光覚(空洞であることを千の光でしらせる)


帝国暦1181年、アドラステア帝国の攻囲によってガルグ=マクは陥落した。大司教殿と黒鷲の学級の担任であるベレト先生は、そのさなかに姿を消した。ある生徒は、先生が崖から落ちるのを見たという。それが事実なら、生存は望めないだろう。

見知った顔との戦いを終え、ガルグ=マグに背を向けて歩く。すぐ後ろにはドロテアやフェルディナントの姿もあった。大きく体を震わせているベルナデッタ、顔色の悪いリンハルト、難しい表情のカスパル、何かを考え込んでいるペトラ。その後ろには同じ学級の生徒だった者が多くいて、皆似た感情を表情に浮かべている。帝国から保護のためにやってきた兵士や従者が途中で合流して、その規模が増えていく。私は歩き続ける。

エーデルガルトの邪心に、君は気付いていたのではないか。

セテスさんに尋問を受けた際の記憶が蘇る。同じ学級で、彼女とは幼馴染で、よく一緒にいたのだから。大司教殿の探るような、それでいて案じるような眼差しに、私はどう映っていたのだろう。もう何日もまともに眠れていなかった。ずっと疎ましかった体質が上手く機能してくれず、浅い眠りを繰り返しては寝苦しくて目を覚ますことを続けていた。こんなことは初めてだった。

昔は誰よりも一緒にいたのに。誰よりも傍にいたのに。彼女の考えていることが分からない。……離れていた八年間で、何かがあったのだろうな。信仰心が真逆にひっくり返るような、何かが。再会したときには変わっていたエルの髪色を思い出していると、強い力で肩を掴まれ歩みを止められた。

振り返ると焦った表情のフェルディナントがいる。
やっと周囲の状況が目に入り見渡すと、あれだけ多くいた黒鷲の学級の生徒はほとんど居らず、残っているのはフェルディナントとドロテア、ペトラのみだった。

「ごめん、なにか言った?」
「……私はこれから帝都に戻り、エーデルガルトと話をするつもりだ」
「そう。納得のいく返事が返ってくるといいね」
「……君はどうする」

気遣うようなフェルディナントの視線が突き刺さる。逃げるように視線を流して、すっかり見えなくなったガルグ=マクの方角へと顔を向けた。―――この一年、本当に色々な事があった。野営訓練で盗賊に襲われ、不思議な傭兵と出会い、様々な出会いや発見を得て……失った。女神再誕の儀、ルミール村、ジェラルト殿の死。エーデルガルトは、一体どこまで関与していたのだろう。

……先生は、最期に何を思ったのかな。

「……ナマエちゃん」
「ナマエ、顔色、悪い、思います」
「大丈夫だよ。寝不足なだけ」

手の平で目元を覆い、深く俯いて息を吐く。義父は皇帝派に鞍替えしたというし、義兄たちも兵士として取り立てられたと聞いた。
私も家に戻れば帝国軍の一員として戦うことになるだろう。生まれた家も帝国貴族だ。生家は代々皇帝に近しい間柄で、父は前皇帝と親しかった。その先代も、その前も。だから私は生まれてすぐにエーデルガルトに引き合わせられたのだし、共に育ったのだ。本来なら私も、皇帝の傍らで支えとなるべきなのだろう。だけど、

力なく倒れているジェラルト殿と、降り続ける雨。

あの日見た、先生の涙が忘れられない。
あの人の冷え切った体温と、泣きじゃくる姿が頭から離れない。

「私は、戻らない」

フェルディナントが目を見開き、それから視線を落とす。「……そうか」と低い声が耳に届いた。エーデルガルトとヒューベルト、彼らとは道を違えた。
もう交わることはない。

「次会うときは戦場かもね」

三人に向かって薄く笑顔を浮かべて言うと、何故か痛ましいものを見るような表情をされた。そんなにひどい顔だったろうか。腰の短剣と帝国兵から奪った武器を手にして、帝都に背を向けて歩き出す。

「私も行くわ」

数歩進んでから、腕を掴まれ振り返る。眉をつりあげたドロテアが、意思の強い瞳を私にぶつけていた。フェルディナントとペトラに見送られながら、私はドロテアと共に帝国領の外を目指して歩き続けた。

傭兵のような生活をして一箇所に留まろうとしない私に、行き場を失った孤児を保護しながら小さな村に身を寄せていたドロテアは、ある約束を結ばせた。
一節に一度は必ず村に顔を出すというものだ。

「放っておいたら、そのままどこかに消えてしまいそうなんだもの」

私の怪我を直しながら、ドロテアはしょっちゅう同じ言葉を繰り返した。気付けば戦争が始まってから五年の月日が経過していた。フォドラは未だ混迷の渦中にある。

そんな中同盟領で偶然再会したのは、放浪の身となったカスパルだった。行く宛もないというので、二人でドロテアの居る村へ向かうと、ドロテアは酷く驚いたあと花の咲いたような笑みを浮かべた。士官学校でよく見かけていた、華やかな笑顔だ。この五年の間に何をしていたかを報告し終え、眠ってしまったカスパルを横目に、ドロテアが「ねえ、覚えてる?」と口を開く。

「来節、千年祭なのよ」
「そういえば、もうそんな時期か」
「……あの約束、皆、覚えてるかしら」

肘をついて遠くを眺めるドロテアの言葉に、五年前の記憶がぼんやりと戻ってくる。エーデルガルトが言い出した同窓会の約束。先生も来ると言っていたっけ。

「エーデルちゃんや、ヒューくんも来るのかしら。二人のことだから、忘れてるってことはないでしょうけど」
「……」
「ナマエちゃん?」
「……エルは、来るんじゃないかな」

耳に入ってくる帝国の情勢を思い出しながら、五年前に会ったきりの幼馴染のことを考える。しんみりとした空気をかき消すようにドロテアがガルグ=マクへ顔を出すことを提案した。今さらエーデルガルトと話すこともないが、ベルナデッタやペトラたちがどう過ごしているのかは気になる。フェルディナントの話も一切聞かないが……帝国軍に居るのだろうか。

「会って即捕縛にならないといいけど」
「もう! ナマエちゃんったら!」

翌朝カスパルにガルグ=マクへ向かうとだけ伝え、保護していた子供たちを連れ、村を出た。道中で遭遇した盗賊や荒くれ達は主にカスパルと私が退け、千年祭の当日、私達はガルグ=マクの麓に到着していた。五年前と比べ、随分活気の失せた町並みに三人で顔を見合わせる。

「……帝国軍は居ないみたいだね。ガルグ=マクは盗賊が出るという噂だし、子供達は街に置いていこう」
「ええ」

鍵の開いた建物の中に入り、子供達に戻ってくるまで待っているように言いつける。何人かは戦えるように鍛えているし、ほんの数時間ならば問題もないだろう。

「……なんだか、向こうのほうが騒がしくないかしら?」

ドロテアの言葉を聞いて、喧騒の方へと走る。盗賊か、同窓生か。槍を持つ手に力が入る。走る人影を捉え、その相貌が盗賊のものであると分かった瞬間に、がっかりしていた自分に気付いた。

子供達も近くの建物に隠れているのだ。放置は出来ない。

何かに気を取られている二人から離れ、剣を手に駆け盗賊に迫る。振り返ったその胴体に薙ぎ払ったところで、遠くから名を呼ばれた。聞き覚えのある、懐かしい声だった。もう二度と聞こえる筈のない声だった。

「……え?」

振り返った先に、死んだ筈のあの人を見た。
薄緑色の頭髪、蒼色の瞳。
守護の節に変わってしまった姿が、そこにはあった。
少しだけ見開かれた瞳が真っ直ぐに突き刺さる。その手には天帝の剣がある。

五年前、ガルグ=マクを守るために戦ったときの姿のままだ。
―――夢でも見ているのだろうか。

脱力して立ち尽くす私に、先生が一歩踏み出す。それからその表情を一変し、天帝の剣を振るった。蛇腹に伸びた剣先が私に迫る。剣先は硬直する私の横を通過していき、すぐ後ろで叫び声がして振り返った。胸を刺された男が絶命している。こんなに傍まで接近されて、気付かなかった。先生の助けがなかったら、

「ナマエ」

名を呼ばれて振り返る。いつの間にかベレト先生が傍まで来ていた。安心からか呆れからか、少しだけ眉を下げて口元を結んで私を見下ろしている。五年前に、よく見た顔だった。個性豊かな黒鷲の学級の生徒を相手にしている時、喧嘩するマヌエラ先生やハンネマン先生の間に挟まれている時、いたるところで眠りこける私を起こす時。

「……ナマエ?」

優しい音に名前を呼ばれ、随分久しぶりに穏やかな呼吸が出来た。視界が歪み、目の前の先生の姿がぼやけていく。熱くて煩わしい雫が頬を滑り落ちて、その時ようやく、自分の体が傷だらけだったことに気付いた。

ずっと苦しくて仕方がなかったのだと、初めて気付いた。