テルカリュミレース。
帝国が唯一の国として君臨する世界。
この世界で人間はあまりにもか弱い。
街を一歩出ると、そこは魔物が闊歩する弱肉強食の世界。
人間は知恵と技術により、この世界を生き抜いているに過ぎない。
街を護る結界魔導器。
戦うための武醒魔導器。
船などの動力となる駆動魔導器。
人々は魔導器と共に、魔物と戦い、文明を発展させている。
……まぁ武醒魔導器を持っているとしても、私のような一般人が結界の外に出ることなんてほぼないのだけど。
ここはザーフィアス。
栄えある帝国首都……の下町である。日が昇り街が徐々に明るくなる。間借りしている倉庫兼自室は半地下なため、天井付近の窓から光が差し込む。そろそろ起きて店を手伝わなければ。石造りの階段をあがり、宿屋「箒星」の女将さんの元へと向かう。
「おはようございます」
「おはようシーク。あー……急で悪いんだけど、市民街の店が開いたら買い出しに行ってもらってもいいかい?」
「構いませんよ。なにが足りないんです?」
「卵とパンとミルクなんだけれど……気が付いたら残り僅かでねぇ……」
手持ちのメモ帳に個数をメモを取る。この程度なら1人で平気だろう。女将さんの心配そうな顔に笑顔で答えた。そんな顔しなくたってもう平気なのだ、と何度伝えても理解は得られないらしい。
宿屋の1階は酒場だが、昼間からここで食事を摂る下町の住人もいる。皆の憩いの場、となっているわけだ。つまりそれは朝から開店準備をしなきゃならないわけで。ここは酒場だと言うのに。
2階には客室が2部屋。今は片方埋まっているが、そいつも下町の住人。昔からの顔馴染みだった。
開店準備をしている女将さんに背を向け、箒を片手に外へ出る。宿屋前を箒で軽く掃除、空いてる方の客室の掃除と点検。それが終わる頃には市民街マルシェも開いてるだろう。
「……うん。今日もいい天気」
□□□
掃除を済ませて財布を片手に市民街へと向かう途中、下町の広場中央にある水道魔導器に目が止まった。
確か壊れて動かないんだった、か。
ハンクス爺さんが先頭に立って修理費を集めていたのは知っていた。しかしつい先日、全財産をつぎ込んだ買い物をした自分は、何も協力することが出来ずに歯痒い思いをしたのを覚えている。
筐体に魔核はしっかり嵌っているのに、魔核が光る気配はないしこのままでは水も出ない。素人には修理方法すら分からない。
魔導士に依頼するための金額はどうにか工面したと聞いていた、が。
「……修理の魔導士、いつ来んのかな」
朝も早い。
誰もいない広場で、ただ独り言として呟いただけ。
だったのに。
「今日の午前中には来て下さるそうじゃぞ」
「は、ハンクスさん……おはよう、ございます……吃驚させないでくださいよ」
「おはようさん。なんじゃその顔は。お前さんが気付かない方が珍しいと思うんじゃがな」
それはそうかもですが、とは返すものの、誰もいないと思ってるところに背中側から話しかけられて驚かない人は居ない、と思う。
「今日、直るんです?」
「貴族の魔導士の方が直してくださる。モルディオさんというそうじゃ」
「それは良かった」
ここ数日、水が止まった影響で皆苦労していた。それがやっと解消されるということだ。
「シークはこれから箒星の買い出しか?それならユーリも駆り出して連れていけばいい」
「いえ、これも仕事ですから。そこまで重いものもないですし……ハンクスさんは何か買ってくるものはないですか?」
「いや、特に何も買うものはないはずじゃな。まったく……ユーリにはお前さんを見習って欲しいわい。いつまでもフラフラしとらんで働けとな」
「あはは……まぁ、きっとユーリはあれでいいんですよ」
フレンも心配しとった、とハンクス爺さんが続けて言うが。
下町の用心棒、は流石に仕事とは言えないんだろうか。
□□□
「……なんで卵とパンとミルクだけなのにこんなに疲れなきゃいけないのさ……」
買い出しに市民街のマルシェに来たものの、いつもお世話になっている店が今日に限って臨時休業。
女将さんに頼まれた必要数を揃えるために、市民街マルシェを右往左往する始末。おかげで普段の倍以上の時間をかけてしまった。
「もう昼準備の時間になりそう……早く戻らないと」
市民街から下町へ続く坂道に向かう。空を見上げれば既に太陽は天辺へと差し掛かろうとしていた。
視線を空から正面に向け直す、と。
「う、わっ……と」
小柄なローブの人影が凄まじい速度で坂を駆け上っていて。
両腕に抱えた買い物袋を落とさぬよう、身を翻す。
「なんなんだ一体……」
人影を目で追うと、ローブの背中は勢いよく遠ざかっていき、貴族街へと向かう階段の方向へ消えていってしまった。
白いローブ。小柄。走って貴族街の方向に。
どうせいつも通り下町の揉め事のひとつだろう。
覚えておいて何かの役に立てばそれでいい。
今は買い出しを届けないといけないし。このままじゃ追えないし。
小さな言い訳を重ねて今度こそ下町に帰ろう。
□□□
「こりゃ酷い」
帰り道の途中で水柱を目撃はしたが、ここまでとは。
下町の広場はすっかり水に浸かってしまっていた。
「シーク」
「あ、ユーリ。凄いなこれ」
下町の入口付近で呆然と見つめていると、声をかけてきた昔馴染み、ユーリ・ローウェル。
思ったことをそのまま言っただけだが、早くも呆れられてしまった。
「凄い、で済ますなよ。市民街の方行ってたんだろ?なんか怪しいヤツ見なかったか」
「怪しいヤツ?」
もしかしてさっきのアイツが何かやらかした結果なのだろうか。見た目は確かに怪しかった、かな。
「水道魔導器の魔核が無いんだ。最後に触ったの修理に来た魔導士サマなんだとさ」
魔核が無い?
水に濡れないように正面へと回り込むと、確かにそこに魔核はなかった。
「買い出し行く前にはあったのに……」
「ハンクス爺さんもそう言ってたよ。シークと話した時にはあったって」
下町は事件が山積みとはいえ、こんなにもすぐに情報を求められるとは。
怪しいヤツとすれ違ったこと、その風貌と向かった方向をユーリに伝える。
「情報サンキュな」
「付き合おうか?」
急いで追おうとするユーリに声をかける。ラピードも居るとはいえ人数は多い方がいい、だろう。
「問題ねぇよ。それよりお前いいのか?」
「何が」
「下町全部1回は水に沈んだんだ。シーク、今地下に住んでんだろ」
下町全域水没。
自室は宿屋の地下。
宿屋の倉庫を間借りしている都合上、棚は使えずに自分の荷物は一部を除いて床に直置き。
「じょ、冗談、でしょう……?」
「残念。片付け頑張れ」
今日は何かに憑かれているんだろうか。