バニラの風が吹く
進路希望調査のプリントをつまみ上げ、うんうん唸っているとクラスメイトの木兎がやってきた。木兎は卒業後もバレーを続けるらしく、(よく知らないけどプロになるんだと思う)とっくのとうに調査票を提出している。
「悩んでんの?」
「ぼんやりとは決まってるんだけどねえ」
「えっ! なに!?」
髪を逆立てた木兎がぐいっと顔を覗き込んでくる。昔からなんとなく朧げな将来像があって、だけどそれは真面目な紙に記入できるものではなかった。正直、口にするのも躊躇われる。……まあ、木兎なら馬鹿にはしないか。
そう思って「幸せなお嫁さん」と答えると、木兎は目を丸めてから「いいじゃん!」と頬を染めて笑顔になった。
「俺!! 旦那さん候補そのいち! 俺!」
「ちなみに候補2は?」
「居ねえ!」
「あ、一択なんだ」
まあそれは置いといて、と真面目にプリントと向き合う私の前で、木兎はあからさまにしょんぼりとして、
「あーあ、幸せにするのに」
とぼやいた。
思わず吹き出すように笑ってしまった私を、木兎は眉を下げて見下ろす。
「なあに、それ。プロポーズ?」
それから予鈴が鳴るまで木兎は一切動かなくなってしまった。慣れたようにクラスメイトの男子が連行していくのを見送り、教科書とノートを準備する。その翌日、よく教室に顔を出していた一学年下の赤葦くんというバレー部の男の子が教室にやってきた。机に突っ伏して動かない木兎を一瞥して、なぜか私の机の正面へと立つ。
「木兎さんが部活中、静か過ぎて不気味がられています」
「えっ、そうなんだ。珍しいこともあるんだね」
「はい。心当たりはありませんか。木兎さんがおかしくなる理由は大抵バレーか先輩なので」
「……えっと」
「昨日何か話しましたか」
謎の目力に気圧されながらも尋問を受ける。進路の話をして、お嫁さんになりたいって言ったかな、と照れくさくなりながら口にすると、赤葦くんは「それですね」と少し疲れた表情で呟いた。
教室の端からガガガ、と椅子が床を滑る音が聞こえ、思わず顔を向けるとさっきまで顔を伏せていた木兎が立ち上がっていた。教室中の視線が木兎に集まる。
何も言葉を発さないまま、静かに私の席へ近付いてくると、(赤葦くんがそっと離れていくのが見えた)俯いていた顔をバッと持ち上げた。その表情は覚悟を決めたような険しい表情だった。
「苗字!!」
「は、はい!」
「結婚してください!!」
とんでもない声量でとんでもないことを言われ、固まる。開きっぱなしの扉を通り抜け廊下まで広がったのだろう。なんだなんだと興味津々に別クラスの生徒や先生が顔を覗かせている。
「返事くれ!」
「いや、木兎さん。さすがに……」
「超幸せにするから!」
「聞いてない……」
ガバっと頭を下げて右手を差し出した木兎をただ見ていることしか出来ない私に、赤葦くんは深いため息を吐いてから私を見た。なんだろう、その「頼みますよ」みたいな視線は。
進路の話からどうしてこんな飛躍をしてしまったんだろう。この空気の中、何を言えば正解なんだ。木兎のことは嫌いじゃないけどそういう対象として見たことなかったというか、そもそもあんまり知らないし……バレー大好きで前向きでいっつも明るくて、真っ直ぐな性格で、誰も見てなくても努力してるようなクラスメイトってだけで……あれ、もしかして私って、自分が思ってる以上に木兎のこと好きだったのかな……でも、好きって言われたから好きになったみたいじゃん。木兎が真面目に言ってくれてるんだから、私もちゃんと向き合わないと、
「お、」
「「お?」」
「お友達からで、お願いします」
僅かに顔を上げた木兎の右手を恐る恐る握ると、木兎はぽかんと開いていた口をさらに大きくして笑顔を作った。見たことないぐらい眩しい太陽みたいな笑い方。
「おう!! よろしくな!!」
二人を見守っていた全員の胸中を、木葉がそっと代弁する。
「いや、友達じゃなかったのかよ」