2


困ったことに、おれのもとへやってくる妖は多い。

友人帳からの放免を求めてやってくる妖は良い、大体は名を返せばおとなしく帰ってくれるからだ。ただ、自分のものにしようと友人帳を奪いに来る妖は厄介だった。藤原夫妻や友人を巻き込まないようずっと神経を尖らせる必要があったし、おれが瘴気にあてられて寝込んでしまうこともあったから。

そして、もう一つ。
友人帳を持つおれの力を頼りに、様々な頼み事をしてくる妖もいて……まさしく今、そんな妖がおれを困らせているのだった。

「お助けください!」

ぴぃぴぃと泣きながら頭を下げる小鬼の妖たちに頭を掻く。朝食を食べ終えて部屋へ戻ると、真ん中に三匹の小鬼が身を寄せ合っていた。おれの膝までの背丈しかない小鬼たちは襖を開いたおれを見て口々に「お力添えを」「我らをお助けください」と喋り始め、その騒々しさに思わず耳を塞いでしまうほどだった。

「夏目、食っていいか」
「腹を壊すぞ、先生」

牙をむいた先生に、小鬼たちは再び泣き喚いた。階下から塔子さんが「遅刻するわよー」とおれに声をかける。優しい声がよく聞き取れないほど、この部屋は小鬼の泣き声と先生の揶揄う声でやかましかった。

「悪い、これから学校なんだ。帰ったら聞くから」

鞄を手に部屋を出るおれに、小鬼たちは「そんな」「ご無体な!」と非難しながらついてきた。

塔子さんからお弁当を受け取り、家を出て通学路を歩く。その間も小鬼たちは「見捨てないでください」「どうか」と制服の裾をぐいぐい引っ張っていた。

待て、もしかして学校までついてくるつもりか……?

(授業中もこれをやられたら、勉強どころじゃなくなる!)


見た目は小さくて可愛らしい印象を抱くが、さすがに学校まで連れていくことはできない。それに、もしかしたら緊急事態なのかもしれないし……。

おれと小鬼たちを放って散歩へ出かけたニャンコ先生が脳裏によぎって「お前は相変わらず甘いやつだな」と鼻で笑った。用心棒は仕事をしろ。

「分かった、行きがてら話を聞いてやる。でも、学校の中には入ってこないでくれよ」

おれの言葉に小鬼たちは潤んだ黒目を輝かせはじめる。


「それと、実際に引き受けるかどうかはまだ分からな」
「やった! やった!」
「ありがとうございます!!」

お互いに顔を突き合わせ、ぽろぽろと涙を零してる姿に呆然とする。

「おい、話を」
「これで我らも助かるぞ!」
「ああ勇気を出して良かったなあ!」

頼むから話を聞いてくれ―――。そんなおれの言葉は小鬼たちの耳には届かず、脳内のニャンコ先生はやっぱりバカにしたような笑みを浮かべるのだった。






「レイコが戻ってきた?」

小鬼のひとりの言葉に、思わずぽかんと口を開けてしまう。ぽろぽろと泣きながら小鬼が語ったのは、しばらく噂を聞かなかったレイコという恐ろしい人間が再び森に現れたという話だった。

その女は目に入った妖に勝負をふっかけ、こてんぱんに負かしては妖を退治してしまうのだという。

森にそんな人間が来ることが恐ろしくてたまらないから、住処の近くから追い払ってくれ、というのだ。

「ふっ」

おれは思わず吹き出してしまった。小鬼たちは火が付いたように怒り出しておれの足に突進してきた。
小さな角が刺さって地味に痛い。

「悪い悪い、笑ったりして。でも、おれはおまえたちを退治なんてしないから平気だよ」

小鬼たちはおれの言葉にきょとんとして攻撃を止めた。

「なあ、おれのことはどこで知ったんだ?」
「通りすがりの天狗から」
「あの家には強い妖力を持った人間がいて、妖贔屓だから力になってくれるやもしれぬ、と」

おれはもう一度小さく笑ってから言った。その天狗から俺の名前は聞かなかったようだ。(小鬼たちはまだぽかんとしていた)

「レイコさんはおれの祖母なんだ」
「祖母……?」
「だから、森で見たというのはおれのことだと思う。よく間違えられるから」
「ではレイコは……?」
「もうずっと前に亡くなっているんだよ」

小鬼たちは当時のレイコさんを直接見たことはなかったのだろう。もしも顔を知っていれば、今朝会ったときにおれが血縁者だということには気付いただろうから。

それにしてもレイコさんは、どれだけ妖に怖がられているんだろう。

そんなことを考えているうちに気付けば校舎が遠くに見えるほどの場所まで歩いていて、ちらほらと生徒の姿が増えていた。他の人には見えない妖と会話している姿をみられると厄介だから、口を噤む。最後に一言だけ伝えよう、と立ち止まってしまった小鬼たちに向き合う


「だから」

心配はいらない、大丈夫だよ。

それを止めたのは、つんざくような叫びだった。


「そんなはずはない!!」

強く訴えかけてくるその姿は必死で、

「つい数日前のことだ! あの女の姿を見たのは!」

えっ、という声が、思わず口からこぼれていた。

「この目で見たんだ! 妖が退治されるところを!」
「いや、でも」

「おまえは嘘つきだ!」

ドクン、と胸がざわつく。体が硬直して動けなくなっているおれに小鬼たちは気付かずに、妖だけで会話を始めた。

「知らぬだけやも」
「我らを謀っているのだ。所詮同じ人間だ!」
「ムウ、頭を冷やせ」
「ええい離せ」

小鬼はかなり怒っているようで、残りの二匹がそれを抑え込もうとしていた。足元の騒ぎをただじっと見下ろす。



「あれ、夏目?」

後ろから声をかけられて、ぎこちなく振り返る。

そこには田沼が立っていて、目を丸めておれを見ていた。

「どうしたんだ、顔色が悪いぞ」

「いや……」

軽い足音が続いて、視線を向ける。
三匹の小鬼は逃げるようにおれたちから遠ざかっていって、少ししてから二匹が立ち止まり、おれに向かって頭を下げるのが見えた。


「いるのか?」

田沼が気遣うように、おれと同じ方向を見て小さく言った。

「いや」

小鬼たちは空気に溶けるように姿を消していた。

「もういないよ」












それからずっと考えていたのは、小鬼たちが話していた内容だった。おれはてっきり、レイコさんの死を知らない妖が森にいるおれを見てレイコさんだと勘違いし、名を奪われるのを恐れているのだと思った。

だけど、


―――つい数日前のことだ! あの女の姿を見たのは!

―――この目で見たんだ! 妖が退治されるところを!

―――おまえは嘘つきだ!


すき、と胸の間が痛んで僅かに俯いた。

誤魔化すように板書を再開する。教師の言葉を聞いているようで、耳には小鬼の悲痛な叫び声だけが残っていた。


―――レイコさんのはずはない。

なら、

(小鬼たちが見たという女性は、いったい誰なんだろう)


体を震わせて、恐怖に染まった表情を見せていた小鬼たちを思い出す。田沼が近付いてきただけで慌てて逃げ去っていった。きっと、人に悪さをするような妖じゃない。ひっそりと森で暮らす、おとなしい奴らのはずだ。

祓い屋である名取さんや、かつての会合で目にした彼の同業者だという人たちの存在を思い出す。もしも、ああいう場所にいた人の誰かが、妖を退治して回っているのなら……。

あるいは田沼の父のように、気付かぬうちに妖を追い払っているのだとしたら。

そのせいで、力のない、弱い妖の生活が脅かされているのなら。



(なんとかしてやりたい……)


気付くとシャーペンを強く握りしめていた。
手のひらには爪が食い込んで跡が残っている。


―――放課後、小鬼が話していた森へ行ってみよう。

そう考えて窓の外をぼうっと見ていたおれは、教師に名指しで注意され、慌てて意識を授業へと戻すのだった。