この世界で死ぬということ
行動が先か、結果が先か。
結末のために物語があるのか、物語のために結末があるのか。
かつて心ときめかせ、胸躍らせた空想の世界には岐路があった。
それはこれまで生きてきた日常を覆すような出来事であり、それは抱いてきた信条を投げ出してしまう出来事であり、それは自らの生を否定したくなるような出来事であり、つまりは物語の登場人物にとっての運命を決定付ける出来事のことである。
避けて通ることのできないそれらにあえて名前をつけるのならば、抗いようのない運命のことを悠里は「予定調和」と呼ぶ。
そうでなければ、虎杖悠仁が呪いを宿したことに納得などできなかった。持たざる者なりに十全を尽くした結果が、虎杖悠仁が両面宿儺を宿したという現在なのだ。些細なことを積み重ねてきた悠里だからこそ、ひしひしと強制力を感じさせる。
少年が呪いの王を宿すことは必然だった。
実際のところ、当然だろうという諦観もある。遠く記憶のなかにある「呪術廻戦」は、なにはともあれ少年が呪われた指を食んだことから進み始めたのだから。そこに何人たりとも介在する余地はない。
もしも。
もしも自分が持つ者だとすれば、と悠里は考えてみる。
輝かんばかりの才能に愛されていれば、他者に愛されるような素質を持ち合わせていれば、そもそも悠仁に地獄への道を往かせることはなかったのではないか。むしろ悠仁のみならず他の誰かを救うことだってできたのではないか。起こりえる悲劇を未然に防ぐことができたのではないか。
一個人の仮定にしては強欲だった。
どこまでもないものねだりだった。
欲しかったものを嘆いたところで過去は変わらない。確約のない有り得ない仮定をするなんて滑稽にもほどがあるが、変えることのできた事象があることもまた事実だった。
その最もであるのが「吉野順平が生きている」現状だろう。
紙上で繰り広げられた悲劇では、かの少年は老い先長いはずの命を呆気なく落とす。自らが慕った真人呪いに唯一の母を殺され、こともあろうに魂を弄ばれ、悠仁友人の手によって命を奪われるのだ。
必要な死だった。
正しい死を考え直すために不可欠な死だった。
呪術師としてのさらなる成長を遂げるために至要たる死だった。
友人を手に掛けたことによって迎えた運命の岐路は、物語が進んでいくうえで欠かせないきっかけだった。惨劇と、そこを起因とする情動とを養分にして、虎杖悠仁の命は育っていくのだ。
――では、吉野順平の死を体験しなかった物語は?
犠牲がなかったわけではない。が、友人の魂をいいように犯され、弄ばれた命を殺すことのなかった虎杖悠仁はどうだろうか。
悲劇を知った人間と、知らなかった人間では価値観は違う。
だとすれば。
――物語が物語としてあるための悲劇はどこで清算されるのだろうか。
避けられた虎杖悠仁が知るはずだった負の感情は、いったいどこで支払われるというのだろうか。
別に不幸を願っているわけではない。悠里の持論は「若いときの苦労は買ってでもするな」である。必要のない苦難は背負うべきではないのだ。いの一番に適応される存在が悠仁なのは言うまでもない。
しかし歴史には犠牲が付きものであるように、物語にも犠牲が付きものであるのだ。
架空のものでしかなかった世界に、虎杖悠里として確立された自分には耳に痛い言葉だった。足搔きに足掻いてきたからこそ、この世界の中心が紛うことなく虎杖悠仁であることを知っている。
因果応報。
等価交換。
正負の法則。
禍福は糾える縄の如し。
そうであるのならばきっと、命の対価は命をおいて他にありえない。
悠仁が原作での悲劇を回避する。それが可能になったのは悠里が存在しているからだ。
――蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか。
所謂、バタフライエフェクトと呼ばれる提言。蝶の羽ばたき程度の羽ばたきが、この世界では虎杖悠里のちっぽけな足搔きだとする。遠くの場所に起こる気象が、虎杖悠仁を取り巻く騒動が原作から外れた展開だとする。
虎杖悠里のささやかな抵抗が、虎杖悠仁に影響を与えて、その余波が確かに原作を変えているのであれば。
――その代償は必ずや虎杖悠里が払うことになるだろう。
知っているのは吉野順平の生存だけであるから、その対価こそが死の淵まで訪れたことだと考えている。喪失、絶望、歓喜、恐怖、殺意、希望、覚悟、恥辱、悲嘆、渇望、憤怒、憎悪、忘却、自失、共感、激情、懇願、悲哀、狂気、……――、迎えるはずだった感情の岐路がどれであるかは分からないが、呪術師としての成長を描いていくのであれば必要な出来事である。
生死の境目を漂った二度の機会は、おそらく代償だった。
根拠はないが、そうでなければ持たざる者である自分が、一般人である自分が、悠仁の人生に関わる大きな事件に巻き込まれることもなかったはずだ。だから今後も物語から乖離するようなことがあれば、原因である虎杖悠里こそが犠牲の肩代わりをするのだろう。
死は怖い。痛いのも嫌だ。
けれど不思議と、逃げようとは思わなかった。
(だって、……――)
これまで起こりえる悲劇の可能性を素知らぬふりをして命の取捨選択をしてきた。
自分の身を守るために、大切な家族を生かすというエゴために、積み重ねてきた自らの罪は両手では抱えきれないほどにある。それが今さらになって自分だけは例外だと宣うほど自分は傲慢ではない。
(それに)
名を呼んでもらったときから。
手を握ってもらったときから。
抱きしめてもらったときから。
誰かに唆されたでもなく、誰かに諭されたでもない。この世界で生きて、現実に存在する人間として自分の意思で決めたのだ。優しい子どもが、空虚だった■■■を家族として求めてくれたときから、もうずっと。
――虎杖悠里という人間の死に様は決まっているのだから。