大樹の節2
士官学校で教師になることが決まったベレトが担当する学級を選ぶために教室を回っていると、黒鷲の学級の教室でただ一人机に突っ伏している女生徒がいた。
青みがかった紫色の髪を机に垂らし、腕を枕に眠っているようだ。その生徒のことは教室に入ってすぐに存在を認識していたが、他の生徒全員と言葉を交わした後に視線を向けても眠りこけたままだった。すぐ傍まで歩み寄り顔を見ると、日に焼けたことがないような白い頬が見える。端正な顔立ちの女生徒だ。深い呼吸を一定にしている。寝たふりではなく本当に眠っているのだろう。ベレトがしばらく見下ろしていると、助け舟を出すように別の生徒が近付いてきた。ドロテアという女生徒だ。
「ナマエちゃんは一度眠ると滅多に起きないんです」
「ナマエ?」
「ええ。口の中に激辛調味料を入れたら飛び起きるけど……やってみます?」
いたずらを企む子供のように笑うドロテアの言葉に、ベレトは無表情のまま「いや、そこまでしなくていい」と返した。
「なら、起きているときに声をかけたほうが早いですよ。本当に起きないから」
「そうするよ」
ベレトは最後に一度だけナマエという生徒の顔を見下ろす。
―――そういえば、大広間でエーデルガルトが「気になる生徒がいたら教えて」と言っていたか。
教室を出たベレトの足は自然と大広間へと向かっていた。
「ナマエ? ……あの子、また眠っていたのね。彼女はナマエ=フォン=フェンリル。フェンリル伯の養子で、あなたも見たとおり、しょっちゅう眠っているの。ナマエとは子供の頃からの付き合いになるけれど、起きている時間のほうが少なかったわ」
「生活に支障はないのか?」
「……大いにあるわ。所構わず眠りこけるし。彼女、起こす人がいないといつまでも眠り続けるから……朝はいつも私が起こしているから心配しないで。講義中は、無理やり起こす方法があるの」
「激辛調味料か」
「そう。……ふふ、誰からか聞いたのね。これはヒューベルトの提案だったのだけれど、効果覿面なのよ。あの子、昔から辛いものが大の苦手で……」
「……」
「? ……なにかしら」
「いや、随分楽しそうに話すなと思って」
「!」
「仲が良いんだな」
「……そうね。ずっと一緒に居たわけではないけれど、彼女とは幼馴染だもの」
すっと視線を落としたエーデルガルトにベレトが僅かに首を傾げる。その瞳に落ちた影は一瞬で消えたため、ベレトが違和感を抱くことはなかった。
「もしもあなたが私達の学級の担任になったら、眠気覚ましの調味料を渡すわ」
「……わかった」
▽▼▽
腕を掴まれて揺さぶられ、目を覚ました。ぼんやりとした視界のまま枕にしていた腕から顔をあげる。視界に映っているのはいつもと同じ、呆れたようなエーデルガルトの顔だ。
「ん〜……」
「起きなさい、ナマエ」
エーデルガルトの言葉に意識を覚醒させるために伸びをして上体を持ち上げる。エーデルガルトの後ろに立っている男性に気付いたのはその時で、見覚えのない顔と士官学校の制服ではない装いに首を傾げる。
「ベレトだ」
「……ナマエです」
「よろしく頼む」
「……こちらこそ?」
淡々とした声色と言葉に、かろうじて返事を返すとベレトという男性は踵を返してヒューベルトの方へ歩いて行った。……だれ? ぼんやりしたままの私を見てため息を吐くと、エーデルガルトが口を開く。
「盗賊に襲われたとき、傭兵に助けられたことを話したでしょう?」
「あの人が?」
「ええ、黒鷲の学級の担任になったの」
エーデルガルトの言葉にもう一度目を瞬く。偶然遭遇した傭兵を教師に? 年齢も生徒とそう変わらないように見えるけれど。
「ナマエ、講義中に眠らないように気をつけなさい」
「私だって、眠りたくて眠ってるわけじゃないよ」
「アレ、師にも渡しておいたから」
せんせい、という単語に反応したのかこちらに視線が向けられる。そもそも会話を聞いていたのか、どこからか見覚えのある包みの袋を取り出して私に見せつけてきた。途端に思い出される筆舌に尽くしがたい味を思い出して頭を抱える私を見て、エルは愉しそうに笑うのだった。