目を覚ますと見慣れない景色で一瞬思考が止まる。窓から差し込む朝日は、カーテンに遮られてほとんど見えない。寝起き特有の軽いめまいを感じながらゆっくり体を起こすと、ちょうど足音がこちらに向かってきた。
「あ、起きた」
部屋のドアが静かに開き、樹が顔を覗かせる。
「おはよ」
「うん、おはよう」
ぎこちなく挨拶を交わす。昨日から今日になり、夜が朝になって、なんとなく距離を掴みあぐねている。勝手に気まずい。のろのろとカーテンを開いて少し部屋が明るくなったところで、別段気持ちを晴らすようなことは起きなかった。
「起きんの?」
「まあ、朝だし」
「昼だよ。メシくう?」
「ママ来たの?」
「来たよ。兄ちゃんたちも来た」
「覚えてない」
「代わる代わる寝顔見て帰ってった」
「起こしてよかったのに」
「誰も起こせねえよ」
樹にやさしく頭を撫でられた。全て本心から出た言葉ではない。何より家族を大事にする性分の兄は、親を疎み兄弟に嫌悪感を持つ妹のことを良く思いはしないだろう。
マリアは鏡の前に立ち、昨日の化粧が少し崩れた顔を見つめた。世界的スターとしての自分と、ここにいる素のマリアの間の乖離を感じる。「どっちが本当の私なんだろう」と呟いた。
「何?」樹が後ろから聞いてきた。
「ううん、なんでもない」
樹は彼女の肩に手を置いた。その手の温もりに、マリアは昨日の風呂場での会話を思い出した。あんなことを言うべきではなかった。兄と妹、それ以上のものを求めてはいけない。
「朝ごはん、作ったよ」樹は言った。「俺の特製オムレツ」
マリアは微笑んだ。「ありがとう。すぐ行くね」
樹が部屋を出た後、マリアはベッドに腰を下ろした。彼女は心の中で家族への本当の気持ちを押し殺していた。母親への怒り、兄弟たちへの無関心、そして唯一樹だけに対する特別な感情。それを樹に悟られたくなかった。彼が家族を大切にしていることを知っていたから。
キッチンからの良い匂いに誘われて、マリアはついに部屋を出た。樹がエプロンをつけて料理をしている姿に、不思議な安心感を覚えた。
「手伝おうか?」
「いや、座ってて。もうすぐできるから」
樹は大切で可愛い妹を前に、今までの恋人たちのように可愛がろうと振舞っていた。でも自分の言動に違和感を感じていた。彼女は妹だ。恋人じゃない。なのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。
マリアもまた、ぎこちなくも兄に甘えようとしていた。「お兄ちゃん」と呼んでみたが、それは彼女自身の耳にも不自然に響いた。
「何、急に」樹は笑った。
「久しぶりに言ってみただけ」
二人は向かい合ってオムレツを食べた。会話は世間話や仕事の話に終始した。本当の気持ちを言葉にするには、まだ時間が必要だった。あるいは、言葉にすべきではないのかもしれない。
「今日は何する?」樹が聞いた。
「明日の夕方には韓国に帰らなきゃいけないから、特に予定は…」
「じゃあ、二人で過ごそう」
マリアは頷いた。わずかな時間だけど、この瞬間を大切にしたかった。まるで眠りの森の美女のように、長い眠りから覚めたような気持ちだった。樹との再会によって、自分の本当の気持ちに目覚めたような。でも同時に、この目覚めが新たな眠りの始まりなのかもしれないという予感もあった。
「何考えてるの?」樹が不思議そうに彼女を見つめていた。
「ただの、バレエの話」
「白雪姫?」
「眠りの森の美女」マリアは微笑んだ。「目覚めの物語