それはなんて素敵なことだろう 

 虎杖悠仁が呪いをんだ。

 厄災の名すら生ぬるい最悪の呪いが、人間の、それも生身の肉体に宿ったのである。呪いを扱うのに長けた人間たちが黙っているはずがない。この世には過ぎたる凶悪さを心身に抱えたことによって、悠仁は人知れず殺されてしまう恐れがあった。
 幸か不幸か。未来をうれう権力者の尽力によって首の薄皮一枚は繋がった。
 たとえ最期には兇悪の塊とともに絶息することが定まっているのだとしても。
 悠仁が取り込んだのは二十――両面宿儺は腕四本の鬼神の姿である――る内のひとつ。
 酷悪な呪いを宿してなお健全な肉体と精神を保つ稀有けうな身体に、すべての災いの種を内包し、けれどなんにせよ行き着く先は処刑だ。死に向かう執行猶予期間を「正しい死」のために使う悠仁は、遅かれ早かれただの学生ではいられなかった。

 原作知識のおかげで、そんな裏事情まで悠仁を取り巻く呪い諸々の事情を知る悠里であるが、表面上には何も知らない一般人ということになっている。
 虎杖悠仁は「宗教系学校への中途編入のため東京へ上京」した。本人からの自己申告がない限り、それだけが悠里にとっての真実だった。





 首都東京。
 見渡す限りの人間は地元では滅多にお目にかかれないものだ。慣れない人混みに酔いそうになりながら、休日に公共機関を乗り継いで悠里はとあるホテルを訪れていた。
 なんてことはない。友人の結婚式に招待されたからだった。
 東京訪問に関しては悠仁には連絡済み。宮城に帰る前に一目会える予定になっている、今のところは・・・・・・
 事情は知らないことになっているが、悠仁は呪術師の道に足を踏み入れてしまった。呪いを祓うために駆り出されることもあるだろう。せっかく来たのに会えない可能性もあるのは寂しいが仕方がなかった。
 ホテルエントランス。
 喜んで良いのか悪いのか迷う開口一番は「悠里は変わらないね」だった。
 再会を喜ぶ友人に自然と悠里の頬も緩む。長く会わなかった時間も、打てば響くような会話を重ねれば直ちに埋まっていくというもの。
 近況にはじまり何気ない出来事とて弾む。
「そっちこそ電話口で『準備大変。忙しすぎて無理。死にそう、てか死ぬ。いやいや生きるわ。私がプロデュースせねば私の理想の結婚式は挙げられぬのだから』なんて修羅場みたいなこと言ってたけど元気そうで安心した」
「地味にクオリティ高い真似っこすな」
「ずっと聞いてきたから自信あるよ」
「いやでもほんと想像以上にやらなきゃいけないこと多くて辛かった。分かってたんだけどね? 解像度高めるために調べたことあるから分かってたんだけどね? 実際に自分が体験ってなるとこの忙しさ正気かよってなるから」
「歴戦の戦士も殺す下準備」
「詠むな詠むな」
「まあ仕事も趣味も掛け持ちで結婚式の準備でしょ? お疲れさま」
「労りの言葉が染みる……。好きでやってることではあるんだけどね、それはそれとしてってことで。せめて作業進捗とかでワイワイできたら気も紛れたんだろうけど、……まさかプランナーさんとの会話中に作業通話するわけにもいかないし?」
「お二人の挙式、とは? 私は聞いてて楽しかったけど、それ独身ひとりみに言ったら嫌味に取られるから気を付けなよね。贅沢な悩みだな許さん処す、って」
「うふふ、知ってる。半分は愚痴でも半分は惚気だから間違いないし。いやー、飽きもせず最後まで付き合ってくれてありがと」
「はいはい、ほんとご馳走さまですという気持ち。ま、どういたしまして」
「あとね……」
「うん」
「わざわざこうやって東京まで来てくれて嬉しかった」
 出会いこそ割愛するものの、両手の指ほど年の離れた友人は趣味を共有する同志だった。
 とどのつまり年季の入ったオタクであるのだが、彼女は大学進学とともに地元を出た勢に入る。大学卒業後の就職先で明日正式に夫となる男性と知り合ったらしい。
「しかも式の前日から来てもらってごめん」
「何言ってんの、友人の晴れ姿をパートナーさんとご両親の次に見れる特権が与えられたんだよ。楽しみで仕方なかったに決まってる。はい、なのでこういうときは?」
 生涯を誓う、たったひとりを選んだ友人。
 心の底から気を許せる誰かと、明日、彼女は一緒になる。
 結婚式の日取りが決定してからの友人の連絡以降、何曜日になるかも確認しないまま、現地への前日入りを打診されて即決するくらいには浮かれている。
「……そうだね。来てくれてありがとう、悠里」
「よろしい!」
 久しぶりに対面した友人は美しかった。
 元より整った容姿をした女性だったが、まさに幸福の絶頂とでも歌いたげな面持ちで、纏う雰囲気も穏やかにこの場に存在している。幸せを前に上気した頬が薔薇に例えられるのも今なら頷ける。
「じゃあさっそく式場に案内するね」
 意気揚々と衣装を身に着けた友人が先導する。
 ホテルの玄関口から隣接された礼拝堂へと移動する道中も会話が途切れることはない。
「今更だけど、着てるドレスは本番用?」
「ううん、これは概念。デザインも結構一般的だから人様の前にも出れると思って、着たまま出迎えたの」
「あ、やっぱり? 相変わらずの縫製技術ですわ。これは明日のお直しで着替えられても既製品と勘違いするレベル」
「ふふふ、生地からこだわったんだから当然。しかも礼拝堂には、……」
 前日入りした理由に友人と心ゆくまで語りたかったから、というのは当然あるとして。
 あとは個人的な写真撮影をしたかったことも理由に挙げられる。職業や家柄、あるいは季節のイベントでもなければ、正装や会場といったものは馴染みがないだろうが、一部の人間にとっては話が違ってくる。
 普段とは異なる特別感のある服装や恰好にはどうしても血が騒いでしまうのだ。
「……礼拝堂には?」
「模造刀もあります」
「流石過ぎて草生えるわ」
「刀袋と刀掛けもあります」
「ガチじゃん」
「すべてはそう、この日のために」
 なにせオタクであるので。
 早い話が、どことなくコスプレっぽい、という訳だ推しの概念を象った衣装を身に纏い、それらしい写真を撮ることも、人生の晴れ舞台の前日であれば許されるだろう。
 今さらではあるが友人、衣装はほぼ自作タイプのレイヤーである。
 しかも結ばれる相手は趣味への理解があるらしく、式前日の写真撮影でテンションの上がった衣装を着ることに快く頷いたとのこと。友人のやる気が俄然がぜん燃えたのは言うまでもない。
 おかげで連日自宅での作業にはもっぱら惚気と進捗を聞くお供として、画面の向こう側にいる時間が長かった。友人の幸せな悲鳴とは良いものである。
「あ、お相手さんはいいの?」
「実は向こうで待機してもらってる」
「待って。そういうことはもっと早く言おうか」
「つい」
「つい、で待たせちゃってたの?! 初対面なのに?」
「たぶん初対面な感じしないと思うけど。私がお互いのことをお互いに喋ってたから、逆に既視感とか起こりそう」
「待って。私に語ってるだけじゃなかったの」
「まさか! 好きと好きを合わせれば最強だって偉い人も言ってた。だから本当に今日楽しみにしてたんだよ」
「まさかなんだが?」
「だって言ってないもの」
「そういうとこ」
 口元は綻ぶ。会話は弾む。
 足取りは軽く、柔らかな絨毯のうえを歩いていく二人の影を、春の日差しにも似た照明が鮮やかに映し出していた。





「                           」





 それは誰の紡いだものだったのか。声の主は知られることもないままに光がかげった。
 くらく。
 くらく。
 くらく。
 降り注ぐ宵に星々は浮かばず、すべてを覆い尽くそうと手足を伸ばす闇に底はない。かなた空の果てのような、はるか海の淵のような、絶望の色をした夜が静かに落ちた。





 祈りを捧げる礼拝堂は神聖たるべき場所である。
 教えに準じ、神を讃え、結果として保たれるはずの守護清らかさは、しかしながら不可解な闇夜によって濁りを帯びていた。
 外からの光を取り込む大きな窓は曇り、参列者が座る腰掛け椅子は空虚で、掲げられた十字架は神性を象徴するに弱々しい。祈りの場を満たす空気は禍々しく、かろうじて聖火の飾られた祭壇だけが、礼拝堂としての定義を必死に守っているようだった。
 さらには窓の外、かろうじて外界が見える部分から覗く得体の知れないもの。影を煮詰めて凝縮した色、汚泥が体を持った外身。生き物とも言えない気味の悪いものが、何かを探すようにゆっくりと、何かを求めるようにのんびりと、地べたを這うように移動している。

 身の毛がよだつ。
 骨の芯から震える。
 心臓が早鐘を打ち鳴らす。

 背中にすり寄ってくる悪寒が、あれに捕まってはいけないと伝えてくる。肌を刺す空気は清浄には程遠い。目に映るものの姿もまた同じく。
 その筋の者であれば不浄だと断じたことだろうが、残念なことに変質した空間に集まった人間は新郎新婦とその友人、あとはウェディング関係者、の一般人四名である。現状を正しく判断することはできなかった。
 太陽のない真昼とは、こんなにも恐ろしいものなのだろうか。暗がりを唯一照らす人工的な照明のもと、凍えそうなほどの恐怖が支配する空間を塗り替えるように、

「神様と言えば?」

 少女の問い掛けだけが鈍く響いた。
 何の脈絡もない質問だ。緊急時に問われるようなことではなく、意図もわからない。
 しかし混乱を極めどう行動すればいいか見当もつかない現状で、明確な質疑応答≠ニいう正解を求められていることは、疑いようもなく団結するための指針となる。

「祈りの言葉アーメン」

 と、悠里は声明する。
 言の葉を皮切りに関連する語句が次々に続いていく。

「イエス・キリスト」
「教会」
「救世主」
「神の子」
「処女懐胎」
「聖書」
「十字架」
「磔刑」
「隣人愛」
「聖母」
「ジャンヌ・ダルク」
「天啓」
「聖火」
「パン」
「ワイン」
「祈り」
「ノアの箱舟」
「聖なるもの」
「フランシスコ・ザビエル」
「踏み絵」
「修道女」
「先導者」
「月桂樹の冠」
「ステンドグラス」
「信仰」
「死と復活」
「ヨハネ」
「ヤコブ」
「ユダ」
「十二使徒」
「天使」
「聖女」
「マリア」
「カトリック」
「プロテスタント」
「信仰」
「ミサ」
「聖人」
「聖書」
「福音」
「天国」
「加護」
「救済」
「魂」

 知識の表出は言葉の洪水だ。寄せては反かえすさざ波のように、取り留めなく語られる幼子の戯言ざれごとのように、得体の知れない空間に語句が溢れていく。
「はい、ストップ。ありがとう」
 唐突な終止符。怒涛の勢いで積み上げられた言葉たちに悠里は満足気に頷いた。泉の如く湧き出させた知識は全員で出し合ったものであるが、悠里と友人が口にした語句が圧倒的に多い。
 色んなジャンルを通ってきたオタクって「ほんとそういうとこあるよな」と自分のことは棚に上げて独言ひとりごちた。
(でも、話が早くて助かる)
 悠里は大きく息を吸った。溜息にならない程度に吐き出していく。倒れないように地を踏む両足に力を込めた。
 落ちてきた沼底色の夜をとばり≠ニ呼ぶ。
 非術師――呪いを知覚することができない人間――には認識することのできない、結界術の一種である。本来であれば不可視のはずの術式は、付与効果は多様であれど、同じく不可視であるはずの呪いを秘匿するために使用されることが常だ。

 消化できなかった感情から産まれ堕ちた、呪いという人の理から外れた存在。

 呪いそのものはもちろんのこと、帳も世界の裏側を住処すみかとする常識だ。平穏に生きていれば知るはずのなかった事柄、知ってしまえば怯えて生きることとなる事実。
 日常に帰ることになる友人やその夫、ウェディング関係者にとっては酷な現実だろう。少なくとも悠里にとっての呪いとはそういうものだった。だからせめて本当のことは隠しながらも、現状を納得させるだけの説得力を持ち、最終的には気兼ねなく現実に戻れるような手助けをしてあげたかった。
 それゆえにこそ悠里はる。

「この世に生まれたときからおかしなものが見えた」

 人間の理から外れたもの。
 普通ならば不可視のもの。

「人に言ってはいけないものだと何となく理解してた。誰かに言うことができなければ、もちろん尋ねることもでなかった」
 実際は呪いであると正体を知っているが秘するとして。
「私は怪異オカルトであると認識した」
 あくまでも知らない・・・・悠里は秘匿されるべきそれらを怪異と定義付けた。
「認知しなければ存在しないのと同じだし普段なら無視してればすむんだけど、なぜか今日に限っては鮮明に見えている」
 問題がある。元より見えていた悠里は別としても、この場にいる全員が怪異、もとい呪いではあるのだが、を認識しているという点。

「異常なんだよ
「身内に幽霊を見た人はいる? もしくは自分が見たことあるとか? あとは心霊現象を体験したとか? ないでしょ?
「私の近く周囲にもいなかったし、圧倒的な少数派マイノリティなんだと思う
「見えちゃいけないものがはっきりと見≠ヲている。しかもこの場にいる皆が、なんて変な話だよね
「うんうん、信じがたいのは分かる。いきなり言われても困るもんね。私だって混乱してる
「でも現状が不慮の事故とかだとしてさ、施設のトラブルだったとする。じゃあホテルの従業員が現場確認に来ない理由は? こういうときって普通は誰か関係者が説明に訪れるとか、もしくは責任者が把握しているならせめて放送があるはず
「納得してもらえた? じゃあ続けさせてね
「礼拝堂も気になるんだよ。祈りを捧げる場所は本来神聖なもの。つまり神様の膝元でってことになるんだけど、……ほら、神社とかの空気が何となく澄んでるなあみたいな感覚でいてもらえたら
「でもって、そんな清浄な領域で奇跡以外の怪異が生まれている、というのが今この瞬間
「不浄はね、綺麗なものに耐えられないの。今回の怪異は人に仇為すもので、人に仇為すものは悪いもの、悪いものは不浄のもの。つまり綺麗さっぱりした空間には存在できないもので、あるいは存在したとしても人間への干渉はできないほど弱いものになる
「清らかな場所であるはずの礼拝堂がこんなにも重苦しいのは妙
「神の領域を犯した者がいる。もしくはものがある」

 もっともらしいことを述べているが理路整然をぶっ飛ばしたゴリ押しである。嘘にならない程度に事実を並べ立てた説明はこじ付けも良いところだ。
 しかし悠里はそういうもの・・・・・・だと認識した。
 曲解も都合の良い解釈も無理矢理だろうが飲み込ませてしまえば立派な道理である。
 暴論にも等しい認識を共有することで状況への理解に繋げさせた。綻びや矛盾を含んでいても、多少なりとも状況が把握できれば混乱は軽減されるものだ。

 混乱は暴挙の要因となる。暴挙は周囲を巻き込んで無意味な死を招く、特にこんな場面では。連絡手段の途絶えた山荘での殺人事件で容疑者たちの一人が「犯人がいるかもしれない場所で休めるか!」と自室に閉じこもったら死んでいた、なんて場面が再生されながらも、落ち着きを取り戻しつつある友人夫妻と関係者に良かったと一息ついた。
 このままでは礼拝堂も安全とは言い難いが、礼拝堂の外は危険すぎる。逃げようと扉から一歩出れば呪い――呼び名を変えれば呪霊じゅれい≠ナあるが――に殺されて途端に人生終了である。

 さらに言うなら入り口は蓋だ。悠里たちを閉じ込めると同時に、今は外界からの侵入も防ぐ一種の防御壁となっている。誰かの短慮的な行動で不本意に安全域を手放すのは愚行だった。
 危険因子は叩き潰すに限る。最低でも何か打開策が浮かぶまでは引き籠もっていなくてはならなかった。

「えっと、整理させてほしいんだけど……」

 想定外な現状に疑問を抱くのは自明の理だ。
 友人は片手を挙げて、おずおずと口を開いた。
「礼拝堂は神聖な場所で、本当なら悪いものが入って来れないようになっている。ゲームとかで言う結界みたいなもの、なのかな? でも今の状況では結界が何らかの理由で弱まっている。だから礼拝堂は悪いものが侵入して来た的な?」
「そんな感じだと考えてくれていい」
 信頼できるオタクはやはり信頼できるらしい。真実を粉々に砕いて表面だけを掬い取った説明を簡単な認識に落とし込んでくれた。
「……ちなみに悪いものは私たちをどうしようとしてるわけ?」
 独特な信頼感を寄せる友人が確信をつく。
 今この時、この場所で。
 それは誰もが口にせず、同時にずっと心の底で考えていたこと。
「殺されるよ、絶対にね」
「っ!」
 息を詰まらせた友人に「でも大丈夫」悠里は笑いかけた。やらなくてはいけないことはあるけれど。下手に身動きできない況下で、どうなるにせよ何もしないという選択肢はない。
「ここにいる皆にも協力してもらいたい」
 友人と、その新郎、それからウェディング関係者と向かい合って、深く頭を下げる。嘘を吐いていない代わりに真実を伝えてもいないからこそ、せめて態度だけは真摯でありたかった。
 当然のように「わかった」と返事をして縦に首を振ったのは友人。
 恐る恐る「なにをすれば良いんでしょうか?」と尋ねたのは新郎。
 力強く「もちろんです」と応えたのは女性のウェディング関係者。
「ありがとうございます」
 混乱の最中にあっても三者三様の返答は肯定的だった。悠里はもう一度頭を深く下げる。意味不明な現状で、それでも不確かな悠里の言に耳を傾けてくれたことに、心からの感謝を込めて。





 さて。
 と、悠里は小首を傾げた。

「ここでさっき言ってもらった単語を振り返ってほしい
「特に順序もなく話してたから一貫性はなかったけど、私たちのおおよそは神様を聖なるもの≠ニいう見方をしているのは分かったよね。でもって、揺るぎのない信心深さと、その身に起きた奇跡があったからこそ主を信仰している人間のことも同じように見ていると思う
「聖母マリアは処女でありながら子を身籠った
「主は人の身でありながら神であり、神でありながら人でもある
「ジャンヌ・ダルクは神の啓示を受けて愛国に勝利をもたらした
「フランシスコ・ザビエルは現代よりも航海技術が未発達な時代に命の危機と隣合わせながら来日して宣教した
「主は今なお世界中で存在を知られている存在。来歴は聖書として残され、形見は聖遺物として保管され、祈りを捧げる場所が創られ、数多の信者によって讃えられている
「自由信仰の日本にも取り入れられたものはたくさんあるよ。明日に控えた結婚式だって同じこと。神を讃える礼拝堂で、略式としても様式に則って挙式するんだから、主の御加護を認知しているのと変わらない
「神前式も同じだよ。神聖な場所をお借りしてこの人と添い遂げますと祝言を挙げるんだ。御加護を強請ゆするわけじゃないけど、神様の前で今後の幸せを願う
「極論は霊験あらたか信じる者は皆救われる、ってね」

 認識の周知は連想ゲームに似ている。
 こういうものである・・・・・・・・・、という認識の共有だ。

「神は人より生まれた」
「聖なるものは人を救う」
「人知を超えたもの」
「信仰は人が生み出したもの」
「信仰は人を救うもの」
「信心深さは奇跡を起こす」

 そういうものだ・・・・・・・と仮定するのであれば「人を救うものは、人が生み出したもの」と曲解することもできる。
 あとは。

「歴史には犠牲が付き物だって言わない?」
 衣食住を求めて閉ざされた土地を開拓するために、海に出た船乗りが新たな大陸に辿り着くために、前例はあれど不治の病を癒やすために、莫大なエネルギー源を得る研究のために、――不明瞭なものを明らかにするために、――多大なる犠牲を人間が払ってきたように。

 解き明かし。
 置き換え再現し。
 ときに無から創り。
 築き上げたものこそが。
 そのすべてこそが人類の歴史である。

 思いから生まれた願いがある。願いから生まれた手段がある。
 そんな人間の原動力が文明を興し、積み重ねることによって歴史を紡いできた。怪異も信仰も、畏れ多くも神という存在でさえ、人間の心が生み出したものであることに他ならない。
 だからこそ。そういうものである・・・・・・・・・と認識する。

「未知を既知に引き摺り墜とす」

 人間が生み出したものであるのならば、殺すのもまた人間であるべきなのだ。
 そう、――人間から産まれ堕ちた呪いさえも。

「私たちは不可解な現状を怪異≠ニして定義付けたよね。現象には原因がある。原因が分かれば解決することができる」
「……えっと、この怪異≠どうにかできるということで合ってる?」
「うん、まあそんな感じ。ただそれだけじゃ心許(こころもと)ないから、……さっきの神様に関連する語句諸々の話で補足していく。と言う訳で合わせてね」
「どういう訳かな?? まあ任せろ」
 心強い味方だった。
 異常に満ちた状況で、通じるべき常識が爆散した空間で、会話が成り立つだけの理解力が、いいや違う、怪異に対する理解力が元々備わっているのではない。あくまでも、会話として成り立たそうと尽力してくれているだけだ。
 応えなければ、と思う。
 これだけの信頼を寄せられた。怪異の正体を知らないなりに、きっと悠里が説明したからという理由で、限界まで精神を削って協力してくれている。
 未知に対する恐怖と隣り合わせてすら、意図を掴んで普段通りに振る舞おうとする甲斐甲斐しさに、報いなければ。

「怪異は?」
「悪いモノ」
「悪いモノを退けるのは?」
「神聖なもの」
「神聖なものとは?」
「神様」
「神様とは?」
「人を救うもの」
「人を救うものとは?」
「信仰」
「信仰とは?」
「人が創ったもの」

 解釈のすり合わせだ。
 怪異呪いを知る人間と。
 呪い世界の裏側を知らなかった人間との。
 交わるはずのなかった知識を、限りなく同じものに近づけるための情報共有である。
 悠里と友人が認識の掛け合いを行う。新郎とウェディング関係者が傍聴する。細かい内容の理解はできずとも「そういうものである」という知識が周知されれば、――

「人が創ったものは?」
「人が壊せるもの」

 ――それは確固たる認識となる。

 認識した信仰の存在。
 認識した怪異という現象。

「つまりここまでの認識の過程で言いたかったのは『信仰における聖なる存在に悪いモノ≠ゥら守っていただくのと、私たちが怪異に起因するこの不可思議不気味奇々怪々な現状をどうにかできる』ということ……」

 説明の途中で、込み上げてくる不快感に咳込んだ。
 押さえこんだ手元も見て、口から鼻にかけて広がる鉄の気配が、赤い血であることに気付く。

「ちょっと悠里! 大丈夫?!」
「あー、想像以上にしんどいわ、これ。ちょっと無理矢理し過ぎた」
「説明!」
「私を含む複数人で知識を共有することで、信仰やら怪異やらを強制的に人が扱えるものとして認知した。……私たちがしたこと、あとこれからやろうとしているのは一般人が踏み込むべきではない範囲のもの、本来人の身には過ぎたること」

 神であるからこそ為し得る御業みわざをこともあろうか、人間が領分を超えて干渉しようとしているのだ。

「不躾にも領分を越えて干渉するからには当然支払うべきものが必要になる。生きるためとは言え世知辛いことに」
「等価交換的な?」
「この場合は代償だろうね」
「まだ何もしてないのに……?」
「この礼拝堂だよ」

 カツン、と床に靴先を打ちつけた。
 先程まで濁りを帯びていた空気が軽くなっている。肌を這う心地の悪さは消え、息もしやすいはずだ。その証拠に悠里と話していた友人は除外しても、青褪めていた心労の顔色が改善されている。
(このウェディング関係者はもしかしたら見えている側なのかもしれない)
 恐怖に縮こまる関係者の姿は始終変化がなかった。変化がないということは、状況を理解したうえでどうすることもできないからと恐怖していたとも考えられるが。それはそれでかまわなかった。言いたくないこともあるだろうし、悠里とてこのような危機にでも陥らなければ、怪異について他者に説明することもなかっただろう。
 血生臭いのを唾とともに喉奥へと押し込んだ。

「礼拝堂は祈りを捧げる場所でしょ? 神様に祈りを捧げるための場所、イコール神聖な場所として認識した。だから、おそらく今この礼拝堂は怪異から人間を守る空間として確立されている」

 神の存在を認識し、人間を守ってくれるものと認識し、けれど同時に神聖なものを人間が扱えるものとして認識した。高次のものを引き摺り落としたからこその代償だった。

「あとは保険をかけようと思う」

 守りは強化した。
 怪異を解決できるようにも細工した。

「私は女≠ナある」

 けど、それでも足りないから。
 準備はどれほど重ねても足りないのだと、知っているから。

「男には見えないけど? どっからどう見ても女≠ナしかないでしょーが」
「女の役割のひとつに母親があるよね。子を産み、育てるという役割。でもさ知ってる?」

 助かるための保険をもうひとつ。かけておこう。
 今さら何を言ってるんだと問う友人の言葉を制して続ける。

「育てる前に、産む前に、――母は孕むんだよ」

 原初の海。
 生命の起点。

「命を胎に宿す」

 それはつまり。
 つまりそれは。

「最悪、私が取り込むから」

 ――人間の肉体で異形を孕むことができるのか?
 聖母マリアがイエス・キリストを身籠ったのとは事情が違う。
 本来ならただの人間には不可能であるはずなのだ。しかし・・・今この空間には新たな認識が満ちた。血の気が引く可能性――悠里が怪異呪いを取り込む孕む――の認識である。
 怪異の温床となり奇異の苗床となる選択肢を全員が認識してしまった。
 それも神の御許、神聖なる空間で。スキルにバフを付与したようなものだ。強化に強化を重ねた祝福呪いは覆しようもない。

「それと子を慈しみ、守る者でもある」

 重ねてひとつ。神様の手に寄らない、人が人を想うがゆえの情を。
 祝福まじないとして、この怪異から生き残るための手段として、あなたたちに贈ろう。

「悠里、やめて。ここに立て籠もってよう。待ってれば誰か助けに来てくれるって」
 言い募る友人の顔は涙で濡れている。悠里のやろうとしていることに真っ先に気付いてしまったからだった。
「あはは、化粧が崩れてるよ、もったいない」
 留まることなく、駆け足で落ちていく雫を拭った。
「そんなこと言ってる場合じゃないから、ねえ、やめてよ。せめて私も着いていくから」
「心配してくれてるの? 優しいね」
 友人の優しさが嬉しい。
 居てくれれば心強いとも思う。
 でも。
「だぁめ」
 だって。
「なんでっ?!」
 だって、ひとりだけの命じゃあないもの。
 嬉しそうに話してくれた懐妊の知らせを、友人である悠里が忘れるわけがないのだ。
「お腹の子、ちゃんと大事にしてあげてね」
 アレは、刺し違えてでも、連れて行くから。
 後ろ髪を引き千切られる思いで、縋りつかれた手を振りほどく。身体を思いっきり突き放して、ちょっとばかし乱暴な方法にはなったが友人を新郎へと預ける。
 友人を奪った男と、一瞬だけ視線が交わった。返されたのは目礼。
(ああ、任せても大丈夫だな)
 安堵を胸に、泣き叫ぶ声は聞えないことにする。

「あとね、……――」

 残すのは言伝ことづて。大切な家族に贈る、悠里が渡せるちっぽけなもの。
 死ぬつもりはなくとも、世界がどんなに残酷なもので、思い通りにならないものであるかは分かり切っているから。とつとつと願いを口にすると、友人が一も二もなく頷いてくれたのが声音から感じられた。
 重厚な造りの扉を開けて、振り向かずに悠里は闇のなかへと踏み出した。





 文字だけ見れば「東京の結婚式」というものは心躍るものだろうが、付属品に「明らかに人外」の注釈が添えられればどうだろうか。
 ここへさらに条件を付け加える。墨汁をまき散らしたような色と形状で、粘度の高い液体が、有り得ない、に不気味を足した意味での「人外」だ。
 音を立てながら、それが這いずり回っている。

 ――べちゃり

 やわらかに熟れた果実が潰れた音にも似た。
 高いところから生肉が落ちてきた音にも似た。
 たっぷりの唾液とともに咀嚼される音にも似た。

 ――ぐちょり

 すでに不快を過ぎ、不気味さえも飛び越して、怪奇になった響きだった。
 恐れに粟立つ肌と、怖れに慄く心。全身を恐怖で煮浸しにされた心地に、やっとのことで口から出たのは。

「嘘でしょ……」

 現実への否定。
 目を合わせれば死ぬ。
 当たれば死ぬ。触れれば死ぬ。
 歩みを止めれば死ぬ。思考を放棄すれば死ぬ。
 囚われれば死ぬ。捉まれば死ぬ。捕えられれば死ぬ。

 諦めれば死ぬ。死ぬ。死。死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死……――――
 ――死だ。

 形のない死が、けれど確かにそこにある。
 命の終わりに埋め尽くされた空間で、纏わりつくおどろおどろしいナニカを振り切るように、

 息を吸って、
 口を開く。
 言葉を、
 紡ぐ。

 どこか記憶の遠いとこ。心を躍らせた空想の世界での、とある聖なるみことのり
 人非ざる存在に対して絶大な効果を発揮する、邪悪なものを祓う祝詞一節。

 本当についてない。
(ああ、嫌になる)
 隠すまでもなくこちとら一般人だ。なのにこんなことに巻き込まれるなんて。
 聖書に書かれたような聖節なんて眉唾物だった。だから悪いものを祓うのに効果があると認識・・している一文を唱えた。
(これすらも、ほんの数秒の時間稼ぎにしかなんないだもんなあ)
 詠唱を終えた瞬間、身体からは力が抜けて、動かなく、なって。
 で、も。気持ち、の悪、いモノが、
 まだ、ソコで、蠢、いて。
 何故か、ガラス、の。
 割、れる音が、
 ひび、い、
 て。





 砕ける音がしたあと。
 耳に飛び込んできた声は。
「悠里!」
 これが幻聴でないのなら。
 間違いなく弟のものだった。
 重たい瞼を開ければ、愛おしい家族の姿があって。
「ゆう、じ」
「ちょっと待ってろ、すぐに治してくれる人んとこ連れて行くから」
 無理だ。これから悠里にかけようとする時間は、たぶん無駄になる。
 だってこの身体はそう長くは保たない。
 と、思う。
 こんなにも苦しい。こんなにも痛い。
 感じたことのない苦痛症状に、命が悲鳴を上げている。
 だから何があっても良いように、今。
 伝えておかないと、後悔することになるから。
「お願い、聞いて」
 残り少ない命に鞭を打って、声にすると。
「……うん、聞くよ」
 どこにこんな力が残っていたんだろう。
 さっきまで朦朧としていた意識が晴れて、伝えたいことが、溢れてくる。惜しむらくは、うまく動いてくれない肉体だけ。思考に唇が、追いついていない、気が、する。

「あのね」

 いつかの日。
 名前を呼んでくれた、あの日から。

「好きだよ」

 定まらない私を。
 一瞬で虎杖悠里にしたときから。

「大好き」

 これまでもずっと。
 きっとこれからも。

「愛してる」

 だから。

「――死ぬほど、ね」

 先往く私を。ひとり遺して逝く私を。
 一生許さなくていい。なんなら忘れてくれたっていい。
 その代わり。
 願うことはただひとつ。

「生きて」

 生きて、生きて生きて。
 最期まで自分らしく生き抜いて。
 そうして。
 幸せだと、いつか笑ってくれるのなら。
 寂しいけれど。悲しいけれど。あとはちょっとだけ悔しいけれど。
 たとえ傍にいられなくたって、かまわないときっと思えるようになるから。





 この言葉が。この命の在り方が。
 あなたを生かす縛りになれたのなら。
 




あなたを生かす、呪いになれたら
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宵、泳ぐ鳥