「いつ着の便なの?空港迎え行こうか?」
なんて言うまでもなく、それは向こうの大人たちの仕事だったし、メディア・ファンが動く一大イベントだった。
「樹の妹やば」 「大スターじゃん」
控室のソファに座り込んだメンバーたちがスマホを覗き込んでいる。SNSの動画で見た出迎えの様子は想像をはるかに超える規模感で、はたして同じことを俺たちがしてもこうなってくれるのだろうかと思う。羨ましさと誇らしさが入り混じった複雑な気持ちだった。
「迎えに行かなくてよかったね、もみくちゃにされるよこれ」 「黒服に止められるんじゃない?NO!つって」 「樹ぺしゃんこだよ。すげーこれ」
繰り返し空港の映像を流す携帯を爪でカチカチ鳴らしながら、「いやー、やべー......」と思わず呟いた。スクリーンに映るマリアは、凛として美しく、まるで別世界の住人のよう。幼い頃の面影を探そうとしても、完璧なメイクと衣装に覆われて見つけるのが難しい。
自分の知る限り、兄妹でのツーショットを期待する声は多い。実際に予定されている音楽番組の本編放送もそうだし、雑誌やSNSでも、何かとオフショットを撮られたりコメントを求められたり。しかもそれは国内メディアだけではないので、なんだかとんでもないことに巻き込まれた感覚だ。
(はたして隣に立つ資格が?)
メンバーの声が耳に入る。 「キンチョーしてんの?」 「樹だってするでしょそりゃ」 「俺も緊張してきた!」 「なんで北斗が」
ふと、昔のことを話し始める慎太郎。 「会ったことある?」 「もうほんと、ちっちぇ〜時」 「おれバレエの発表会みたいなん観に行ったことある」 「なんで?」 「1人で踊ってた」 「それコンクールだ」
懐かしい記憶が蘇る。小さな体で大きなステージに立つマリア。バレエシューズを履いた足先は、まるで別の生き物のように独立して動いていた。彼女の踊りを見たのは何年前だろう。十年以上は経っているはずだ。
とんとん、と楽屋のドアを叩く音がしていっせいに返事をする。スタッフさんに出番を知らされ、めいめい立ち上がった。
「さあ〜きょうだい感動の再会の瞬間が刻々と迫ってまいりました、じゃん」 「インターネットに永劫残る映像を撮り行くぞ!」 「舞台裏の映像がいちばん再生数回るんだから」
急に不安がよぎる。 「何語しゃべったらいいの!?」 「日本語でいいんだよ」
あ、俺ら静かにしてような、と急いで神妙な顔を作った5人がしずしずと後ろにまわって、奇妙な絵面になっている。先頭のサングラスをかけた男は気合いの入った衣装に合わせイキがろうとしたが、なんとなく調子が決まらず失敗した。加えて珍妙だ。そんな様子でぞろぞろ楽屋を出て、動画撮影用のスタンバイ位置に着く。
「はあい回しまーす、5秒前!さん、にー、......」
無理やりエンジンをかけて6人でしばらく喋っていると、聞き取れない言葉の集団が近付いてきた。衣装やらメイクやらでキラキラと光るその片鱗が、ちらちら見え出す。
心臓が早鐘を打ち始める。五年ぶりの再会。今までの人生で、こんなに緊張したことがあっただろうか。デビューの時も、初めての武道館も、こんなに手に汗をかいた記憶はない。
すると誰からともなく「樹、うしろ向いといたら?」と言い出したので、寄ってたかって体を無理やり掴まれ向きを変えられる。さらにジェシーに抱きすくめられるように目元まで隠されて、なんという無理な体勢。
隣国の女の子のよく通る声で短い挨拶があり、カメラが増える。聞き慣れない言語では、悲しいことに声の判別がつかない。きょもがボソッと「え〜すご綺麗〜」と言ったので3人から軽くどつかれた。
「先に感想言うのやめてやれよ」 「ごめんごめん」 「これ俺たちいつ入ったらいいだろ」 「てか通訳さんいる?」 「マリアちゃんに通訳してもらうしか」 「俺サランヘヨしか分かんね」
時間が止まったような感覚。この壁一枚向こうにマリアがいる。緊張と期待で呼吸が浅くなる。
しばらくして、「それじゃ、どうぞ」と明瞭な日本語のスタッフから雑にフリをもらった。立ち位置の微調整。移動中もジェシーはぴったり俺を抱え込んでいたのでしっかり転びかけた。
「はじめまして、日本から来ましたジェシーです!」 「どうしようか、感動の再会カウントダウンする?カウントダウン......通じる?」 「count down?」 「ああこれ英語か」
メンバーが心配そうに囁く。 「兄貴ガチガチに固まっちゃってるけど大丈夫?」
「じゃあいくよ〜、せーの」
すりぃ、つー、わん?
ぐだぐだなタイミングでカメラの前に投げ出された俺の体はふらついて方向を失った。どこだ?と思って見渡すと、思ったより近い位置に妹の顔があって驚く。
「おお、びっくりしたあ......」
言葉が出ない。目の前にいるのは確かにマリアなのに、まるで別人のようだ。完璧なメイク、ステージ用の衣装、洗練された立ち姿。でも、その瞳の奥には、あの幼い妹の面影が確かにある。
「......」 「お、おっきくなったな」 「......うん」
Yeah!と盛り上がる周りとは対照的に、中心の2人だけがいまいちノリきれていない。ちょっと目を合わせて笑いかけて、その慣れない雰囲気に2人の間で緊張感が高まった。
「いやあ!大きくなったよね!あんな小さかったんにさあ!」 「慎太郎がアニキ面すんなよ」 「でもやっぱ可愛いし?ほんと綺麗だね!デビューオメデト♡」 「ジェシーはそれ何キャラなんだ」 「ひとりで知らん場所でさあ、よく頑張ったよね、本当おめでとう」
北斗が半ば呆れた声で言う。 「ああ、ああ、お兄ちゃんが言うこと全ッッッ部しゃべった。兄ちゃんの友達が全部かっさらってっちゃったよ」
スタッフ間からどっと笑いが起こって、向こうでマリアと揃いの衣装を着た向こうの女の子たちがニコニコとこちらを見ている。日本語での会話を理解しているようで、クスクス笑いながらマリアの様子を眺めている。
1人の子が、とんとん、とマリアの肩を叩いて何か尋ねた。2、3ほどやり取りをすると、全員がマリアを小突いて「もう仕方がないな〜早くしなよ〜!」と急かすようなモーションを取る。
それにしても揃いも揃ってお人形のようで可愛い。出来のいいアニメーション映画を見ているようだ。
「うん?」 「あ、えっと」
なるべく意識して優しい声を出す。恐る恐るこちらを見るマリアを怖がらせないように。
「マリア?」
キャア!と別の女の子が悲鳴を上げた。妹の名前を呼ぶことで、何か彼女たちのときめきの琴線に触れたらしい。彼女たちのリアクションに、ようやく緊張がほぐれる。
メンバーの黄色い声に恥ずかしくなったのか、とうとうマリアは俯いてしまった。それにつられて俺まで照れてしまって、全く上手に喋れない。
「げん、元気してた?」 「お兄ちゃんは......」 「お前、お兄ちゃんとか呼んでたっけ」 「...... 오빠?」 「なんて?」
えっと、へへ、えへへ......と笑いあって沈黙してしまった俺たちに「オードリーさんかよ」と北斗が呟く。
「も〜さっさとハグとかチューとかすれば?」 「たぶんだけど田中家はそういうので育ってないと思う」 「こんな感じでさあ!」
ジェシーが北斗に飛びついて頬にキスをする真似をしている。 「おいやめろ!」
男同士でとことんふざけたりドスドス無遠慮にどつきあったりするメンバーを見ながらふと、ママたちはこういうのをマリアに見せたくなくて函館にやったりしたのかな、と思った。賑やかな男たちの中で育つのは、そんなに悪いことだったのだろうか。
「えっ、えっマリアちゃん泣いてる?」 「今泣くとこだった??」 「キスアンドクライ!Kiss&cryだよ樹!」
振り向くと、俯いたマリアが顔に手を当てて震えていた。かすかに昔を思い出す幼い動きに、ばちばちっとシナプスが繋がったような感覚。小さい頃、ひとりで泣いていた時にもこうやって両手で顔を覆っていた。
「ご、ごめんマリア、兄ちゃんたち怖かった?」 「아니오......」(いいえ) 「え?」 「외로웠다......」(寂しかった)
困ったように見渡すと、メンバーの女の子と目が合う。きょろきょろ慌てながらも「寂しかったと言ってます」と慣れていなそうな日本語で教えてくれた。
「お前......そんな泣くんなら連絡ちゃんと返せよ」
その瞬間ワッと泣き出したマリアが俺の胸に飛び込んできた。温かい。小さい体が震えている。一緒に暮らしていた8年間、明確に自分が泣かせたことなどない。泣かせるのはいつも兄であり、両親であり、それからバレエ......罪悪感と優越感と、それを上回る愛おしさでおかしくなりそうになりながら、妹をなるだけ優しく抱きしめて頭を撫でてやる。
ごめんけどヘアセットは少し崩れてしまったかも。
「ごめんごめんごめん、怒ってるわけじゃなくて、俺も寂しかったからさあ......」
俺のメンバー達も「あっ樹も泣いちゃう!」「マリアちゃん樹に連絡してやってよ〜」「もうずっとそうしてなよそれがいいよ〜」と同時に喋り出して止まらない。
うちの奴ら何人か泣いているような気もする。やっぱ年取ると涙腺緩むよな。
「マリア、뭐라고 했니(なんて言ったの?)? すみませんロシア語がわかる人はメンバーにいませんので......」
泣きじゃくっている彼女からは言語の混沌が見られた。韓国語とロシア語と英語、それから日本語が混じりあって喋るので、ふと腕の中で泣いている妹が未知の生き物のように思える。
それでも血の繋がった可愛い妹であることに違いなく、幼い日の思い出がそのまま地続きでここにあるようだ。距離は確かにあったけれど、血のつながりは消えていなかった。
ポケットからハンカチを取り出し、マリアの頬を優しく拭う。 「マリア〜、もう泣かなくて大丈夫だから。今日うちおいでよ。今までの分いっぱいお話ししよう? ね?」
カメラの向こうから拍手が起こり、スタッフの誰かが「OK!最高の映像が撮れました!」と叫んでいる。でも俺たちはそんなことはもう気にならなかった。
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