満ちても欠けてもほのひかる
花冠の節、22日。
黒鷲の学級の生徒は普段よりも落ち着きがないように見える。朝からたて続けに掛けられる祝福の言葉と、引き止められてばかりのエーデルガルトがようやく到着したのはバラの庭園だった。そこにはお茶会の準備をしているベレトの姿がある。
「誕生日おめでとう。よかったら、お茶会でもしないか」
そう声をかけられたのは数時間程前のことだ。ヒューベルトが私用から戻るまでの時間はそう長くはなかったため、二人のお茶会は少し慌ただしく始まった。慣れ親しんだフレスベルグブレンドの紅茶の香りに、エーデルガルトが肩の力を抜く。
他の仲間の評価、出会った頃の話、貰うと嬉しい贈り物の話。落ち着いた雰囲気ながらも会話が盛り上がったところで、ベレトが「そういえば」と切り出した。
「ナマエはまだ戻っていないんだな」
「……ええ」
エーデルガルトがカップを下ろす。
ナマエが「自領に戻れと伯爵から連絡が来た。心底行きたくないが行ってくるよ」と級長であるエーデルガルトに伝えたのが数日前。他の誰にも(担任にさえ)伝えずに、書簡を持ってきた使者数名とガルグ=マクを出発したナマエのことを思い出し、エーデルガルトは深くため息を吐く。
書簡にはエーデルガルトも目を通したが、内容は「自領に戻れ」という言葉のみで、伯爵の目的も分からなかった。ヒューベルトが主人の元を離れている理由も、その目的を探らせるためだ。
ナマエと義父の折り合いが悪いことは知っていた。ナマエは頑なに義父のことを「伯爵」と呼ぶ。それが公の場であっても。
「今日中に間に合うといいが。ナマエも祝いたいだろうに」
「どうかしら。そもそも、誕生日なんて忘れているかもしれないわ」
「ナマエに限って、それはないよ」
そういって紅茶を一口飲むベレトを、エーデルガルトはじっと見据える。自分と幼馴染のことを、ベレトはやけに気にかけているようだ。
「何事もなく帰ってくるといいな」
気遣うように投げかけられた言葉に、エーデルガルトは「そうね」と返す。まもなくヒューベルトが戻ってくるだろう。
その後ヒューベルトから伝えられたのは、伯爵夫人の体調が芳しくなく、嫡子であるナマエや、既に家を出た子供達を呼び寄せたというものだった。なら書簡にそう書けばいいものを、とエーデルガルトは眉を顰めたが「事実を伝えたらナマエは家には戻らなかっただろう」とすぐに気付いた。義父である伯爵よりも、義母からは酷い扱いを受けてきたのだ。知っていたらナマエは書簡を燃やしていただろう。
―――私だって、行かせなかったわ。
八年振りに再会したナマエの体には、数え切れない程の傷があった。真新しいもの、治りかけのもの、上書きされるようにつけられた傷。
いつまで経っても治らない怪我を怒るエーデルガルトに、あの人たちの前で寝るともっとひどい目に遭うから、とナマエは言った。紋章を持たない義兄や、ナマエの存在をよく思わない義母によって刻まれたその傷を、ナマエは眠気を覚ますために日々抉っていたのだ。
皇女の命令で呼び戻すことも可能だと提案するヒューベルトに、エーデルガルトが首を振って教室へ入る。すぐに起こせるようにと、エーデルガルトとナマエは常に隣の席だった。ぽっかり空いた席を意味もなく見下ろして、エーデルガルトは白い手袋に包まれた己の手のひらを見下ろす。
ナマエがガルグ=マクを経ってからもう十日が経っていた。
その日の夜、支度を終えて寝台に横たわっていたエーデルガルトは、廊下から微かな話し声が聞こえて上体を起こした。日はとっくに傾き、生徒は皆眠りについている頃だろう。短剣に手を伸ばしたエーデルガルトだったが、だんだん大きくなっていくその声がどちらも聞き覚えのあるものだったことから、その警戒を解いた。
遠慮がちなノックの後に聞こえた低い声は自分の従者のもので、続けて聞こえた声はしばらくガルグ=マクを離れていた幼馴染のものだ。
戸を開けたエーデルガルトが見たのは、苛立ちを隠そうともせずにナマエを睨むヒューベルトと、そんな視線の一切を受け流しているナマエの姿だ。
「ナマエ、帰ったのね」
「遅くにごめん。どうしても今日中に会いたくて」
「……まさか、戻ってきてそのままここへ?」
「うん。時間無かったから」
そう話すナマエの格好は、ところどころ土や泥で薄汚れている。自領とガルグ=マクを行き来するだけでこうも汚れるものだろうかと思考を巡らせるエーデルガルトに気付いたのか、ナマエは「帰り道で盗賊に襲われた。夫人の依頼だろうね」とあっけらかんと告げた。エーデルガルトはすぐにナマエの全身に視線を巡らせ、自分からは見えにくい太腿の横に大きな切り傷があることに気付く。言葉を失うエーデルガルトに、ナマエは手に持っていたものを押し付けるようにして渡した。
「ちょ、ちょっと。ナマエ、あなた怪我を」
「自分で治療するから平気だよ。それより、誕生日おめでとう」
「……」
「遅くなってごめん」
「私はむしろ、こんな時間に主の部屋を訪ねる無礼について詫びて欲しいのですが」
「あー、はいはい」
エーデルガルトは腕の中を見下ろす。ナマエが持ってきたのはカーネーションの花束とくまのぬいぐるみだった。ぬいぐるみの首元にはエーデルガルトの瞳の色と同じ宝石の飾りが下がっている。
「……」
「それじゃ、部屋戻るから。おやすみ」
「待ちなさい」
自室へ戻ろうと横を向いたナマエをエーデルガルトが呼び止める。今度こそはっきりと見える足の切り傷と流れる血を強く睨んでから、エーデルガルトはゆっくりと口を開いた。
「ありがとう、ナマエ。この為に、急いで帰ってきたのね。その心遣いが、私はとても嬉しい」
「……」
「ただ、部屋に戻る前に傷の手当をしなさい。それと、師に報告も済ませないと。心配していたわ」
「明日じゃ」
「駄目よ」
ぴしゃりと言い放ったエーデルガルトにナマエはまぶたを半分程下ろした。説教から逃げようとする子供のような表情にヒューベルトがため息を吐く。それから視線を廊下の先へと向けた。つられるようにエーデルガルトが廊下の先を見ると、灯りを手にしたベレトが立っている。どうやら夜中に騒がしくしている生徒を注意しに来たようだ。
「ナマエ、帰ったのか」
「ちょうど良かった。今帰りました。それじゃ、おやす」
「怪我をしている」
「カスリ傷なので平気です。もう行ってい」
「回復魔法をかけるからこっちへ。他に怪我は?」
「ないので平気です。あの、眠いので明日で」
「使者が付き添っていた筈では? これは剣による裂傷だろう。何があったんだ」
だんだんと険しくなっていくナマエの表情にベレトが首を傾げる。ベレトが翳した手から白魔法特有の光が現れ、暗い廊下を照らす。光が消えた頃にはナマエの太腿の傷はほとんど塞がっていた。
「ナマエが報告を一切しないから、セテスが怒っていたよ。今ならまだ起きているから、一緒に謝りに行こう」
「明日でも良くないですか?」
「いいや、良くない。……挙動不審に見えるが、なにか隠しているのか?」
ベレトの言葉にナマエは僅かに体を強ばらせた。それを見逃す三人ではなく、距離を詰められて囲まれたナマエは圧に耐えかねると、盗賊団の一味が逃げ込んだ砦にこれから向かうつもりだったことを吐いた。
「……」
「……」
「……」
「うちの騎士も待機してるし、私だけで平気なので」
三人の視線から逃げるように言うナマエの姿にエーデルガルトが従者の名を呼ぶ。
「すぐに支度して」
「はっ」
二人がそれぞれの部屋へ入っていく。あのエーデルガルトの様子じゃ、盗賊退治を終えてもしばらく眠りにつけないだろう。ずっと我慢していた眠気に耐えつつ、助けを求めるようにエーデルガルトが信頼を寄せているベレトを見た。上手く宥めてくれないだろうか、そんな縋るような視線を受けてベレトは言う。
「自分も、戻ったら言いたいことが山ほどある」
「……」
「でも、今日はエーデルガルトに譲るよ」
「……誕生日だから?」
「うん」
ベレトは取り出した激辛調味料の袋から一粒つまむと、ナマエの口元へと運ぶ。眉を下げながらも素直に口を開けたナマエの姿にベレトはほんの少しだけ口角を緩めた。夜はまだ続く。