この世界で生きるということ
卵が先か、鶏が先か。
記憶が蘇ったのか、記憶が飛び込んできたのか。
意識の浮上は緩やかだった。
覚醒はあまりに劇的だった。
片手にも満たない年月しか生を謳歌していない肉体には、いつの間にか、幼子に見合わない精神と相応しくない記憶が身体に馴染んでいた。
そもそも自分は死んだはずだった。
どうしてだか記憶は曖昧だ。霧に包まれたような想起では死因を説明することもできない。思い出したくないのかもしれないし、憶えていないのかもしれない。間違いなく命を落としたはずだったのだ。
朧気であろうとも事実は事実だ。何が起こったのかと疑問を抱いたところで変わることはなく、死にたくなかったと嘆いたところで変わることもない。
なのに。
なぜだろうか。
生の果てに在あるという彼岸ではなく、死の先に在るというあの世でもなく、血の通う温かな身体を以って現実世界に存在していた。
きっかけは皆目見当がつかない。
不可思議怪奇摩訶不思議に満ちた体験は謎の一言に尽きるが、起こったことは変えられない。けしてなかったことにはできないのだ。身に降りかかった出来事の理由を問おうにも、分かったところで何が覆るわけでもなし、解明することは早々に諦めた。
はて、いつのことだったろう。
世界に裏側があることを知ったのは。
視界を泳ぐ異形の姿。品種改良された植物のような、異種交配された蟲のような、異種移植された動物のような、――多種多様な姿形をした存在は、共通して爪先も見えない夜の気配を身に纏わせていた。
明らかに人間とは違う理のなかに籍を置くそれら。
思い付く限りの――死者。化物。怪物。魔物。怪獣。巨獣。妖。妖怪。妖異。妖怪。御化。妖魔。モノノ怪。魑魅魍魎。霊。幽霊。生霊。悪霊。死霊。霊魔。精霊。妖精。亡魂。魂。亡者。鬼。幽鬼。――人非ざるものの名称。物的証明はされずとも古くから語り継がれる想像上の存在たちに、直感が「そのどれでもない」と囁いている。
不可視のはずの気配はいつも何かしらの感情に震えている気がする。
思いの濁流。想いの渦。
消化できなかった情の成れ果て。
あれ、未知に対するにしては密な解釈はどこからやって来たのだろう。
「あ、……」
ぽつり。口からこぼれた音。
全身を駆け巡った刺激に泣き叫ばなかっただけ褒めてもらいたい。
なにせ今は穏やかに過ぎていく現実が彼方過去に物語として楽しんだ世界である、と気付いた瞬間である。混乱しないわけがなかった。湧き出してきた卵か鶏かの判断がつかない遠くの記憶は、小さな容量しかない脳には過ぎた衝撃だったらしい。
つかの間呆然としたあと。ぐらぐらと揺れる意識が転がり落ちるように暗闇に沈んだのを覚えている。
某少年誌連載漫画「呪術廻戦」
その身に呪いを宿した少年が正しい死を求めて戦う物語である。
正直に言おう。
好きだった。愛していたと表現しても過言ではない。
なぜならこの身この心は根っからのオタクであるが故に。
本誌の展開に情緒を狂わされ、単行本を嘗め回すように読み込み、アニメ化の知らせに狂喜乱舞する。原作を至高としつつも行間を深読みする。一番の解釈違いは自分だと猛省しつつも、解釈や妄想のアウトプット欲を抑えることもできない。そんなどこにでもいるオタクの一人が自分だった。
好きだった。地獄に足を踏み入れてさえ正しく在ろうとする姿も、大事なものを喪ってから決めた覚悟も、絶望に溺れながら捨てきれない甘さも、全部好きだったのだ。
――ただしあくまでも架空の物語として、だ。
物騒このうえない世界で死の恐怖と隣り合わせで生きていくなど冗談じゃない。
死んだ先、理由も知らされずに幕開けていた今世の命。産まれた理由が特にないのだとしても、せっかく与えられた人生だ。ただただ平穏に生きていたかった。
かつて愛した物語。
実体なき空想世界。
登場人物の在り方が鮮烈に綴られる紙上では、負の感情から生まれた異形を呪≠ニ呼んだ。
呪いは無慈悲に人間を害す。普通は見るもことも叶わないにも関わらず、それらは圧倒的強者の立場から人の命を奪うのである。同時に、呪いに抗う術を持つ人間も存在する。呪いを祓うことを生業にする者たちを呪術師≠ニ称し、数多の情緒を狂いに狂わせた漫画――「呪術廻戦」とは、世界の裏側で暗躍する彼らを描いた物語だ。
平等ではない境遇からはじまり、死神と手を取り合って踊る日常で各々の生き様が描かれている。なにせ常に変わりゆく死生観を問われるような内容だ、人の命が飴玉を砕くような感覚で消費されていく。
名に戴いただく通り呪いに関わる呪術師も、その関係者も、さらに呪いを感知できない一般人でさえも等しく死への距離が近いのである。危機への抵抗手段がない分、むしろ一般人であることのほうが恐ろしいかもしれない。
呪いが世間一般には知覚できないものだとする。普通に暮らしていれば関わらないものだとしても、呪いが見え、しかも物語の残酷さを知っているおかげで、訪れるかもしれない命の危機に怯えて日常を送っていかなければならないなんて。
こんなにもひどい話があってたまるものか。こんなにも残酷な話があってたまるものか。
そのときの絶望を。
そのときの恐怖を。
そのときの悲嘆を。
そのときの自棄を。
そのときの無力を。
何があっても忘れることはない。
記憶がどれほどぼんやりしていようと一度は死んだ身だ。別に積極的に死にたいわけではないとしても、どこか二度目の生を受け入れきれてない感覚は否めない。中身がどうであれ、ふわふわとした夢見心地だけは世俗に染まることのない幼児だった。
そうでなくとも生きていることへの実感は薄かった。
紙上の物語に迷い込んだ夢なのかもしれないとさえ思っていた。だって夢であるのなら、どうなってもかまわない。数百年前に薔薇の国で生まれた童話の少女もやがては現実に帰るのだ。もしかしたら自分もいつか目覚めるときがくるかもしれない。
世界はまるで伽藍洞。生きているのに色がない、ひとりだけ取り残された異物な自分。夢心地である意識は絡みつく負の感情を糧に、目に映るものすべてを曇らせるほど大きくなった。
空虚さを抱えた人間は抜け殻だ。
まるで人間を真似て作られた精巧な人形。
性質が悪いのは外見に似つかわしくない自我があり、取り繕うことが中途半端に達者だったことだろう。
呪は見えないものとして振る舞った。ほどほどに同年齢の輪に混ざりながら、お転婆するとしても手を煩わせるような面倒事は起こさなかったし、逆に幼児を世話することの大変さを知っているからこそ大事なところでは大人の指示に従った。
外面の良さが功を制し、おかげで周囲は口を揃えて「お利口さんね」と褒めやした。
中身は伽藍洞のままでありながら表面ばかりが好かれていく。空しくなかったと言えば嘘になるが、虚しさ以上にどうしようもなく生きることに価値を見出せなくなってしまっていたのだ。
けれど。
人間の本質から外れた道を歩いていた■■■のことを、たった一人の子どもが変えた。
「ゆうり」
と、その子どもが名を呼んでくれた。
「ゆうり」
と、その子どもが手を握ってくれた。
「ゆうり」
と、その子どもが抱きしめてくれた。
きっと特別なことなんてなかった。きっと深い理由のない行動だった。
そこにいるから名を呼んだ。
そこにいるから手を握った。
そこにいるから抱きしめた。
好奇心に近しい気軽さは、幼子の無邪気さ故に不明瞭な■■■の在り方を決めた。
他者との関わりのなかにこそ自己は確立される。
そして確立された自己が確固たる自我として生きていくためには、どんなにちっぽけでも理由が必要だ。新たな生を、放るようにして与えられた■■■は、目的も意味も持たされていなかっただけのこと。どれほど希薄であったとしても一度必要なものを得てしまえば、当然地に足をつけた人間となるのだ。
その子どもの名前を「虎杖悠仁」といった。
棚ぼたな今の人生の名前を「悠里」という。
在り方を決めるきっかけとなったのは家族。胎から出て外界の空気に触れた時間の差で弟になった、同じ歳の片割れ。
誰かに唆されたでもなく、誰かに諭されたでもない。この世界に生まれてはじめて、現実に存在する人間として生きていくことを、自分の意思で選んだのだった。
たとえ世界が次元単位で違うのだとしてもかまわなかった。だってもう、大切なものは決まったのだから。
虎杖悠里という名前で。
虎杖悠仁という人間の家族として。
昔の誰かが遺した「事実は小説よりも奇なり」の成句のままに、いつかの日々では空想であった世界に産まれ、そうして生きていく。