夏色の侵食
中学三年の初夏、転校生として教室にやってきたそいつは、はっきり言えば「近寄りがたい」女子だった。
ゆるくウェーブがかった黄金色の髪と、隙間から覗く小さな耳にはいくつも空いてるピアスの穴。幼馴染を思い出させる猫目はやけに目力が強くて、じっと見られると思わずたじろいでしまう程だった。
転校初日、転校生は指定された席に素直に座って、周りの生徒によろしくーと間延びした喋り方で声をかけていた。俺はそれを少し離れた場所から見ていて、挨拶がちゃんと出来るギャルだ、と失礼なことを考えていた。
苗字は特別緊張している様子もなく、(むしろ周りが萎縮していた)その日のうちには席が近い連中と仲良くなったようで、放課後に大勢で帰っていくのを見た。
「(やっぱああいう女子ってコミュ力すげえんだな)」
そんなことを考えて体育館へ向かっていた俺は、深く俯いて歩く幼馴染の姿を見つけて小さく息を吐く。研磨にも少しぐらい分けてほしいな、あの陽気さ。そこにいるだけで空気を明るくしてくれる、オーラと言えばいいのだろうか。照明のように周りを照らすような、あの笑顔とか。……なんて、研磨があんな笑顔を浮かべるようになったら心配になるな。
一ヶ月もすれば苗字はすっかりクラスに馴染んでいた。俺も何度か話したけれど、人との距離感を掴むのが上手い苗字とはすぐに打ち解けた。苗字はいつも笑顔で、雰囲気を盛り上げるような振る舞いをして、けれど人の陰口や噂話には絶対に同調しないやつだった。「空気変えて悪いけど」と前置きをして正論を切り込んでくる苗字の姿は正直格好良かった。ヘコんだ友達に対するフォローも抜かりなくて、お前人生何週目? って聞きたくなるぐらいしっかりしたやつ。
「苗字って見た目と中身のギャップが凄いよな」
椅子の背もたれを跨ぐようにして、後ろの席の苗字に話しかける。珍しく笑顔じゃない苗字の手元には小難しそうな推理小説があった。この見た目で読書好きは想像もできない。
「なにそれ」
軽く吹き出した苗字がそっと本を閉じて机に置いた。まっすぐにこちらに向けられる目力にも慣れた頃だ。読書を遮った俺に文句も言わないで、本を読む手を完全に止めてまで話を聞いてくれる。こういうところが人に好かれるんだろうな。
「そういえば、バレー部の大会そろそろじゃなかった?」
ふと思い出したように言った苗字に、思わず黙りこくった。違ったっけと首を傾げる苗字に、慌てて合ってると返す。
「よく覚えてたな」
「そりゃ一回聞いたことだし」
当然のように言ってのける苗字の表情に思わず苦笑が浮かんだ。たった一度、それも転校してきてばかりの頃に、一瞬だけ話題に出た内容をよく覚えているもんだ。部活の話をしょっちゅう聞いてもらっていたからだろうか。
苗字はバレーをよく知らなかったけど、俺の話を熱心に聞いてくれていた。勝手に盛り上がって試合映像を持ち出して解説し始めた俺に、苗字は嫌な顔一つ見せずに真剣に話を聞いてくれた。人の好きなものを否定するようなやつではなかったし、もともとの好奇心旺盛な性格があったからだろう。
こんなの女子慣れしてない部活一筋の男はイチコロですよまったく、なんて考えていたのも遠い昔のようだ。案の定、苗字を好きになる男子は居た。まあ、俺なんですけど。
席替えで運良くゲットできた前後の席になって初めて分かったことがいくつかある。苗字が授業中に奇妙な動物のイラストを大量生産していたり、俺の背に隠れるように居眠りしていたり。たまに見せるぼうっとした無表情がちょっと怖かったり、三者面談の日にやけにそわそわしていたり。俺の次の番だった苗字は、苗字にあまり似ていない女の人と一緒に廊下で並んで座っていた。いつもぴんと伸びている背筋がちょっとだけ丸まっていて、普段の目力もなりを潜めていた。苗字はその女の人を名前にさん付けで呼んでいた。俺はいろいろな疑問が浮かんでは消え、を繰り返していた。ふと、この数ヶ月で苗字が自分のことを話すことがほとんど無かったことに気付いた。話し上手で聞き上手の苗字のことを、俺はほとんど何も知らないのだと思い知って、帰路の途中で考える。俺が知っている苗字のことを。
ぽん、と浮かんだのが読書好きで絵が下手だということだけで、俺は口を尖らせた。