初夏(五条、夏油)
2005年、四月。
御三家嫡男のお手本のような性格の五条と夏油が衝突したのは言うまでもないことだが、次の日には軽口を叩いて肩を組むような仲になっていた。
もう一人の同期、家入硝子は自分以外へ反転術式を使えるという類まれな才能を持っていたが、互いに顔を腫らした野郎二人を視界に入れると「ツバでもつけてろ」と吐き捨てて鼻で笑った。その少女から香ったタバコの匂いに(自分の同期は問題児しか居ないのか)と己のことは棚にあげて額を抑えた夏油も、数日もすれば肩の力が抜けていた。
自分と同じ景色を見ることの出来る存在。
自分の言葉を肯定してくれる友人の居る世界。
自分が望んでいたものがここにある。
悍ましさすら感じる自身の力、それで人を救うことが出来るのだと信じて疑わなかった。この頃は。
夏油傑がその少女と出会ったのは、自身が呪術高等専門学校に入学した年の初夏のことだ。じわりと汗をかいた肌をノートで仰いでから、喉が渇いたなと言って教室を出る。その後ろを五条もついてきた。
任務のことを二三話して、自販機にたどり着くと真っ先に家入の姿が目に止まった。その横には見慣れない白髪の子供がいる。思わず横に立つ男を見た夏油は、五条がサングラスをずらして正面の子供を見ていることに少しだけ目を瞠った。
「すげえ、心眼と天眼の抱き合わせじゃん、初めて見た」
聞きなれない単語を口にした五条に、夏油は訝しげな表情を隠すこともなく問う。
「六眼の超超ちょ〜劣化版みてえなヤツ。つか比較対象にもならねえわ。ただのカス」
五条が舌を出して唾棄した言葉に、夏油は顔を歪める。
家入の横に立つその子供は深く俯いた状態のまま動かない。五歳か六歳くらいだろうか。こんな子供相手に聞かせる言葉ではないだろう。家入は真顔で「クズだな」と言ってから「タバコ吸ってくる」とこの場を去ってしまった。家入が連れてきた子供ではないようだが、それにしても無責任ではないだろうか。子供は家入に一瞥もくれず、地面をじっと見下ろしている。
「悟」
「おら、見せてみろよ」
身長差がありすぎて見下ろすだけで首が痛む。夏油が首のあたりをさすっている横で、五条がしゃがみこんで強引に子供の顔をあげさせた。夏油は慌ててその肩を鷲掴む。
「あー、やっぱ目隠しはすんだな」
淡々と口にする五条の肩を掴んだまま、夏油は動けなくなる。その顔には、眼球を隠すようにぐるぐると包帯を巻かれていた。顔の半分を覆う包帯は異様な雰囲気を醸し出していて、子供の白すぎる肌も相まって不気味にも思える。
「悟……その子は」
「心眼はともかく、天眼は資料が少ねぇんだよ。天眼持ちが生まれるのだって百年振りくらいか? ……抱き合わせなんて生まれたの初めてだろ。これからこいつのオークションでも始まるんじゃねえの」
「……」
「つってもそんな価値ねえか。天眼持ちは呪術師にはなれねえし、精々キモイオッサンのコレクション入りだな、ご愁傷様」
聞くに耐えない言葉を言いながら五条が包帯をぐるぐると解いていくのを、夏油はただ見ていた。五条に子供を嘲る意図は無いのだろう。ただ事実を言っていると言わんばかりの表情をしている。
ただいつもと違うのはその顔に隠しきれない好奇心が浮かんでいることだった。
包帯の切れ端が空を切る。ドン引きしながら五条を見下ろしていた夏油も、申し訳ないと思いつつ包帯に隠されたその顔を覗いた。
「あっか、血かよ」
「……悟」
「おまえどんな風に見えてんの? 呪力の流れは? 天眼の資料は見たことあっけど、抽象的過ぎて意味不明なんだよ」
「……」
「オイ聞こえてんのか」
五条の言葉通り、血のように赤い瞳が少女には二つついていた。輪のような黒い瞳孔と、鮮やかな赤。吸い込まれそうな瞳にはどこかうんざりした表情の五条が写っている。整った顔立ちをしているのに、微動だにせずに五条を凝視する姿は異質で、夏油は少しだけ身を引いた。なによりも同期の行動全てがありえなさすぎるのである。
「やっぱ天眼ってロクなもんじゃねえな。ドンマイ」
耳が聞こえないと判断したのだろう、五条は興味が失せたようにヒラヒラと持っていた包帯を子供の頭上に落とした。そのまま立ち去ろうとする五条の襟を掴んで、夏油は強引に引き止める。これ以上人間として落ちぶれて欲しくないという友人としての親切心だった。
「ごめんね、怖かっただろう」
「聞こえてねぇんだから意味なくね」
「そういう問題じゃない。悟、君は少し非常識すぎるぞ」
「へーへー」
その軽薄な態度に苛立ちながらも、夏油はひとまず子供の心のケアをしなくてはとしゃがんだ。あんなのを見たらトラウマ必須だろう。たとえ耳が聞こえない為に五条の言葉が届いていなかったとしてもだ。というより無音の状態で包帯を強引に取り払われ挙句目の前に長身の男が二人佇んでいたらそっちのほうが恐怖なのではないだろうか。
雑に頭に置かれた包帯をゆっくりと手にとり、もう一度巻いてやろうと子供の顔のまえに手を伸ばした時だった。
「傑!! 悟!!! なにやってるんだお前たちは!!」
そんな怒鳴り声と共に駆けつけた担任、夜蛾正道によって五条と夏油の頭部にはたんこぶが作り上げられた。夏油は不満げに「私はむしろフォローしたんですが」と言ったが聞き入れて貰えることはなかった。確かにほとんど見ていただけだが、流石に納得できなかった。それよりも夏油は、夜蛾の後を歩いていた老齢の男性が「もう動いていいぞ」と子供に声をかけた途端に子供が物凄い速さで自分達から距離を取ったのを見て噎せた。聞こえているじゃないか。