*
鮮血が散った。
己のものではなく、眼前の女から溢れたものだった。
鉄の錆びた匂いがする。命が薄れていく匂いとともに、細身の体躯にしわひとつなく纏われた着物が、腹部から流れる血を啜って鮮やかに色付いていく。
「直哉様、ご無事ですか……?」
か細い声。青白い頬。
震えている指先。
「なんでや」
負傷した女が絞り出した言葉に、至極当然のように疑問が湧いた。
痛いだろう。苦しいだろう。
痛みで泣きたいだろう。苦しみで叫びたいだろう。
だというのに、真っ先に意味のある音になったのが、あくまでも他人の安否を確認する内容であったものだから。年端もいかない少年——
禪院直哉は、心臓を締め上げる感情のままに疑問を口にした。
「なんで死にかけのアンタが真っ先に俺の心配なんてせなあかんの」
至極当然の疑問だった。
ただし少年の生まれ育った環境でなければ、と注釈がつくが。
死にかけの人間と、傷ひとつない人間。
どちらが優先されるべき存在であるか。年齢や性別、関係性等の事情は考慮されるのだとしても、真っ当な環境に生きる人間であれば前者を選択するだろう。しかしながら一般的な常識観念に直哉という少年の存在は含まれない。
というのも、直哉は生まれながらにして特別な立場にいた人間であったからだ。
呪術界において長い歴史と権力を誇る三家がある。
あらゆる負の感情を糧に生まれた呪い≠ノ対抗する術を持たない非術師の、かつて絶対的庇護者として存在した彼らは、俗に御三家——「五条」「加茂」「禪院」——と呼ばれている。自衛手段並びに攻撃手段を持つ者は、不可視の存在が見える少数の、そのなかでも数少ない存在だ。
呪術界が、封建的な色合いが濃くなったのはいつの頃だったか。特殊な血筋を次代へ継ぎはじめたときか、あるいは優秀な血族が幾つも台頭して御三家と恐れ敬われるようになったときか、はたまた御前試合で他家と刺し違えたときか。きっかけはどうであれ禪院を含む御三家は呪術師のなかで抜きん出て優秀だった。——それはもう行き過ぎるほどに。
歴史に語られてきたように、並び立つ存在のない立場は選民思想を助長させる。特権は人間を狂わせるのだ。弱者生存を掲げ、古くは崇高だった理念も今は錆びつき。御三家を含む呪術界の上層部は利権を主張する狐狸の魔窟と化していた。
直哉の属する禪院家は、御三家のなかでも飛び抜けて血統術式至上主義だ。
相伝の術式を引き継いでいない者は落伍者として人生を歩み始める。術式を持たぬ者はもちろんのこと、特に女性への冷遇は顕著で、落伍者の呼び名すら生ぬるい扱いを受けるのだ。そんな禪院家に、相伝の術式を受け継いで生まれてきた直哉を取り巻く環境、といえば想像に難くないだろう。
相伝術式は圧倒的な力を誇るからこそ、後世に残そうと継がれていく。
血脈で次いで、血筋で繋いでいく。純粋な強さゆえに、時として手段を選ばずに継がれていくのが相伝術式だ。
強さこそが呪術界この世界のすべて。
他を圧倒する強ささえあれば、誰に、たとえ何を――貶そうが、蔑もうが、辱めようが、蹴落とそうが、軽んじようが、嘲ようが、犯そうが、卑しめようが――しようとも許される。とんでもない暴論であるのだが、正道から外れた道理が罷り通ってしまうのが禪院家相伝を継いだ人間の立場だった。
ろくでもない。時代錯誤も甚だしい。
古臭く、カビでも群生してそうな、吐き気のする思想に顔をしかめて。
(待てや、どないなっとんねん)
そんな環境で育ってきた禪院直哉に相応しくない考え方と、唐突に浮かんだ疑念。
瞬間、思考回路が弾けた感覚。誰のものでもない記憶と感情が、血管という血管を焼き切ろうとするかのように駆け廻る。
「……笑けんなあ」
――いや、ちっとも笑えんわ。
狭まっていく視界。
落ちていく意識。
「ふざけなや」
くそったれた世界への呟きとともに、暗転。
*
『禪院家に非ずんば呪術師に非ず禪院家でなければ呪術師ではない』
『呪術師に非ずんば人に非ず呪術師でなければ人間ではない』
法律も驚愕で目を見開くだろう意味を持つのは、禪院に生まれた子どもたちが、子守歌よりも先に覚える謳い文句である。
「あかんで」
言い聞かせられ過ぎて諳んじることができるようになってしまった口上に、現在進行形で異議を唱えるのは直哉だった。
この家の思想に浸かった人間に聞かれれば面倒、……ではなく大変なことになるのは理解している。周囲に人がいないのは確認済みであるし、声量は囁く程度の大きさだ。窮屈な生活だとは言え、巻き込まれないために行動するぐらいの分別はある。
呟きひとつにしても神経を使わなければならない現状に、ついつい子どもらしからぬ溜息がこぼれた。
「あーあ、なんでこないなことになってしもたん」
禪院家相伝を受け継いだ直哉は、応えを期待せずに空に問いかけた。
整った顔立ち。憂いの満ちた表情。
子ども特有のまろさの残る、育ちかけの体躯。
大人との境目という、絶妙な均衡のうえに成り立った雰囲気の少年が空を見上げる様子は、今にも消えてしまいそうな儚さがあったが、他でもない直哉こそが、自身の中身に可愛げが欠片も備わってない自覚があった。
(やって、見た目だけやもんなあ)
遠い目をした直哉は思う。
——どうしてこうなった、と。
なにせ以前の自分には呪い≠ネどという、本来であれば不可視の存在は見えなかった。
それこそある意味魔法のような不思議な術を使えた体験もなかった。そもそも、である。名家と呼ばれるような家庭で育ったわけではなく、むしろ湧いて出るような一般家庭に生まれ育ったはずであったのに。
(何がどうしてこうなった)
頭を抱える直哉には、なぜだか幼子が持て余すほどの記憶がある。
ひとつ、禪院直哉という子どもの記憶。
ふたつ、■■■■■という大人の記憶。
常識的に考えて「あり得ない」出来事だが、事実は事実だ。
きっかけはそう、女中を供に散歩でもしようかと庭に出たときのことだった。ゆっくりとした歩幅で歩く直哉の前に、突然、後ろに控えていた女中が飛び出したのである。同時に、一瞬にして視界が赤く染まった。何者かに襲(おそ)われた直哉を、女が庇ったことに他ならなかった。
顔を隠した襲撃者は、自らの刃が直哉に届かなかったとみた途端に撤退した。守りの固い屋敷に単独犯での侵入とは考えづらく、誰か手引きした者がいるのは確実だった。捕えたところで目ぼしい証拠は見つけられそうになく、子どもと負傷者では追いかけることも困難であっただろう。
現場に残ったのは、何もできず立ちつくすことしかできなかった直哉と、それから血塗れの女。
「直哉様、ご無事ですか……?」
あのとき、瀕死の状況にも関わらず、直哉を庇った女は真っ先にこちらの身を案じた。
衝撃だった。
ふざけるなと思った。
息も絶え絶えの状態でまず直哉の安否を確認し、かつ助けを求めることもないのである。大人として当然、という話ではない。直哉を守って死ぬのは当然、という意思さえある言動だった。
——なんやの。
直哉は戸惑った。
理由が分からなかった。意味が分からなかった。
特別でもなんでもない自分が、身内ですらない誰かが命を懸(か)けてまで守る存在であることが、到底信じられなかった。
「――なんでや」
そして。
御三家が一角『禪院』に生まれた自分が、どうして
そんな疑問を抱いたのか。
溢れた記憶は、山火事のようだった。焦がし、焼き尽くさんと、身体中を廻る存在しないはずの――■■■■■という大人――記憶の数々。幼い身体に燃え広がる情報が重なり、混ざり、溶け合って。
そうして生まれたのが、現在の禪院直哉であった。
外身と中身がちぐはぐな直哉には、誰にも言えない秘密がある。
ふたつの記憶が脳内に収められているのは当然として、輪をかけて秘匿しなければならないのは「この世界の行く先を知っている」ということだ。
現在の直哉が存在する限り俗に平行世界と呼ばれる可能性もあるが、少なくともあるかもしれない未来の、そのひとつを完全でないとはいえ知っている。誰も知らないはずの情報を握っていることが外部に漏れれば、相伝を継いだ直哉とてまだ幼い、他人の好きなように利用されてボロ雑巾と同じく捨てられるに違いなかった。
結果、原作のことは錨をつけて心の底に沈めている。
使い方を誤れば即死だが、ふたつの記憶が合わさったことによって、現状認識が上手くできたのは僥倖だった。おかげで狐狸がわんさかと住まう魔窟で、のらりくらりと面倒事を躱しては、そこそこ良い感じに立ち回っている。
ときに優秀な後継ぎ候補として。
ときに心優しい少年として。
ときに可愛げのある子どもとして。
気付かれないよう慎重に、けれど鯛を得るため大胆に。笑顔の裏に隠した打算は今のところ見抜かれたことはなく、このまま騙されていてくれよ、なんて可愛いらしくないことを考えている。
(ま、お互いさまやし)
結局のところ、一言に尽きる。
禪院家の当主候補に選ばれた直哉を利用したくて周囲は良い顔をして近付いてくる。家の存続のために教育を施して、第二第三の禪院の子どもを育てていく。
だからお互い様だった。
さて、ここで原作の禪院直哉という男について振り返ってみよう。
古くから続く呪術界の思考に染まりきった人間だった、と今の直哉は思う。血統術式至上主義に、男尊女卑の思想。強ければ何をしても許されるとばかりの傲慢な態度に、青筋を立てた方々も多いのではないだろうか。
かく言う自分もその一人である。
誰の腹から生まれてきたと思ってんだ。
女の腹からやぞ、このボケナス倫理観奈落の底野郎。
躊躇いもなく十五の子どもを殺す言うたのはどの口や。
口をついて出た罵倒は多分こんな感じだった。
生まれ育った環境を思えば致し方ないことだったのかもしれない。しかも跡取り候補としての根回しもあっただろうし、伏黒恵ぽっと出の若造に当主の座を取られるなんて馬鹿高い矜持が許さなかったことだろう。同じ状況下に置かれている直哉だからこそ、ほんのちょっとだけ原作の彼の思考には妥協する。
でも、だからと言って許せねぇもんは許せねぇのである。
崇め奉って敬いたまえとは言わないが、他者に対する敬意は人間関係を構築するうえで抜かしておけない要素だ。尊敬できない人間も一定数存在することは確かであるが、少なくとも超えてはいけない一線というものがこの世にはある。
ただ、その一線を軽々しく超えていける人間もいる。——あろうことか、そんな人間に「今の禪院直哉」は成り代わったわけであるが。
美形に分類される顔の造詣。
見た目にも動くにも均衡のとれた身体。
禪院の子どもとして恵まれた術式。
しかも自動翻訳でもついてるのだろうか、普段の会話では意識せずとも方言に変換される。
(まあ標準語も話そうと思えば話せるんやし、こうも方言に囲まれれば癖付くのかもしれへんわ)
以前とは何もかも違う環境に置かれ、そのうえ確実に巻き込まれる立場に成ったのだ。
もしかして記憶のなかの自分は何か業深い罪でも犯したのだろうか。確かに火のないところに煙を立たせるオタク趣味は業深かったかもしれないが、こんなにもハードモードな世界に放り込まれるほどひどいものだったろうか。
悩みは無尽蔵だった。握り潰そうとしても指の隙間から溢れていくし、踏み潰そうとしても避けられるし、沈めようとしても浮かび上がってくるし、燃やそうとしても上手くはいかない。
価値観を金槌で砕かれていくような日々だ。
繰り返し響く。何度も響く。
声が『禪院家に非ずんば呪術師に非ず』『呪術師に非ずんば人に非ず』する。
そんなはずがないのに、誰かが人間から家畜へと落とされていく。才能を持って生まれたから呪いを祓うのに、もっと貪欲に強くなれと、他家に負けるなと、教育されて指導されて躾られていく。
痛くて苦しくて寒くて暑くてひもじくて悲しくて寂しくて狂っていて。
なによりも、怖くて恐ろしくて。
呪霊が怖くて、人間も怖くなった。いっそ真新な状態からの教育であれば、禪院の家訓に染まることができた。恐怖を抱くこともなく、罪悪感を抱くこともなく、禪院の家訓のままに生きることができた。
それでも。
以前の記憶が、残された価値観が。
——これは間違っている。
そうやって耳元で囁いて、禪院に成りきることを許さない。
術式の有無で待遇が変わることも、女が冷遇されることも、意味もなく暴力が振るわれることも、血の繋がった兄弟が血で血を洗う争いを起こすのも、感情に振り回された采配も、甘い蜜を吸う大人がいることも、何をしても許されると考えている人間がいることも、ぜんぶ、全部間違っている。
「せや」
——なんで思い付かんかったんのやろ。
ほたり。息苦しい檻のなかに降ったそれを、未来の直哉は何と呼ぶだろうか。
「俺が禪院家の当主になる」
誰にも聞かれなかった宣言は、奇しくも原作の禪院直哉も掲げた内容と同じだった。
禪院家の頂点に立つ。そして何人足りとも侵せぬ玉座に坐して。
「——当主になって、全部変えたる」
少なくとも現在の直哉は、それを野望だと思った。