*
人間には役割がある。
人様の言葉を借りるのであれば「歯車のひとつ」でしかない。
最終的に突き詰めると世界の中心は己≠ニいう自我の塊である。まずは自分自身が存在し、他者を認識し、そうして自らを軸として成り立っていくものだ。主観に満ちた世界での他者は有象無象に等しい。
けれど
原作ありきの世界には絶対的中心が存在する。
千年に一人の逸材である虎杖悠仁のような、最強を覆す可能性を秘めた伏黒恵のような、腐ることなき高潔さを誇る釘崎野薔薇のような、どこまでも輝かしい天つ才である五条悟のような、――幸か不幸か、真の持ち得る者たちのことだ。
物語の主役。
世界の中心。
彼らは一様にして、生まれながらに凡人が持ち得ない何か≠持っている。
渦潮の中央に立って一望する景色は、いったいどのように見えるのだろうか。やはり美しいだろうか、あるいは眩しいのだろうか。それとも醜いだろうか、はたまた薄暗いのだろうか。
なんにせよ、共有のできない眺めに違いない。彼らは世界に対して特別な役割を持つ。
――だとすれば、本来の禪院直哉の役割はなんだったのだろうか。
呪術界の因習を凝縮した模範例だった。
と、現在の直哉は思う。
崇高な理念――非術師の絶対的な守護者——を掲げた呪術界の在り方は、けれど裏側の世界を長らく支配下においてきたが故に腐敗することとなった。大輪さえ萎れ、花弁は散り、茎は枯れ、根は腐る。壌土が瘦せこけた地には、残った養分を吸い尽くそうと、どこまでも生と特権に貪欲な生き物が巣食っている。
そんな魔窟に住まう人間の在り方を、読者に分かりやすく提示するためのモデルケースが、
禪院直哉であったのではないだろうか。今となっては意味のない自問自答であるが、考えずにはいられないのが現在位置だった。
「皮肉やなあ」
直哉は口元を歪めた。
丁寧に、よく馴染むように自らの肉体に刻まれた名前——直哉——を、ゆっくりと舌の上で転がしてみる。
一文字目の直≠ヘ「正しい」「真っ直ぐ」の意味がある。
そして哉≠ヘ詠嘆、つまり強調だ。
——嗚呼、正しさよ。
——嗚呼、真っ直ぐさよ。
「……アホらし」
この在り方の、どこが正しいものか。
この生き方の、どこが真っ直ぐであるものか。
存在あるはずのなかった存在人間である直哉には、いつだって歪な影が纏わりついている。
どこに行くにもぴったり張り付いてくる気配は、責めるようにも嘲るようにも感じられて、どうにも息が詰まるけれど。すべてを放り出して、逃げてしまいたくなることもあるけれど。
「直哉様、お時間です」
「おおきに」
障子の向こうからの呼び声に、沈み込んでいきそうな思考が引き戻される。
(俺は、俺が為すべきことを為すだけや)
それがたとえ、すぐに実を結ばぬものであるのだとしても歩みを止める理由にはならず、逃げる言い訳にもなりえない。
「ほな、いこか」
行き先は大広間、悪鬼羅刹が集う場所。
禪院家次期当主候補最有力者である直哉は、また一歩踏み出した。
相伝術式を受け継いだことは、直哉が当主の座を勝ち獲るために有利に働く一因であるが、次期当主候補最有力者に躍り出た直接の要因でないのは、禪院に生きる者にとっては周知の事実だった。
【
投射呪法】
ひとつ、――一秒を二十四分割、己の視覚を画角とみなし、あらかじめ動きをアニメのコマ内の要領で作成。その後、作った動きを高速で後追いトレースする禪院家相伝の術式である。
ふたつ、――作った動きは途中で修正できず、過度に物理法則や軌道を無視した動きは自分もフリーズする。
みっつ、――適応範囲は術者、および術者に触れられた物。
つまり――「一秒間を二十四分割にした際の動き」を「物理法則」に逆らわない程度に「一/二十四秒の内に設定」し、あらかじめ設定した動きを「
術者」が「
軌道に則って動く術式だ。この術式の法則は触れた相手にも強制でき、瞬時に正しく「一秒間を二十四分割にした際の動き」を「物理法則」に逆らわない程度に「一/二十四秒の内に設定」することを知らない、もしくはできない相手に一秒間の
フリーズを課すことができる。
術式がなければ意味はなく、しかれども術式だけでも成り立たない。
求められるのは
投射呪法という才能術式に、使いこなすだけの
才能。早い話が才能を前提とした実力である。
「集まったか」
この術式を以ってして最速の術師と呼ばれる直毘人こそ、禪院家現当主である。
厳かな声に反応して、広間に集まった者たちは一斉に畳へと額づいた。豪快な音を立てて上座へと向かう直毘人の足取りに老いの二字はいまだ見えず、盤石として揺るがぬ威光が差して見えるようだった。
「皆元気そうで何より」
才能が物を言う世界で、御三家が一角の頂点に在る男が口上を述べる。
次いで「面を上げよ」と続けられた言葉に、一糸乱れぬ動きで全員が顔を上げる様子はいつ見ても壮観だ。老いも若きも関係なく、才能でのし上がってきた当主の前では、個人が培ってきた功績こそが最も考慮される。
たとえどんな手段で得たものだとしても。この会合は、そういった者たちの集まりである。
「さて、さっそく話し合いをはじめようではないか!」
盃ではなく、一升瓶。
御年の健康にはちっとばかし過ぎたる量の酒を片手に掲げ、直毘人は開会を告げた。
「直哉様がいらっしゃれば、いずれ五条も下せる日が来るろうて」
夢見心地で紡がれるそれは。
酒が回ってくると必ず誰かが口にする話題だった。
「違いない」
「五条の奴ら、いつか目に物見せてくれるわ」
「たかだか目が良いだけの連中が」
一人の言葉を皮切りに次々と溢れてくるそれらを、直哉は普段より念入りに表情筋を総動員して作った笑みで受け流した。
――禪院家に並ぶ、呪術界御三家「五条家」
対象の術式を看破し呪力を探知できることにより微細な呪力操作を可能にする六眼≠ニ、永久に近づく収束≠フ応用によって不可侵を成り立たせる五条家相伝【無下限呪術】を継ぐ家系である。ただし両方を兼ね合わせた者が生まれることは稀であり、一時はあわや衰退の一途とまことしやかに囁かれていたほどだ。しかしながら、かの家に寵児が誕生したことによって呪術界の均衡は大きく崩れることとなる。
寵児の名を五条悟≠ニいった。
彼は六眼と無下限呪術を持ち得て産声を上げたために家の者からは傅かれ、外部からは年端もいかぬうちに懸賞金を掛けられる存在となった。拍車をかけることになったのが五条悟の潜在能力の高さである。稀有な体質に鬼才の術式、さらに強大な力を十全に使いこなすだけのセンスを持ち得ていたのである。家の者による守護と、それ以上に自己防衛、ともすれば過剰防衛にもなる能力に長けていた。
何人たりとも触れられぬ存在は、まさに掌中の玉であった。
だが、絶対不可侵の領域に踏み込んだ人間がいる。
五条の天才と同世代に埋もれたが故に埋没し、術式は持てど五条の奇才とは相打ちすら叶わぬ相伝であり、優秀でありながら天才にもなり切れず、長らく呪術界の日の目を見ることのなかった存在。
(……言うても、もうあんな幸運は作り出せへんしなあ)
世が世なら持て囃されただろう人間の名を禪院直哉≠ニいった。
*
勝っても負けても角が立つ。
五条悟との勝負は、そういうものだった。
当時、紆余曲折を経て京都府立呪術高等専門学校に所属していた直哉にとって、姉妹校である東京校との交流会は他人事ではなかった。あの五条悟が参加するというのに、まさか御三家の人間である直哉が交流会に不参加というわけにはいくまい。
内心では嫌々と首を横に振りながらも、身体はしっかりと開催地東京の地を踏んだのであった。
恒例の一日目は「対校呪霊討伐戦」である。
「禪院の相伝っつったって
雑魚に変わりないだろ」
「……」
遠い未来、具体的には十年ほど先。
この日を振り返って「いやあ、あれほど自分の表情筋に感謝したことはありませんわあ」と語ることとなるのだが、若き日の直哉は、悟の舐め腐った発言に腹立たしさ半分慢心への感謝半分を胸に、沈黙に微笑みを添えて応じた。
せめてもの友好の印に右手を差し出せば、
「はあ? 禪院の野郎と握手なんて何されるか分かったもんじゃないね」
サングラスの向こうから輝く碧玉を覗かせて、無遠慮に
弾かれた。
間違いない。禪院の生まれでありながら、むしろ御三家の人間であるからこそ直哉は激しく同意した。確かに命を狙い狙われてきた家同士である、背景を考慮すれば直哉の行動は少しばかり浅慮だった。
「
堪忍な、ちょっとでも仲良くなれたら思うて気が急いたみたいや」
「キッショ!」
「……相変わらず尖っとんなあ」
触るもんみんな傷つけるお年頃かい。まあ年下の直哉に崩した口調で話されても指摘しない分、他の御三家に生きる人間よりかは頭が柔らかいのだろうが。
その日、京都校は圧倒的な五条の才の前に惨敗したが、何はともあれ一日目は無事に終了する。問題であるのだとすれば、二日目お馴染みである「個人戦」であった。
直哉が投射呪法自らの術式を使うときに想像するものは懐刀≠ナある。
かつて目前で女の身体が斬りつけられた際、鮮血を滑らせて煌めいた凶器がそれだったからかもしれなかった。直哉が現在の直哉禪院直哉に成ったときに見た、生き物の命を奪うもの。以前であればとんと縁のなかった、直接的に生死の懸かった体験。禪院で生きることを決めさせた鮮烈な赤を、きっと死ぬまで忘れることはない。
――生き物の命を奪うものは、強いものであるのだ。
意識を深く切り裂いた小さな刃は、つまるところ強いものの象徴に他ならなかった。呪術師にとっての強さが呪力や術式という生まれついての才能に準拠すると理解した後も、一度焼き付いた認識は早々に覆ることはなく、年月の経った今でさえ脳裏に絡みついて離れようとしない。胸を締め付けるような、心が塗りつぶされるような、あの瞬間を、煌々とした刃渡りとともに直哉は想像する。
自らの視界を。
不可視の懐刀で。
二十四分割に切り裂いて。
等割したひとつひとつの場面に「こう動きたい」という動作を、宙に描く要領で不可視の画面に刻み付ける。
時間は待ってくれない。前線では一秒が、――否、一秒にも満たぬ判断が生死を決する場合も少なくはないのだから。敵からの攻撃を受けるのか避けるの判断、同時並行で、こちら側の防御と攻撃を思考する。加えて術式を使用するのであれば、直哉の場合は物理法則に反しない動きを素早く設定し、処理していくことが求められる。
多大な情報量を処理し続けていく思考と、制限時間内に設定した動きに耐えうるだけの肉体が、投射呪法を扱うのには必要不可欠だった。
五条と相対し、
(まずは距離をおく)
直哉は試合開始直後に物量のない懐刀≠構えた。
一秒間を、二十四分割。己の視界を画角とみなした、二十四コマ。物理法則に沿った動きを二十四コマ内に設定、そして予め設定した動きを後追いトレースする。——不確定の未来一秒先を二十四分割に切り裂いて、後ろに下がる、という動作をひとつひとつに刻み付ける。
作業工程が終了すれば一秒後の直哉の立ち位置は開始場所のはるか後方だ。
(ん、悪うない)
術式の不具合もなく、出だしは上々。
完璧な立ち上がりだった、が。
「ふーん、それで?」
どうすんの、と五条家の至宝が笑った。
指が印を組む。不敵に歪んだ唇が呪い——「術式順転【蒼】」——を紡ぐ。
発動とともに
引き寄せられる身体。強い引力に抵抗することもできずに、五条のほうへ、吸い込まれるように引きずられていく。
「……そうなるやろなあ」
「禪院の奴なら、俺の術式は知ってんだろ。こんな場所でどれだけ離れたって意味ねーよ」
「おお、コワいコワい。聞きしに勝る才能やね」
近付いて。
ゼロ距離。
「言ってろ、よっ!」
跳ねた言葉に合わせて腹に一撃を食らった。
投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。そして繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が殴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を五条が蹴る。繰り返す。投射呪法を用いて直哉が離れる。術式順転【蒼】で引き寄せられ、その身体を……――繰り返す。延々と、淡々と、ひたすら直哉が攻撃を受け続ける。
一方的な五条の攻勢に、まるで逆らう気のない直哉。先に痺れを切らしたのは五条のほうで、眉根を顰め「――お前さ、やる気あんの?」と苛立ちに煮え滾った声で直哉に投げ掛ける。
「当然やろ、試合やで試合。諦めたらそこで終了やんか」
「はあ?」
「せやから――、勝負を放り投げたつもりはあらへん言うたんや」
問われたから直哉は答えたが、あまりにも説得力のない内容だったことだろう。
五条から攻撃されるタイミングに対し、向けられた呪力を相殺するために同等量小数点以下で調整し、当たる部位を守備強化している。包むように全身を通じて流している呪力は、操作技術だけで言うなら高度であるものの、逆に言えばただそれだけ。
限定的な呪力消費を守備徹底と表現すれば聞こえは良いが、要は馬鹿のひとつ覚えのように
同じことの繰り返し。
「……そうかよ、だったら力で捻じ伏せてやる」
びっくり箱を開けたら中身は大したことのないものだった、もしくは楽しみにしていたデザートがそう美味しいものではなかった。苛立ちを含んだ煽りは、そんなふうに幼子染みていた。
(
せやろうな あ)
拍子抜けだろう。つまらないだろう。
御三家『禪院家』の次期当主候補がこんなザマで面白くないだろう。
(しかも同じことの繰り返しやもん、お強い五条君は退屈でしゃーないやろ)
並ぶ者なき玉座。
齢十五にして頂上に坐した寵児。
飛び抜けた才能がゆえに幼少期を賞金首として過ごし、刺客を送られ続けてきた生活。五条家での戦闘訓もあっただろうし、実際の数は把握できていないが高専に入学してからの任務もある。五条の実践経験は年齢に似合わず豊富で、比べるべくもないが似たような境遇の直哉も同じかと期待すればこの体たらく、――と思ったに違いない。
心情を言い当てることはできずとも、事実は遠からずだろう。
(少なくとも
俺の知る五条悟は、そういう子どもや)
禪院で生きるのに枷だった呪力皆無≠ニ引き換えにあまりに優れた身体≠天から与えられたのが甚爾であるのなら、決して他者と共有することのできない世界≠ニ引き換えに全能とも呼べるほどの呪術師としての才能≠与えられたのが五条である。
自覚があるのかは別として。
(孤独やろな)
共感を求めているのかは別として。
(探してんやろな)
きっと五条は無意識に己と同族を探している。
同時に無意識に己の同格が存在しないことを理解していて、周囲の価値観を学ぼうとしているのだ。擦り合わせようとして学び、学ぼうとして理解できず、理解できずに体当たりで知っていく。
原作で夜蛾正道に叱られたように、家入硝子に飽きられたように、——夏油傑と
並び立とうとしたように。あの五条悟が、呪術界の至宝とまで称される五条悟が、周囲の人間に歩幅を合わせようとしている。
呪術界最強≠フ名を欲しいままにできる能力があるというのに、こんな時期に五条の最強さが証明されていないのはつまりそういうことだ。
無意識下で己に枷を課している状態にも関わらず五条は単純に強いのであるから、世界の不公平さと言えばまったくもってないったらありゃしない。
けれど。
それは決して。
「――俺が戦わん理由にはならへん」
そしてまた同じく、直哉が勝利を諦める理由にも成り得ないのだ。
【無下限呪術】
永久に近づく収束≠フ応用によって不可侵を成り立たせる五条家相伝。
術者本人の周りには術式によって現実化させた「無限」がある。打撃や呪力による攻撃はもちろん、質量をもった物体等も近づくほど無限に遅くなっていき、術者との距離は決してゼロにならず、透明の壁に遮られているかのように届かなくなる。
無下限呪術の
本来の術式を強化することで――「術式順転【蒼】」――
収束≠現実に発生させるのが五条の才能術式の応用である。
引き寄せられる。
強制的な重力だ。強引な引力に主導権を握られて、直哉の身体は五条へと近づいていく。
距離が縮んだとて直哉には有効手段がない。
なにせ五条に触れられないのである。無下限呪術で阻まれた壁は五条術者本人によってのみ操作可能なものだ。術式順転【蒼】で身体を引き寄せられ、こちらに攻撃の機会が巡ってきたとしても無下限呪術で完全防御されてしまう。
「……ほんま
嫌になるなあ」
五条悟の強さに。
何よりも
小細工でも仕掛けないと同じ土俵にも立てない、自分の弱さに。
「余計なこと考えてる暇がお前にあんの?」
「あるわけないやん」
「だったら……」
「せやから、必要なことしか考えとらん、よ!」
再びゼロ距離。
五条が殴る。
「は……?」
直後、
無下限完全防御が解けて。
「まずは一発、お返しやなあっ!」
直哉の拳が、試合開始はじめて五条の身体に打ち込まれた。
*
「五条悟の攻略法だあ?」
直哉を投げ飛ばした甚爾は、いかにも面倒です、といったふうに表情を崩した。
「いつから自殺願望者になったんだ? 世を儚むにはちと早いんじゃねーの」
「そない言うほど無謀?」
「無謀も何も、そこんとこ通り越して命知らずとしか思わねえ。言ったろ、
背後に立った天与呪縛のフィジカルギフテッドに気付いたんだ。規格外には妥当な評価だろうがよ」
「はー、知れば知るほど
化物やね」
「違いねぇ。しかも五条のガキが生まれてから、ずっと禪院の空気もヒリついてやがる。居心地悪いったらねーよ。ま、お前は五条のガキの前に俺を倒す、……まではいかなくてもせめて一本入れられるようになるほうが先だ」
「無理ゲーやん」
「術式も使っていいんだぞ? せっかく受け継いだ相伝術式だ、使ってなんぼの
才能だろ」
「ふざけなや、触れられへんのに使用も不使用もあるかボケ!」
呪術師にとっての体術とは呪力を載せ放つものである。呪力で強化した肉体による攻撃は祓呪の武器となり、それは対術師戦においても変わらない。当然、禪院家でも体術の鍛錬は課せられる。
『
院家に非ずんば呪術師に非ず』
『
呪術師に非ずんば人に非ず』
呪霊を確実に祓うために、呪詛師を確実に葬るために、――禪院で
人間となるために幼少期から指南役をつけられるのだ。
指南役に求められるのは呪力の扱いという基礎から術式の使用といった応用まで、さらには身体の作り方から体術まで、と幅広い。個人に向き不向きがあるのと、全般を一個人が負うのは負担になる、という理由で直哉には何人かの指南役がいた。家の者たちが決めたからには無能ではなかったのだろう、人選の裏に思惑は星の数ほどあったのだとしても、現に彼らの指導は実力を伸ばしてくれた。
しかしながら、直哉にとっての体術最強は甚爾である。
幼い直哉は指南役の目を盗んでは、
「はっ、じゃあ手加減してほしいのかよ」
「……せんでええ、ちゃんとやって」
甚爾に稽古をつけてもらっていた。が、実力差が天と地ほど離れている。投げ飛ばされては吹っ飛ばされ、吹っ飛ばされては言葉で刺され、心身ともにズタボロにされながらも成長を続ける日々だった。
「だろうな。ああ、あと……——」
――さっきの話だったか。
「削る方法はあると思うぞ」
直哉の師は、端正な顔立ちを不敵に歪めた。
*
五条悟の攻略は、無下限呪術の攻略である。
かつての甚爾は「削る」と言った。原作での五条悟を知る直哉も同じことを考えた。しかも直哉は
知っているのだ、ふたつの碧玉を見開く最強が未完成であることを。
——学生時代の五条悟は無下限呪術を
標準装備で使えない。
無下限の展開は膨大な脳内処理を伴う。
反転術式を会得していない五条が常時標準展開するとなれば、脳への負荷は計り知れない。だからこそ現在の五条は呪力と物理の攻撃の、そのタイミングの前後に焦点を合わせて絶対防御を張っている状況だ。
向かってくる攻撃情報を術式で近付けさせていない脳内で処理している。
だとすれば無下限で処理しなければならない攻撃脳内での処理量を増やせばいいのである。
五条が術式を使用するのは、処理する必要のある攻撃――物理及び呪力の載った――である。つまりは体術、呪力の載った技、そして――
呪具だ。
【呪具】
術師が使い込んだり、呪力や術式を込めた武具。
五条家特異体質六眼≠ヘ、すべての呪力を見通す。
術者の術式さえも強制的に情報開示させるそれは、
ミることに関して万能であるが故に微細な呪力操作を可能にし、対象が呪具であろうと効果を発揮する。たとえ——優先して処理すべきでない情報量が増えるのだとしても。
五条の六眼は呪力を感知する。
呪力への高い感応性が攻撃だと認知する。
攻撃だと認知されれば
防御せざるを得ない。
「我慢比べ、しよか」
引き寄せられるのではなく、今度は直哉自身が距離を縮める。
いまだ何が起こったかを把握できず、次の行動が定めきれていない五条に、呪力を載せて蹴り込む。無下限で防御される。
小刀を投げる。無下限で防御される。蹴る。無下限で防御される。多節棍を振り回す。無下限で防御される。回転式拳銃で狙い撃つ。無下限で防御される。折る。無下限で防御される。鏢を投擲する。無下限で防御される。鎌で切りかかる。無下限で防御される。突く。無下限で防御される。十手で抑える。無下限で防御される。無下限で防御される。放つ。無下限で防御される。小刀を投げる。無下限で防御される。蹴る。無下限で防御される。多節棍を振り回す。無下限で防御される。回転式拳銃で狙い撃つ。無下限で防御される。折る。無下限で防御される。鏢を投擲する。無下限で防御される。小刀を投げる。無下限で防御される。蹴る。無下限で防御される。多節棍を振り回す。無下限で防御される。回転式拳銃で狙い撃つ。無下限で防御される。折る。無下限で防御される。鏢を投擲する。無下限で防御される。鎌で切りかかる。無下限で防御される。突く。無下限で防御される。十手で抑える。無下限で防御される。無下限で防御される。放つ。無下限で防御される。槌で殴りかかる。無下限で防御される。押す。無下限で防御される。矛で刺す。無下限で防御される。鋏で切る。無下限で防御される。刺股で取り押さえる。無下限で防御される。踏む。無下限で防御される。殴る。無下限で防御される。裂く。無下限で防御される。鎌で切りかかる。無下限で防御される。突く。無下限で防御される。十手で抑える。無下限で防御される。無下限で防御される。放つ。無下限で防御される。槌で殴りかかる。無下限で防御される。押す。無下限で防御される。小刀を投げる。無下限で防御される。蹴る。無下限で防御される。多節棍を振り回す。無下限で防御される。回転式拳銃で狙い撃つ。無下限で防御される。折る。無下限で防御される。鏢を投擲する。無下限で防御される。鎌で切りかかる。無下限で防御される。小刀を投げる。無下限で防御される。蹴る。無下限で防御される。多節棍を振り回す。無下限で防御される。回転式拳銃で狙い撃つ。無下限で防御される。折る。無下限で防御される。鏢を投擲する。無下限で防御される。鎌で切りかかる。無下限で防御される。突く。無下限で防御される。十手で抑える。無下限で防御される。無下限で防御される。放つ。無下限で防御される。槌で殴りかかる。無下限で防御される。押す。無下限で防御される。矛で刺す。無下限で防御される。鋏で切る。無下限で防御される。刺股で取り押さえる。無下限で防御される。踏む。無下限で防御される。殴る。無下限で防御される。裂く。無下限で防御される。突く。無下限で防御される。十手で抑える。無下限で防御される。無下限で防御される。放つ。無下限で防御される。槌で殴りかかる。無下限で防御される。押す。無下限で防御される。矛で刺す。無下限で防御される。鋏で切る。無下限で防御される。刺股で取り押さえる。無下限で防御される。踏む。無下限で防御され。殴る。無下限で防御される。裂く。無下限で防御される。矛で刺す。無下限で防御される。鋏で切る。無下限で防御される。刺股で取り押さえる。無下限で防御される。踏む。無下限で防御される。殴る。無下限で防御される。裂く。無下限で防御される。槌で殴りかかる。無下限で防御される。……――
同じことの繰り返し。
呪具と体術の応酬。息を吐く間もない攻防。
攻守の入れ替わり立ち代わりは怒涛だ。特に
見ている者を圧倒する。
「ふざけんな! お前、それでも術師かよ?」
「ふざけとらんよ、使えるもん使わん奴はただの馬鹿や。……俺は五条君みたいに強うないからな。
術式で勝てんのやったら他の
手段に頼るしかないやろ」
「はあ?
禪院の人間の言葉じゃねえぞ」
「やって俺、十種影法術才能ないもん。ああ、そうそう。弱うて……」
甚爾体術最強仕込みの体術に、甚爾体術最強]仕込みの武具の扱い。直哉が五条に勝る点といえば、そのふたつ。
それから
存在しないはずの記憶 。本来の直哉禪院直哉にはなかった善性を現在の直哉禪院直哉に与えた知識は、万金に勝る価値がある。
「ごめんちゃい♡」
近付いてゼロ距離。
直哉の拳が、再び五条の身体を捉えた。
「あはは、マジかあ……!」
二度目の殴打に、五条は破顔した。
獰猛な笑みだった。気狂いのような、あるいは獲物を見つけた獣のような、そんな表情。
滴る鼻血を、綺麗なままの袖口で乱暴に拭った。広がった瞳孔を確認でもさせるように、直哉を
ミて――「
目が悪いくせによくやるね!」――目覚め、はじめた。
「……これはあんま成功率高くなかったんだけどさ、今ならできそうな気がすんだよね」
おどろおどろしくて、なのに目が離せないのが五条の呪力である。
空色の瞳がいっそうに輝いて、歪む。
弧を描いた唇が殊更に攣って、歪む。
空間の一部分が弾けるように、歪む。
歪み、赤く蠢いた。
けれど【赫】は【無下限】であり、直哉はそういうものだと認識した。
術式の開示は正確に把握されてこそより効果を強化をするものだ。だとすれば、ある意味で誤認された術式はどうなるか、——少なくとも強化はされない。五条家の術式についての記録は他御三家に連なる家々とっては開示された同然のものである。なにせ記録とは残るものであるのだから。
術式が開示された状態で【赫】と【無下限】が同義であるという歪んだ認識をしたままであれば、先程の要領で多少なりとも軽減はできるだろう。
(とんだ
辻褄合わせやけどな)
これがどれだけ無茶振りであるか、御三家に生まれた直哉こそ知っていたけれど。負けないためならどんなことだってできること知っているから、無茶でも通し抜いてみせる。
無限を発散させることで――「術式反転【赫】」――対象物を弾き飛ばす衝撃波を発生させる。
才能とは、なんて輝かしいものだろうか。
自分が持っていないもの。これからも、きっと手にすることがないだろうもの。
呪術界で我を通すのに恵まれた力がある五条が、どうしたって羨ましくて、仕方ない。
泥に塗れた眩しさに目を眇めて、直哉は歯を食いしばった。
(ふざけなや)
何度も、何度も何度も、繰り返し直哉の胸を焼いた言葉だ。
消費されていく呪力。限界が近い体力。なのに、唯一ひたすら澄み渡っていく思考。薄氷の均衡で成り立った攻防戦を五条と繰り広げながら、
(負けとない)
と、直哉は思う。
術式の有無で待遇が変わることも、女が冷遇されることも、意味もなく暴力が振るわれることも、血の繋がった兄弟が血で血を洗う争いを起こすのも、感情に振り回された采配も、甘い蜜を吸う大人がいることも、何をしても許されると考えている人間がいることも、ぜんぶ、全部間違っている。
だって、女は優秀だった。
だって、甚爾は強かった。
直哉の周囲にいた
人間は、皆何かに秀でていた。
女であろうと、呪力がなかろうと、確かに優れていたのだ。そんな彼らに仕えられ、育てられたと言っても過言ではないほどに、直哉は情と時間を注いでもらった。
(やったら……)
戦って、勝ちたい。
勝って、証明したい。
(甚爾君らが、俺の誇りやって……!)
呪術界の頂上を崩せたなら。崩せずとも不可侵の領域に踏み込めたのなら。
直哉を育てた彼らこそが
誇りであると、確かに宣言できるはずだ。
右手に懐刀。身に纏う呪力。
そして、左手に天逆鉾を携えて。
——こんなにも、心と身体が踊ったことはあっただろうか。
右手に
懐刀。
身体に
呪力。
向かってくる直哉の情報は相違ない。
繰り返された呪具による攻撃。繰り返された呪力を纏った体術による攻撃。無下限で防御しながらも、
絶え間なく続く進攻に
耐えきれなくなったのは五条のほうだ。弾け飛ぶような負荷は錆びついた鉄の味と匂いがして、なのに、気分だけはどこまでも心地が良かった。
――認めよう。
相対した直哉禪院に
技術があることを。
派手な様のなりに地道な侵略は、まるで蜜だった。甘さが舌に絡みつくように、退屈だった五条の心を満たしていった。悪くない、と五条は思う。
けれど。
(お前の
おかげだよ)
五条はその実力を認めたうえで、直哉を蹂躙する。
不可侵の領域五条悟の無下限に踏み込んだ、はじめての相手。故に、有象無象から成り上がっただけの相手に相応しい術式才能で、完膚なきまでに叩き潰してみせる。
「術式――」
印を組む。ただ、それだけのこと。
五条にとって呪力を扱うことは、幼い頃から息をするのと同じ感覚だった。
すべての呪力を見通す特異体]質六眼≠ニ、無限を現実させる無下限呪術。才能を抱き合わせた五条は、それらを上手く使いこなす
術式さえも持ち合わせているのだ。周囲の言う出来ない、という感覚のほうが理解し難かった。
そんな五条でさえ「――反転――」には手を焼いた、が。
かつて経験したことのない高揚感。夢見心地ですらある感覚に酔いしれながら。
「――【赫】」
無下限呪術の果て。赫く煌めいた、空虚の塊。
自らの手から生み出されていく輝きの、その呪い名を音にする。同時に術式の対象を禪院直哉に設定する。
自らの手から離れる。赫と黒の花火が、瞬きをあげて放たれる。
弾けて、
轟音。
形を成した【赫】の対象は直哉であるが、被害はそこだけには留まらない。試合場として形成された帳にも似た結界は、十分な広さがあったにも関わらず一部を除き崩壊。延長線上にあった地面は抉れ、石畳は粉々に砕かれている。
威力に絶句する周囲の、その沈黙を破るように「……ほんま
無茶苦茶やんなあ!」直哉が煙のなかから現れた。
満身創痍の姿で五条に左手で斬りかかってくるのを咄嗟に無下限で防御して。
(……待て、
左手?)
持ち替えたのか。
(違う)
形状が小刀のそれじゃない。
二叉に分かれた刃先。独特の刃渡り。
そして何より、触れたことない異質な呪力。
視認した瞬間に不可視の盾が解かれた。
接触した
それを五条は正しく理解する。
「強制的な術式の解除か……!」
「正解や。特級呪具【天逆鉾】――名前くらいは聞いたことあるんやない?」
「今は禪院の保管ってわけね」
不格好ながらにも【赫】を潜り抜けた仕掛け。
「そ、五条君の言うた通り術式を強制解除する¥p式を付与されとる」
「形振りかまってられねえって?」
「当然やろ。完璧な勝利なんて
最初から目指してへんよ。五条悟相手に驕れるほどの実力は俺にない」
「雑魚が」
「ははっ! 路傍の石ころで結構、なんせこちとら――」
無下限を解かしてみせた細工。
「――
十種影法術は継いでないなもんで!」
斬られるよりかは「殴られる」のほうがしっくりくる斬撃は、他者敵の直接的な攻撃によって――
はじめて五条に血を流させた。
痛みは衝撃だった。
飛んだのは一瞬。意識は即座に覚醒する。
戻ってきた五感は必要以上に情報を拾うようで、纏わりつく声も気配も鬱陶しい。
「五条のは凄まじいな」
「これ以上は……」
「いや禪院のもよくやったさ。当主候補の一方的な蹂躙など目も当てられん」
「だがこのままでは被害を抑えきれんぞ」
「潰し合ってくれたほうが良いじゃないか」
「死人が出たら連帯責任ものだぞ、今すぐ中止しろ!」
五月蝿い。煩わしい。
勝負に水を差す発言を耳にして気分が悪くなる。
まだまだ「これから」というときに限って邪魔をするのは、いつだって弱っちい大人だ。大したことのないくせに、彼らはすぐに五条の楽しみを取り上げようとする。
(でも今は違う。だって、勝負はまだ……)
続くはずで。
なのに。
「やったら僕、棄権しますわ」
両手を挙げて白旗を挙げたのは直哉だった。
「これ以上続けて被害出すわけにはいきませんもん。生憎と手持ちの武器も切らしてしまいましたし、こればっかりはしゃーないです」
――さすが五条家!
周囲に望まれた言葉を、もっともらしい理由をつけて宣った。
編まれた髪を尻尾みたいに揺らして、胡散臭い笑みを張り付けて直哉が言う。あっさりと投げ出された勝負の行方に周りは呆然としたが、これ幸いにと乗っかって、五条と直哉の戦いを仕舞いつけようとした。
雑音の源よりも拍子抜けしたのは五条のほうである。呆気ない終わりに気が削がれた。集中力が霧散したことで、ふと、周囲に目を配らせる余裕ができる。
そこでようやく、五条は気付く。
無下限で防御した、直哉から向けられた呪具の数々。地面に無造作に転がった、凶器の先が――「……は?」――すべて
潰されている。
余すことなく、尽く。
完全に、
無い。
交流会において、唯一不動の規則「相手を殺してはならない」がある。武器の基本性能にも寄ったり、やむを得ない――たとえば術式上必要である条件である等――教員から基本的には刃先殺傷力を奪われている。刃先に当て布を巻いたり、弾丸が実弾でなかったり、といった対策が取られるのだ。
直哉の対策は「刃を潰す」ことだった。
確かに武器としての姿はありのままに近い。しかし当て布をした刃は戦闘中に抜き身が露わになる危険性がある。非術師であれば十分な凶器となる鈍器であれど、呪術師であれば、純粋な「殴る」行為はある程度呪力で防ぐことが可能だ。いわば殺傷力の落ちた武器は、交流会の規則に則れば正しいことなのだろう。
だが、それは。
「あははっ、……」
実直であるのだろうけれど。律儀であるのだろうけれど。真摯であるのだろうけれど。誠実であるのだろうけれど。正当性があるだろうけれど。
あまりにも——「ふざけんなよ」——あまりにも五条悟を馬鹿にしたものではないか。
強者を自負するだけの強さが、自分にはある。
呪術界に生まれてから傅かれてきた。才能の宿る首を狙われてきた。無為無聊の海を泳いできたが故に、五条にとっての
強さとは矜持と同義だ。
だというのに規則とは言え殺傷力のない武器で相手をされるなど、その程度の扱いで良いと思われているようではないか。規則を守った程度の強さで、五条に勝てると認識されているようではないか。
しかも。
(棄権だあ?)
中途半端に五条から
術式を奪っておいて、不完全燃焼に五条から
興味を引いておいて、禪院直哉は勝ち逃げてしまおうとしている。
——嗚呼、こんなにも。
——心と身体が燃えたことはあっただろうか。
腹の底で渦巻き、煮え滾った感情を抑えようとして、
別に抑えなくてもいいと思った。
だって、こんなにも楽しい憎々しい。
だって、こんなにも可笑しい腹立たしい。
ここは世界の裏側だ。正道とは真反対。どれだけ本質が腐っていようとも強さこそが全てだ。故に
五条悟は何をしても許される。
だからこそ呪う。
呪う。
「術式順転【蒼】」
激情が脳を焼く。
呪って、呪う。
「術式反転【赫】」
激情が脳を焼く。
呪い尽くして。
「――虚式【茈】」
[#ruby=激情が脳を焼く_茈に閃いて#]。
世界が、作られる音がした。