毎日ヘラさんは僕の身体を触りに来て、満足気に去っていく。彼女曰く、僕は最高傑作だそうだ。物のような言われ方に違和感を感じながらも、多少の嬉しさもあってなんだか変な気分だよ。
真っ白な病室の壁に付けられた窓から見える景色は、初めて目に入った時も少しも変わらない景色を映し出している。なのに、入ってくる風は春の気配を含んでいた。
どうやら僕は3ヶ月も寝てたらしい。あの雪の中の闘争劇が昨日のように思えるのに、世界は動き続けているんだね。
マスターにロイのことを聞いたけど、マスターも行方がつかめていないんだって。あまりにも苦しそうな顔をするから、僕は深くは聞けなかった。
ロイのことだから、遠くまで行っちゃって戻ってくるのに時間がかかってるのかもしれない。
きっと何事もなかったかのように「よお!」って顔を見せにくるんだ。
だから、それまでに僕はちゃんと動けるようになっておかないと。こんな身体になってるなんて気付かれないように、普通に動けるようになっておかないと。
なんて意気込んでみたものの、普通に動かすってどうやるんだっけ? ベッドの上で手足を動かしたり、起き上がったりという行動は普通にできていた。だから歩いたり物を持ったりなんていうのも、コツさえ掴めばすぐにできると思ってたんだ。
なのに、全く動かせない。
僕ってば、今までどうやって歩いてたの?
「フィオ、焦る必要はないわよ。普通なら魔導構造体を動かせるようになるのに、数週間かかるの。目が覚めてすぐから動かせてるっていうのは、もうそれだけで驚異的なのよ」
あちこちにぶつけたり床で擦ったりして歪んだ足の指を調整しながら、ヘラさんがそう言った。
「きっと、あなたの魔術の先生のせいね。ユーシスにかなり仕込まれたんでしょ」
「仕込まれたっていうか、全身に常に一定量の魔力を流すのを維持し続けろって言われてました。呼吸をするように。心臓が鼓動を続けるように。寝てても魔力の流れを途切れさせるなって」
そう、一番最初の指導はそれだった。僕は比較的楽に意識してれば流せるようになったけど、ロイはいくらやってもできなかったんだっけ。
「それよ。アイツってばほんと、何を考えて指導してたのよ。普通はそこまで要求しないわ。だけど、起きてすぐに動けたのは、そのおかげなのは確かね」
ロイはエセ教師なんて言ってたけど、やっぱり先生の言うことに間違いはないんだ。
「ヘラさん、先生を知っているのですか?」
「知ってるもなにも、同僚よ。アイツもアリュケディア市民だったわよ」
アリュケディア?
市民って言ってたから、アリュケディアって街の名前?
ここはアリュケディアってこと?
「……あら、その辺、説明してなかったかしら?」
なかったですね。いつも生身と魔導構造体の融合の素晴らしさを語ってくれるだけだったし。
「やだ。レンからも説明無し?」
「マスターはきっと話す時期を待ってるんだと思います。後で話すって言ってたから」
「それはどうなのよ。まぁ、色々と確定してからってことかしら。……そうね、レンが話すまであなたはリハビリに専念した方がいいのかもね」
今、僕がおかれてる状況や環境も詳しいことは知らない。子どもたちが今何をやってるのかも知らない。ただ元気なことしか教えてくれない。
ここまで隠されてるのは、正直不満ではある。不満ではあるけど、マスターがそう判断したのなら、きっとそれが正しいんだと思う。
「はい」
いつになったらマスターは話してくれるんだろうか。僕がもっと元気になったとき? 退院したとき? そもそもいつ退院できるの?
全く分からないけど、なんとなく、この身体を以前と同じように扱えるようになったときが、その時のように思う。
なら、早くちゃんと動かせるようになるしかないね。
とは思ったものの、いくら頑張っても全く成果が見えなかった。苛立ちと自己嫌悪でいっぱいになって、感覚がないのを良いことに足や腕に八つ当たりをしてしまった。何度、手足を崩してしまったことか。その都度、ヘラさんは笑いながら治してくれた。
そんな僕を見かねたのか、マスターが良いことを教えてくれた。
「動かす前に想像してみるといいんじゃないか? 歩いている自分。立つ自分。座る自分。その時、脚はどう動いている? 膝は? 足首は? つま先は? どこがどう動いて歩いているのか、誰かの動きを参考にするのもいい。しっかりと想像できるようになれば、うまくいんじゃないか?」
それからは、部屋に来るスタッフの動きを観察するようになった。脚は服で隠れてるけど、それでも大まかな動きは観察できた。
想像と実際に動かす。これを繰り返して、少しずつ歩くという動作がそれらしくなってきた。
そうやって毎日繰り返し練習しているうちに、季節は初夏へと移っていた。病室は空調も完璧で、窓からの風がなかったら季節の移り変わりには気が付けなかったんだけどね。
そして、固形の食事への執着も薄れて流動食にも慣れた。流動食はコップに入っていて、水分補給と同じ感覚で摂取できるんだ。だから、食事に作業を中断されない。これは僕にはすごくありがたいことだった。
そのおかげか、真夏になる前に、僕は壁伝いにならなんとか歩けるようになっていた。とは言っても足首や指先はうまく使えなくて、きっと伝い歩きを始めたばかりの幼子のような歩き方だと思う。
「フィオ、歩いてる……」
部屋へ来たリックさんがカルテを落とした。目を丸くして手はカルテを持った状態のまま固まってる。
そんなに驚かなくても良いと思うんだけど。
僕は壁から手を離して、ゆっくり歩いて近寄って、落ちたカルテを拾った。
「フィオ、歩けてるな」
「まだゆっくりだけど、なんとか」
「ああ、いっぱい頑張ってたもんな」
リックさんの満面の笑みに、思わず照れ臭くなって視線を外した。
まだ幼児が一歩踏み出した程度の歩みだけど、それでもリックさんから見て歩いているように見えたのがとても嬉しかった。
僕担当のリックさんは、ヘラさんが来ない時も定期的にきてくれて、色々と世話をしてくれている。まだ見習いだから、学校へ通いながらの実習中なんだって。
「そうだ、俺は明日から試験でしばらくこっちに来れないんだ」
「試験?」
「そう、ここで働き続けるための資格試験。合格すればこのまま働けるんだ」
リックさんは手に持つカルテに僕の記録を記しながら、これから先も僕の担当でありたいとはにかんだ。
「これだけ魔導構造体を扱えるなら、魔術式を刻んでも大丈夫かもしれないね。ヘラ様に相談してからになるけど」
「……魔術式を刻む?」
「ん? ヘラ様に聞いてるだろ?」
なにを?
思わず首を傾げてしまった。それを見たリックさんの顔が曇っていく。吐き出すようなため息をつくと、彼は僕へ頭を下げた。
「あの人、仕事は丁寧なんだけど、事務的なことは大雑把なんだよなぁ。だからって肝心の説明を忘れるなんて有り得ねぇ。ごめん、フィオ。こっちの説明不足だった」
どうやら実習生のリックさんは指示されたことしか出来ないらしくて、ヘラさんへ確認をしに部屋を出て行った。
大人ってば、みんなして何も教えてくれないんだから。
同じ景色を映し出す窓から、温かくて乾いた空気が流れ込んできた。
「ごめん、お待たせ!」
リックさんが息を切らせて入ってきた。そのまま呼吸を整えると、ベッドに座る僕の前に椅子を持って来て腰掛けた。
「俺から説明しておけって指示が出たから、きちんと説明する」
リックさんがあまりにも真剣な顔をするもんだから、吊られて僕は緊張して声が上手く出せなかった。
「お願いします」
「そんなに構えることないよ。事務的な内容だからね。とはいっても、魔導構造体を動かすのには必要な話だと思うから、ちゃんと聞いて欲しい」
僕が返事を返すのを待ってからリックさんは話し始めた。
「魔導構造体部分を動かすのは、普通は簡単な動きですら数週間かけて習得するものなんだ。とは言っても被検体は数くないから絶対ってわけではないんだけどね。まぁ、今までの人たちはそうだった」
被検体? 今までの人たちって……そうか、僕だけじゃなかったんだ。
「そこで、少しでも楽に動かせるようにと魔術式を刻んでみたけど、今度は魔力暴走を起こしてしまって魔導構造体が壊れてしまったんだ。その経験をもとに、ある程度動かせるようになってから段階的に魔術式を刻むという方法に変えてみた。そうしたら、魔力暴走は抑えられて被検体への負担も軽くなった。そこで魔導構造体を人体補助とした場合の機能訓練の計画が決められたんだ」
リックさんはここまで話して間を置いた。
「ここまでは理解できた?」
「はい」
「なら続けるね」
リックさんは右手を僕の目の高さまであげると、人差し指を立てた。
「機能訓練の計画順だけど、まずはベッドから起き上がれるようになること。それができたら立つ、座る。そこから足を動かして移動可能になること。ここまで来て足への魔術式を刻む許可が出る」
2本、3本と指を立てて「フィオは全部クリアしたってことだ」と言った。
「やった」
思わず声に出ていた。
「足だけだけどね。手の方は曲げ伸ばしができること。次に物を掴んでも壊さないこと。これは掴んだ対象も魔導構造体も含まれる。ここまでできるようになれば魔術式を刻まれる」
「え、手は別なんですか?」
「指の動きは複雑だからね。硬い石も柔らかいパンも、同じように持てるようにならないといけない。力加減を覚えるのが大変なんだよ。感覚が皆無だからね」
あ、そうか。見ていなくても加減をできるようにならないといけないのか。
それって滅茶苦茶難しいんじゃないの?
「運良く利き腕は生身のものなんだろ? ならそこまで難しくないはずだよ」
そう言われて右手を眺めた。血の通った体温も感覚もある右手だ。
「今現在、手足が魔導構造体って人はいないから、誰もコツなんか伝えられないけどな。だけど、協力は惜しまないし、協力できるように俺も合格を勝ち取ってくるから、フィオも頑張れよ」
「うん……あ、はい! 頑張ります。えっと、リックさんも頑張ってくださいね」
おう! と口角を上げて見せたリックさんに、なぜかロイが重なって見えた。