愛と青春の旅だち

2023年の夏、大我といつものように遅い時間の公園で会った。 自販機の前で缶コーヒーを選んでいた大我の背中に向かって、ふいに言った。

「辞めるよ」

彼は振り返って、しばらく黙ったあと聞いた。 「事務所辞めんの?」

「辞める」

「なんで?」

「疲れた」

夜風が少しだけ湿っていた。

「デビュー出来ないことも、グループ組めないことも、舞台にも立てないし、何も出来ない。女にもなれない、男にもなれない。大我になりたい」

「待って、俺になりたいって何」

「何それ。ごめん、自分が何言ってるのかわかんない」

「大丈夫?」

「疲れた。わかんない」

「ちょっとやめよう。もう帰ろうか」

「や、まだ1人にしないで」

「1人にはしないから」

「ずっとそばにいて」

「本当に大丈夫?」

沈黙が流れた。街灯の明かりが地面に長く影を落としていた。

しばらくして、大我がぽつりと呟いた。

「なんで、大我怒ってんの?」

「怒ってるつもりはないんだけど」

「じゃあなんで不機嫌なの」

「不機嫌にもなるよ。嫌だからね、辞めるの。いて欲しいもん」


尊敬の念をこめて、というその意味は分かる。類似品のいない存在。オリジナリティ。
だがそれはつまり全く同じ前例がないので、あらゆる大人が私を扱いあぐねている。
ローティーンの頃から続くその扱いは、十分に私個人の自尊心と自信を苛み続けている。
彼のなんてことの無いただの発言は、リスペクトで蓋をされた実際のところの世間の本心を再確認させるようだった。

もちろん、悪気があったわけじゃないのはわかってる。
むしろ、彼の中では最大限のリスペクトだった。
誰にも似ていない私。
唯一無二であることへの、褒め言葉。

けれど、それは同時に――「どこにも所属できない人」という証明のようでもあった。

似たような人がいれば、配役もされた。
前例があれば、説明もできた。
型にはめられないその特別さが、気づけば、居場所を失わせていった。

ずっとそうだった。
ローティーンの頃から、私は「何者かになりきれない誰か」として、ずっと宙ぶらりんのまま扱われてきた。

その中で、なんとか、自分の価値を信じてやってきたつもりだった。
でも。

彼の「いてほしい」という優しさすら、今の私は素直に抱きしめられない。
どうしても、その裏にある「役がない」という真実が、じわじわと胸を締めつけてくる。

――じゃあ、私は、何のためにここにいたんだろう?

舞台もなく、グループもなく、名前も肩書きも曖昧なまま。
形のない才能だけが、宙を泳いでいる。

“私”という存在に、今この世界は――どんな答えを用意してくれるんだろうか。