プロローグ
最後にその声を聞いたのは、いつだっただろう。
確か、妹が修行のために京都を離れることになったと聞かされたときだ。
自分が故郷へ戻ってきてまだ一年しか経っていないのに、と電話口の向こうで彼女は不満を顕わにしていた。彼女が特に可愛がっているという実妹の話はしょっちゅう聞いていたから、再び離れ離れになると知ってかなりショックを受けたのだろう。
その声からは不満や淋しいという感情がにじみ出ていた。
見えないけれど、きっと分かりやすく表情を歪めているのだろうなと容易に想像が出来て笑ってしまったおれは、彼女の機嫌をさらに損ねてしまった。
最後に顔を合わせてから、一年が過ぎた。
卒業式を終え、満開の桜が散り始めたころ。
彼女はこの土地を離れ、故郷に帰っていった。
おれは彼女の進む道の険しさを知っている。
いつだって強気で、どんな困難すら乗り越えていってしまう彼女でさえ、再会の約束は口にしなかった。
もう二度と会えないかもしれないという可能性は、ちゃんと頭にあったはずなのに。
無機質な液晶の奥で暗雲が渦巻いていた。
「ごらん下さい、あれが弐條城なのでしょうか?」
「突如として現れた巨大な城、街中で起こる怪奇現象……そして行方不明者」
「一体京都で何がおこって」
リポーターの言葉が不自然に途切れる。
何かが折れる音、叩きつけられる音。
ノイズ音。
女性の悲鳴が聞こえ、
「化物!!」
カメラマンと思われる男の叫び声を最後に、その映像は途切れていた。
それは、数日前に放送された京都の光景だった。
現実味のない映像はすぐに世間の関心を集めたが、その後すぐに京都を震源に大きな地震があったこと、それによって複数の建造物が倒壊し多くの死傷者を出したことなどが報道されると、最初のニュースは見向きもされなくなった。
しばらくは現地の映像すら手に入らない状況だったが、ある日、上空からの映像がテレビに映し出され、おれは言葉を失った。
原型が分からないほどに崩れ落ちた建物、なぎ倒された木々。大きな力を持つなにかが、破壊の限りを尽くしたようだった。
それが天災などではないことは、分かっていた。
気付けば廊下に飛び出していた。
目的の物まで数メートルも離れていなかったというのに、足が縺れて転びそうになった。まるで高熱を出したときのように頭痛がして視界が揺れる。
よろけて壁にぶつかり、自分がまっすぐ立てていないことに気付く。それでも止まることなんて出来ずフラフラと廊下を進んだ。すぐにたどり着いて、いつものように彼女の実家に電話をかける。大抵は本人ではなく、使用人の誰かが出てくれた。
呼び出し音が続く。
目を硬く瞑って、その機械音が途切れる瞬間を待つ。
―――きっと大丈夫。
自分に言い聞かせて、受話器を強く握った。
一緒に過ごした三年間で、彼女の強さはこの目で見てきた。
大怪我したところなんて一度も見なかった。
だからきっと、無事でいる。
ブツ、と小さなノイズが走り顔を上げる。
「おかけになった電話番号は―――」
体を強張らせたおれを置きざりに音声ガイダンスが流れ続ける。目の前で救いの糸を切られたように、ふっと虚脱感に苛まれた。
だらりと腕が垂れ下がり、壁にもたれるように崩れ落ちる。
背中に小さな衝撃を感じ体が揺らぐ。ニャンコ先生が飛びついてきたようだ。
おれを落ち着かせるように、先生が名前を呼ぶ。
それに応える気力も、残っていなかった。
―――いろいろあるけど、私の故郷は美しいところなのよ
記憶に焼き付いた表情が暖かく優しいものだったのは、彼女が生まれ故郷を思い出していたからだろうか。
それとも、その土地に住む離れて暮らす家族を想っていたからだろうか。
―――いつか、夏目にも
淡く色づいた彼女の姿が、桜の花びらと共に薄れていく。
―――春が遠ざかっていく。