「たった1人の女の子だからね。他の兄弟とはやっぱり違うかな。もうお腹にいる時からアイドルだったよ。みんな大好きだったし、可愛がりたかった。でもあんまりベタベタされるの嫌みたいだったからさ(笑)うちの家族は全員ずっと距離感を掴みあぐねてるんだよね。俺もまだそう。大好きで可愛すぎるから、どう接したらいいか未だに分かんないの」

誌面の自分は3×4センチほどの吹き出しの中でそう語っている。世間には果たしてどう伝わったろうか。記事が出るというので、初めて自分の言葉が活字になることに違和感があった。でも、マリアのことを聞かれれば、いくらでも語れるはずだった。

俺が中学生の時、ある日妹がロシアに渡ると聞いた。幼児期から稽古が始まったバレエの才を認められて、モスクワの学校に招かれたと。そもそも函館なんて遠い場所にいたのに、さらに遠くにいってしまうなんて。

妹の顔を思い出す。小さい頃は髪が柔らかくて、触るとすぐ跳ねた。母さんが「バレリーナは髪が命」と言って、毎朝丁寧にブラシをかけていた光景が蘇る。函館の家の窓から差し込む朝日に照らされる妹の横顔。あの時、言葉をかけておけばよかったか。

もともと妹は8歳の頃、生家から離されて北海道の叔母夫婦のもとに預けられていた。何かと破天荒な男家族の中で育つことを心配した大人たちの気持ちは分かるが、全て大人の都合だ。「マリアにとって良い環境を」と父さんは言ったけれど、その言葉の下には、自分たちでは育てられないという無力感が隠れていたんじゃないかと今なら思う。

だけど自分自身いろいろと奥底でくすぶっている時期でもあったし、その他たくさんの混沌の中、具体的に妹との対話はなかった。一方的に小さな可愛い妹を思うだけ。いつまでも俺の頭の中のマリアは幼くて、たまに母親から見せられるレオタード姿の写真だけでは記憶をアップデート出来ない。

写真の中の妹は次第に見知らぬ人になっていった。トウシューズを履いた足先の形、真っ直ぐに伸びた背筋、苦しいはずなのに微笑むその表情。それは日常の中でないものだった。

そしてお互い成人して幾年、突然、彼女が韓国の芸能事務所にスカウトされたことをSNSで知った。母親に確認する間もなく、気付いた時には目まぐるしくグループのデビュープロモーション。あっという間にスター街道を駆け上がって、手の届かない人。

SNSでは「マリア・タナカ」ではなく「マリア」として輝いていた。彼女の投稿には何十万という「いいね」がつく。知らない言語でのコメントの嵐。時々、日本語で「お兄さんは見てる?」という質問が見られる。俺は黙って画面をスクロールする。

妹との距離はずっと難しい。ずいぶん昔に「元気にしてる?」と送ったメッセージには返信がない。「寂しくしてない?」と聞くにはあまりにも距離が空きすぎた。実家を出た彼女と実際に会ったのは、まだお互い子どもの頃、片手で足りるほど。こんな兄のことをマリアはどう思っているだろうか。

生まれたてのまだ人間としてのかたちも定まっていない乳児の姿をいまだに覚えている。あんなに小さくて可愛い妹が、今や世界的なアイドルとして世間に知られているとは。

インタビュアーの前で話した妹へのコメントが、読者にどう伝わるかは分からない。少なくとも商業誌の譜面に載るということは、需要があるのだろう。マリアの兄として、わずかなスペースに圧縮された俺の言葉が、何か彼女に届くだろうか。

今朝、久しぶりに妹の名前をネットで検索した。次のツアーが発表されていた。日本公演もある。チケットを買うべきだろうか。客席から彼女を見上げるという関係。それも悪くないかもしれない。

自分がそれなりに落ち着いて安定した今、やっと妹と向き合える時期が来たように思う。東京の気温はだいぶゆるみはじめた。お前がいる国ではまだ厳しい寒さが続くと、携帯の天気予報が言っている。