約束
未だに、彼女あの夢を見る。
「悟」
甘い声。薄い手のぬくもり。細くてやわらかい髪の毛。
鳴り止まない携帯のアラームは8時ちょうど。
無意識に大きいため息をついて濡れた目元をぬぐった。
高専の時、一度だけ彼女と任務に出掛けたことがある。
海が見たい。
そう言った彼女と本数の少ない田舎の電車を乗り継いで、何もない海岸まで行った。
12月の海。首元を抜ける風が冷たい。
「さみーよ」
「さむいね」
朝は雪がちらついていた。
「悟」
「ん」
「10年経ったら、また来ようよ」
目線だけで窺うと、彼女は黙って海を見つめていた。
視線を戻して、いいよと呟く。
視界の端で彼女が、ぱっと顔を上げた。
「やだって言うかと思った」
「なんでだよ」
ふふ、と楽しそうに笑った彼女が、10年かあとこぼす。
「28だよ、私たち」
「そうだな」
「なにしてるかな」
「なにしてるかね」
俺の肩に彼女が頭を寄せた。
さとる、とゆっくり僕を呼ぶ。
「今日だよ、10年後の。絶対来てね」
「覚えてたらな」
軽口を叩いた僕を、忘れないでよと不安そうに彼女が見上げる。
「わかった」
「絶対だよ。約束」
「約束な」
「その時私と悟が一緒にいなくても、ちゃんと来てね」
彼女の言葉に、一瞬身体が動かなくなった。
一緒にいなくても。僕と、彼女が。
てっきり28歳の僕と彼女が、二人で連れ立ってここへ来ることを想像していた。
「わかった」
何でもない風を装って返した言葉に、彼女は満足したように頷いた。
帰りの電車は僕と彼女の他に数えられるほどしか乗っていなかった。
暖房が効きすぎて少し暑い。
「悟」
隣に座った彼女は僕の肩に頭を預けて、手のひらの中に一回り小さい手を滑り込ませてきた。
「ん」
緩く握ると握り返してくるのが愛しくて指を絡める。
乾燥してる、と空いた手で指先をなぞる彼女の指も小さいささくれが出来ていた。
「今日だからね。悟の誕生日の前の日だからね。忘れないでね」
「わかったって」
「悟」
「なに」
「約束ね」
「わかった。約束な」
今思えば電車が走り出してから降りるまでの長い時間、ずっと繋がったままだった手は珍しく彼女から握ってきたものだった。
降りる駅が近付いてきても、手を離すどころか立ち上がろうとしなかったのも全部、後から気付いた。
任務から帰ってすぐ、結婚することになったと彼女から伝えられた。
初めて大きいケンカをした。
大声を出して、酷いこともたくさん言った。
お互いに傷つけ合って、彼女は泣いていた。
もういいわ。勝手にしろよ。
たったひと言で、僕たちは終わった。
こんなに長く二人で歩いてきたのに、別れは一瞬だった。
顔も合わせないまま数日、彼女が寮を出たことを硝子から短く聞かされた。
それっきり、彼女は卒業式にも来なかった。
いいことなのかはわからないけど、毎日忙しくしてる。
やることも、やらないといけないことも山積みで嫌になるくらい。
それでも彼女は僕の中から出て行ってくれない。
笑った顔と僕を呼ぶ声が忘れられない。
「約束ね、悟」
未だに、彼女の夢を見る。
あれから8年、彼女とは会っていない。
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