートをシミュレートする。
気が急いている所為か無意識に歩調が早まってしまう。このまま上手くいけばやり過ごせるかと油断した矢先――背後から聞こえてくる靴音が急に早まった。

「――っ」

反射的にこちらも速度を上げてしまった。
こうなってしまえばもう駄目だ。
こちらが追跡に気付いていることを、相手に教えてしまった。
後は体力の続く限り、もしくは安全なところに到達するまで全力疾走するしかない。
夜のしじまに、ローファーと革靴の硬質な靴音が不協和音を鳴り響かせる。
全力疾走に夢中になっているうち、脳裏にシミュレートしていたルートは何時の間にか抜け落ち、闇雲に走っていた所為で住宅街を外れ自然公園の中に迷い込んでしまっていた。いや、ひょっとすると、巧みに誘導されたのかもしれない。そう考えるのは穿ちすぎだろうか。いずれにしても追い込まれているのは明白だった。
背後から相手の激しい息遣いが聞こえてくる。相手の余力も残っていないようだが、それはこちらとて大差ない。しかし相手は運動しなれていないのか、かなり息が上がっているようだ。

これなら行けるか……。
希望を抱きかけた時、背中にドンッ! と重い何かがぶつかる衝撃に息が詰まった。相手が何かをこちらに投げつけてきたのだ。

不意打ちに耐え切れず、そのまま地面に転がる。咄嗟に受け身をとったので顔面から店頭する無様を晒さずに済んだが、状況は最悪だった。

相手が投げつけたのは形から見てバックパックらしい。
地面に転がったときの痛みに耐えながら体を起こし背後を確認すれば、息も整わないうちにバックパックを拾い上げる大柄な影が、公園の僅かな街灯に照らされて闇夜に浮かび上がった。背格好からして、わかってはいたが、やはり男のようだ。
拾ったバックパックの埃を払うと、己の優位を確信してか、大柄な影がこちらにゆったりとこちらに近づく。
それに立ち上がり、再び走りだそうとしたが、足首に痛みが走って尻でずり下がるように後退するしかできなかった。転んだ時に足をくじいてしまったようだ。
絶体絶命の自体に思わず舌打ちする。
これから起こるであろう、最悪の想像が脳裏を過る。
男が近づいた分だけこちらも下がる。起死回生の一手を模索し、悪足掻きを続ける。

窮地を救う正義の使者が現れる様子もない。
いつでも最悪な時に頼れるのは己だけ。
瑠迦は唇を噛みしめると、覚悟を決め、足元に転がっていた学生鞄を相手に投げつけた。
男が怯んだ隙に逃げようと無理矢理立ち上がるが、腕を掴まれてしまう。
もう駄目だ――心が絶望に塗りつぶされ、目の前が真っ暗になる。

瞬間。

先程バックパックを投げ付けられた時とは比較にならない衝撃が瑠迦を襲った。一瞬、無重力下に放り出されたような気持ちの悪い浮遊感が瑠迦の身体を包む。
同時に聞こえたであろう轟音は聴覚のキャパシティを超えたのか、あるいは鼓膜が破れたのか、何も聞こえない。
何が起きたのか。そんな疑問すら頭に浮かばない。

衝撃で地面に叩き付けられた痛みさえ最早遠く――霞む視界に一瞬動く何かを映し――瑠迦の意識は常闇に沈んでいった。


///後書きとか補足とか///
初連載スタート。真面な文章を書くのが久しぶり過ぎるため、おかしなところがあってもご容赦ください。最初に出てきた事件は魔陣営の起こした事件のことです。そうそう夜に子供が出歩いているわけないので、家に押し入って家族は旦那の魔力の糧に、子供は龍ちゃんのアートの素材に。報道規制がされているので失踪と血痕以上の何かもあった可能性もあります。