店内案内
私が先代と出会ったのは何十年も昔のことだった。覚えてはいないけれど、橋の下に置き去りにされた赤ん坊の私を見つけ、連れ帰ったそうだ。名前が分かる持ち物もなかったらしい。だから、私の名前は先代がつけた。由来は聞いていない。
先代は一人で飲食店を切り盛りしていた。私は幼い頃から店の手伝いをして、お客さんからよく可愛がってもらえた。先代は子供を甘やかすような人ではなかったから、お小遣いや甘いものはいつもお客さんがくれたものだ。
私が拾われ、先代と暮らした月日の長さは言葉では言い表すことができない。本当に不思議なことだけれど、あの人とは何年も、何十年も、何百年も一緒に居たような気さえする。
もっと不思議なのは、私の背が日に日に大きくなり年を重ねているというのに、先代が少しも年老いないことだ。私が赤ん坊から成人と呼べる齢まで成長したというのに、先代の顔には皺一つ、髪には白髪の一本すら存在しない。「若いお父様ね」と何度言われたことだろう。
それだけなら不思議の一言で済んだかもしれないが、先代は人と会う前にわざわざ生え際を白く塗ることがあった。まるで「そうしないといけない」ことみたい。若々しい顔がいつも浮いていた。謎が多い人だった。
「そろそろ潮時か、移らんといかんな」
常連のお客さんが店を出て先代が呟く。なんのことだろうと疑問を抱くも、黙々と空いた食器を片付ける。洗い物を終えた頃に先代は外へ出て暖簾を仕舞った。まだ明るい時分だというのに、一体どうしたのか。店内に戻ってきた先代は戸を閉め、鍵をかけると、私に「二階の窓を全て閉め、鍵をかけてこい」と言った。
言われるがまま二階へ上がり、全ての窓と鍵を閉じる。「お前は抜けているところがあるから二度確認しろ」という言いつけを守って降りてきた私が見たものは、先代の膝上で暖を取る猫の姿だった。
「これ以上ここには留まれない。よそへ行くぞ」
「お引越しですか?」
「あの爺さん、まるで妖怪を見るような目で俺を見ていたな……三十年も居ればそうなるか」
「……お友達に言わなくちゃ」
「もう“切り離された”から会えんぞ」
先代の言葉の意味が分からずに首を傾げる。そういえば、すりガラス越しに部屋を照らしていた筈の日の光が消えている。戸の前に遮るものでも置かれたのだろうか。
「次はもっと大通りから外れたところにしてくれ」
「……え?」
「不老でも疲れはたまるんだよ」
膝上の猫に話しかけるように呟く先代を見つめる。……相当お疲れのようだ。そっとしておこうとテーブル席の椅子に腰掛け、そっと店内を見渡す。木造建築で出来た二階建てのこの建物は、一階が店舗、二階が私達の居住スペースとなっている。お店は4人掛けのテーブルが二つ。あまり使われないけれど奥には個室もあって、そっちも四人掛けのテーブルが一つある。でも、席が全部埋まっているのは見たことがない。
「……よし、そろそろいいか」
先代がそう言い立ち上がると鍵を開けて外へ出て行く。猫がふらりとその後に続いた。てっきりお店を閉めてしまうのかと思ったけれど……ただの休憩だったのかしら。
ゆらゆら揺れる猫の尻尾を目で追って外へ出ると、私は目を疑った。何十年と見慣れた風景は跡形もなく消え、見慣れない建物が立ち並んでいる。
「あれ……あれ?」
振り返って店を見る。そこにあるのは見慣れた木造建築の建物だ。二階建てで、私の部屋の窓も見える。でも、それ以外のもの全てが。変わっている。
「この格好じゃ目立つ。服を買いに行こう、名前。馴染めるように色々揃えんとな」
「……せ、先代? これは……」
解放されたように伸びをする先代に問いかける。振り返った先代の顔は晴れやかだった。
「ヤドリギ、新天地で再出発だ」
◎○◎
その一、従業員が最低一人、存在しなければならない。
その二、従業員の肉体年齢は一定に達すると変化しなくなる。周囲に怪しまれるような行動は控えなければならない。
その三、職務続行が不可能と判断したら、ただちにその世界から立ち去ること。例外は認められない。
<追記:従業員の引き継ぎについて>
・従業員を他者へ引き継がせる場合、両者が血縁関係である必要はない。
◎○◎
別名「永久労働施設」の店主になった主人公が色々な世界で飲食店を経営するお話。