きみの錯乱に触れてみて
食堂の明かりが消え、マネージャー三人が出てくる。俺に気付いた雀田と白福が顔を見合わせて苗字に何かを言うと、足早に俺の横を通り過ぎていった。ゆっくりと足を進ませて苗字の目前に立つ。
さっきと比べて苗字は少しだけ雰囲気を和らげて俺を見上げていた。その表情に体の中に満ち溢れていた異様な緊張感が少しだけ弱まり、肩の力を抜く。
「さっきの、聞いてたよな」
「……聞いた」
眉尻を下げた苗字が口を開く前に言おうと決心して、息を吸い込む。気づけば拳を強く握っていた。
「春高が終わったら、ちゃんと告白し直すから、今は返事しないでほしい」
苗字は目を少しだけ見開いて、数秒黙りこくってから頷いた。俺はそれに脱力してその場にしゃがみこみそうになる。
「黒尾?」
俺の名前を呼ぶ苗字の声色を聞きながら、先ほどの木兎の発言を思い出す。人の気持ちを変えるなんて簡単なことじゃない。けど、難しいからと諦めることはしたくない。
「俺のことを好きになってもらえるように、頑張るから」
猫のような目を見開いて言葉を失っている苗字の表情に、あ、と口を抑える。緊張で頭のねじが飛んだのだろうか。俺また失言してるな、これ。
「好きになってもらうっていうか、それ以前に苗字は俺のこと意識すらしてなかっただろうけど」
「……いや」
「お前が俺のことなんとも思ってないことは知ってるから、まず男として意識してもらうことが第一で、」
「ちょっと……」
「好きになってもらうなんて夢のまたゆ―――」
夢、と言おうとしていた口は苗字の柔らかい手によって押さえつけられた。動揺してベラベラ喋り倒していた俺の頭はゆっくりと熱が引いていって、俺は自分の言葉に自分で傷付く。なにしてんだろ、俺……。
俺が冷静になったことに気付いたのか、苗字はそっと手を下ろした。苗字は真っ直ぐに俺を見上げて、口を開く。
「大丈夫」
「……」
「とっくの昔から、意識してるの」
苗字の言葉がすうっと風と共に抜けていく。暗がりでも分かるほど苗字の頬は赤くなっていて、俺はぽかんとアホみたいに口を開けていることしかできない。
「おやすみ! またあした!」
「お、おう、おやすみ……」
足早に駆けていく苗字の後ろ姿をただ見送っていた俺は、数分そこに留まってから教室へと向かった。静かすぎる俺を不審に思った研磨に追いやられるように風呂に向かって、木兎の言葉を全部聞き流して教室に戻る。ボフン、と布団に仰向けで倒れ込んだ俺がただただ天井を見上げていると、研磨が横でぼそっと呟くのが聞こえた。
「クロ、静かすぎて気持ち悪い」
「……おう」
「なにかあったの?」
「……おう」
すぐそばで夜久と研磨の話す声が聞こえる。海がそこに混ざり、先ほどの食堂での一件を研磨に説明しているようだった。
「それで、クロは名前に告白したの?」
「……春高終わったらするって言った」
「もしかして告白する前に振られたのか?」
「……いや」
「苗字も黒尾が好きだった、とか?」
「……」
「え、マジか?」
「いや……」
夜久が「なんだよ!! はっきりしろよ!!」と枕を俺の顔に投げつけてきた。それほど衝撃もなかったというのに俺は動けなかった。
「名前はクロになんて言ったの」
―――とっくの昔から、意識してるの
「あぁぁああぁ分かんねええええ!」
「うるせえ!」
枕を両手で顔に押し付けるようにして叫ぶ。混乱で頭に酸素が回っていないのか思考も働かない。研磨が不気味がって俺から離れていくのをただ見ていることしか出来なかった。澤村、しっかり話したけどあいつの気持ちなんて全然分からなかったし俺はひたすら情けない姿を見せただけだった。ただ顔を赤くして俺を見上げる苗字が可愛いということしか分からなかった。