誰も知らない顔を見せながら
最後の大会が終わり、部活を引退して早一ヶ月が経った。最近の俺は大した用もないのに街を歩いたり、部活が終わった時間を見越して研磨の家に遊びに行ったり、体育館に顔を出したり。「受験勉強しなよ」と表情を歪めて言う研磨に「息抜きだから」と言い訳までして歩き回っていた。
バレーの雑誌を買った帰り道、俺は、見覚えのある後ろ姿を見かけた。遠目でも分かるきらきらと輝く黄金色の髪。苗字はじーっと商品棚に陳列されているアクセサリーを見下ろしていた。俺は名前を呼ぼうと口を開いて、すぐに閉じた。同じ店内に、三者面談の時に見かけたあの女の人が居たから。声をかけようか迷っている間に、その人は商品を手にとって苗字に話しかけた。商品を苗字の耳たぶのあたりに持っていったので、おそらくピアスを勧めてるんだと思う。にこにこと笑顔のまま何かを話すその人に、苗字は学校ではあまり見せない、困ったような、照れくさそうな表情を見せていた。
年相応な顔を見せる苗字に、そっと踵を返す。詳しい事情を知っているわけでもないし、本人に聞こうとも思わない。だけど三者面談の日に見た苗字の様子は、ほんの少しだけ心配だった。でも余計だったな。俺は手に持ったビニール袋を少し大げさに振り回して研磨の家へ向かった。
「昨日、駅ビルに居なかった?」
朝練の無い毎日。のんびり登校していた俺を通学路で呼び止めた苗字は、挨拶もそこそこに言った。俺は吃驚して目を丸めてから「居たけど」と答える。
「やっぱり黒尾か」
「え、気付いてた?」
「いや、私じゃなくてさ……」
言葉を区切った苗字が、言い淀んだ様子で小さく「おかあさんが」と呟いた。なんだかぎこちないその呼び方が気になっていた俺に、苗字は気付いたんだと思う。気まずそうに前を向いて歩く苗字はそれ以降何も言おうとしなかった。俺はうーん、と空を見上げて考えてから口を開いた。ほんの少しだけ踏み入ってもいいような気がした。
「綺麗な人だな」
俺の一言に、苗字は大きな目をすっと細めて破顔して、
「でしょ」
と、心底嬉しそうに、誇らしげに言った。俺までつられて笑顔になってしまうような、純粋で明るい笑みだった。
それがきっかけになったのかは分からないが、苗字は自分の話をするようになった。髪を染めた理由は転校先で舐められないように、と友人の強い勧めがあったからで、本人はこだわりがないらしい。ピアスを開けたのは、本人がイヤリングと間違えてピアスを買ってきたのがきっかけ。しょっちゅう眠そうにしているのは、本を読んでいると時間を忘れて夜更ししてしまうから。髪の色にこだわりはないのに、髪は毎朝巻いているらしい。知れば知るほど、こいつは俺と同じ中学生なんだなって実感した。好きなものには何時間も没頭したり、変なとこにこだわりがあったり。年齢詐欺という印象はさっぱり無くなって、俺は前より苗字を好きになった。
秋が過ぎた頃に、苗字は、父親の再婚を機に東京に越してきたことを教えてくれた。新しい母親になった人を、面と向かって「お母さん」と呼べないのだと聞かされたとき、俺は上手い励ましの言葉が浮かばなかった。そういう状況に陥ったことがないから想像も出来なくて、ただ苗字が歩み寄ろうと努力していることだけは知っていたから、「ゆっくりでいいんでない?」としか言えなかった。苗字の母親がしょっちゅう苗字を買い物に誘ったり、その度にアクセサリーを贈っていること。苗字がピアスの穴を増やしている理由。読書好きの母親が勧めてくれたから、と読んでいる難しい小説。
そんな不安そうな顔をすんなよ、と言いたかった。きっと向こうも分かってくれてる。お互いがお互いを思って行動しているのがよく分かる。一方通行ではないのだから、焦る必要はないだろう。あんまり口うるさく言うと、研磨のように鬱陶しがられてしまうんじゃないかと想像してしまって口を噤んだ。俺がぼそっと「大丈夫だって」と言った言葉に、苗字は力を抜いたように背を丸めて「ありがとう」と呟いた。