僕の魔導構造体の扱いを確認して、状態を観察しながら複雑な魔術式を構築していく。紙に書き記された魔術式に、ローゼンがペンのようなものでなぞると、薄緑の淡い光を帯びて宙に浮いた。
「きれい……」
思わず見惚れてしまった。
そんな僕には一切関心を示さずに、浮かぶ魔術式を僕の足へと導いた。
ふわりと舞い降りてすぅっと僕の足に溶け込んでいく。最後に白藍色に淡く輝いて、魔術式は姿を隠した。
「どうだ? これで関節が動くようになったはずだ」
「関節……うわ! ああ、すごい」
足首の可動域が広がって、足の指がぎこちなくではあるけど動いた。
「はぁ!? もう動かせるのか!」
びっくりしたぁ。ローゼンさんでもこんな声が出るんだ。
「いや、目覚めて直ぐに起き上がっていたんだ。今度もそうだと想定しなかった俺が悪い……のか?」
なんでそんな引いた目で見てるの?
魔術式が刻まれたおかげで、魔力の通りが今までよりも良くなった。
今までも特に困ってはいなかったんだけどねぇ。この流しやすさを知ったら、今までがどれだけ無駄な魔力を使っていたのか思い知った。
すごいね、魔術式!
やっぱり、魔術は最高だ。
嬉しくて、ベッドに座って何度も足首と指を動かした。動かすたびに動かしやすくなっていく。より滑らかに、自然に。嬉しい、嬉しい。
「これなら、もっと自然に歩けるかも」
「そうだな。だが、それにはまだ魔術式が足りないな。足を下せ」
ローゼンさんがベッド下の床にタオルを敷いて、そこに足を置くように指示した。
「指だけでタオルをたぐり寄せろ。それが出来るようになったら、次の魔術式を刻んでやる」
「はい」
これ、足の悪いおじさんへマスターが勧めてた運動と一緒だ。やり方は容易に想像できる。
「あれ?」
難しい。これめっちゃくちゃ難しい!
指5本を同じリズムで同じ強さで同時に動かす。たったこれだけなのに、上手くいかない。
「すぐにできてたまるか。ほら、次は腕を出せ」
「え? 腕はまだ先だってリックさんが」
「数日後に呼ばれるのは目に見えているからな。そう頻繁に呼ばれて来れるほど、俺は暇じゃないんだ。分かったら早く出せ」
足に刻んだ要領で手にも刻まれていく。
さっきはローゼンさんの技術に圧倒されてよく見ていなかったけど、今度は彼の手元をしっかりと見ることができた。
指に沿うように描かれていく魔術式は、それぞれの指示が独立しているように見えるのに、一本の線で繋がっていた。魔力が無駄なく滞りなく流れるように。
描き慣れているのだろう。ローゼンさんの筆運びには少しの迷いもない。
魔術式は先ほどと同様にローゼンさんの魔力を帯びて薄緑に淡く輝くと、導かれるまま宙に浮き、僕の手へと降りてきた。薄緑の淡い光が消えて、白藍色の淡い光を灯すと僕の中に消えていった。
「どうだ?」
どうだと言われても、リックさんからは手の魔術式付与はまだまだ先だと言われてるんだけど。動かしても大丈夫なのかな……。
早く動かしてみろという無言の圧力に負けて、恐る恐る左腕を動かしてみた。肘を曲げて、それからゆっくりと指を曲げ伸ばしする。ここまでは今までも出来ていた。ここからだ。
握った状態から一本ずつ開いていく。そしてまた一本ずつ折っていく。動かすたびにうっすらと術式が浮かび上がるのが見えた。
「最終的には術式が浮かばないようになることだな」
「浮かぶのはダメなんですか?」
「日常生活を送るのに、ずっと浮かび続けていたら目立つだろう」
「あ、そうか」
最終目標は魔術式が浮かばないように動かすこと。ってことは、魔術式へ流す魔力を限りなく少なくしろってこと?
無理じゃない?
だけど、そうしろと言われるってことは、可能ってことだ。可能ってことはやるしかないってことだよね、ロイ。
よし! 気を取り直して宙に文字を書いてみよう。指がこれだけ動かせたら、きっとできるはず。
期待しながら人差し指だけ立てて、宙に文字を書いてみた。
あ、これは無理だ。腕ごと動かさないと書けない。指だけ動かして書くのって大変な作業だったんだなぁ。
「なんだ、文字でも書こうとしてるのか?」
「はい。でも無理みたいです」
「当たり前だろう。そこまでの動きは刻んでないからな」
あ、そうなんだ。
「後で指の訓練にいい物を持って来させる」
「はい。ありがとうございます」
曲げ伸ばしだけの単純な動きだけだけど、指先まで意識を集中すると動かせるのは、胸の奥がくすぐったくなるくらい嬉しかった。
今日は最高の日だ。
「問題無さそうだな。手の方もおいおい追加していこう」
「はい。ありがとうございます」
ふっと柔らかな笑みを一瞬浮かべて、ローゼンさんは病室を出ていった。
後日、ローゼンさんから届いたのはコーヒー豆だった。指で摘みながら、良い豆と悪い豆に仕分けるというものだ。
これって良いように使われてるんじゃないかな? って思いが過ったけど、僕にとって必要なことだろうから、そこは考えないようにした。
そうして2週間後、2回目の付与が終わった。
今回は腰から下へ魔術式が刻まれた。足を動かすだけなのに? って思ったんだけど、これが想像以上に難しかったんだ。
課題はつま先立ちで立つ、足首と指を使って歩くってやつ。
踵の上げ下げをする際に、足以外の部分も意識しないと、すぐに転んでしまうんだ。ただでさえ魔力操作が難しくなってきてるのに、他の部分も同時にだなんて難題なんだけど?
足を動かすってこんなに大変だったんだね。
左腕は関節を回せるようになった。腕をくるくる回したり、指を回したり。おかげで宙に文字や魔術式を描くこともできるようになった。
とは言ってもここまで来るのに初めて魔術式を刻んで5週間ほど経っている。同じことの繰り返しな毎日だった。日中は課題に向き合い、夜は疲れ果てて寝てしまう。そんな毎日だったおかげで、色んなことを考える時間が無くてよかった。
そして今日は3回目の付与の日。
暑さも鳴りを潜めて、景色の変わらない窓の向こうから虫の鳴き声が響き始めていた。
「今までのを全て使って歩いてみろ」
ローゼンさんに頷いて見せて、僕はゆっくりと足を動かした。
頭の中で足の動きを正確にイメージしながら、一歩一歩動かしていく。
「腕はどうした? 君は歩く時、腕は動かさないのか? 今の状態は肩に棍棒でも付いてるといった感じだぞ」
「え? あ、いや……」
「歩く動作は全身でするものだ。少しの違いが、相手に違和感を生ませるぞ。ほら、突っ立ってないで歩け」
「は、はい」
どうやればいいの? ローゼンさんの射抜くような視線が痛い。
右の足首を上げる。踵から床に置く。体重を移動させながら、もう一方の足は膝を曲げて前へと出す。左足の踵を置くと同時に右足の指を曲げて床から離す。
「はぁ……君はゴーレムか?」
ローゼンさんが魔術式を展開して手のひらに乗るサイズのゴーレムを生成していく。あまりにも自然で鮮やかで、思わず見入ってしまった。
「ほら、よく見ていろ」
床に置かれた小さなゴーレムが、ぎこちなく歩き始めた。膝を曲げて前へ出し、踵から床へ下ろす。
「今の君の歩みはこれそのものだ。どこが足りないか分かるか?」
どこって……。一歩一歩前進するゴーレムを観察する。関節の使い方も、動かすのも、タイミングもおかしな所はないように思う。だけど、そうだ、何かがおかしい。これがゴーレムだからこんなものだと思うけど、もし人だとしたら? どこか違和感が湧いてくる。
どこだ? どこがおかしい?
「あ……!」
分かった。上半身だ。下半身だけ動いていて、上半身は全く動かずにいるんだ。ローゼンさんが全身で歩けって言っていた。全身で……。
考えろ。僕の上半身右側は生身の身体だ。そうだ、右側は自然に動くはずだ。……僕はどうやって動いてた?
僕は目を瞑った。
歩く、歩く。浮かぶのは僕の隣を歩くロイの横顔。顔が僕に向けられる。足が動くたびに微かに身体も上下に動く。腕もふらりと動く。
目を開けた。
大丈夫、左腕はともかく、右腕はきちんと動く。
一歩踏み出す。もう一歩。少しずつ足の動きを早めていく。下は見るな。真っ直ぐ前を向け。感覚はないけど、僕の脳はその感覚を知っている、覚えている。
どう動いたのか、本当の所は分からない。ただ記憶を頼りに、ローゼンさんの声がかかるまで歩いた。だけど、最後まで声はかからなくて、部屋の壁が目の前に来て僕は歩みを止めた。
「やれば出来るじゃないか」
指を鳴らす音と同時にゴーレムは消え去った。
「ほら、ベッドまで戻って来い」
「はい」
また歩いてベッドに向かい、言われるがままベッドに腰掛けた。
「最後のは非常に良かった」
「ありがとうございます」
ローゼンさんは僕の身体から魔術式を取り出して、書き直し始めた。
「あまり四角四面に考えるな。元来身体を動かすのは脳でありそこに付随する器官だ。自分の意思で動かしている箇所がどれくらいあるのかすら疑わしいと俺は考えている」
「…………はい」
「繰り返すだけだ。呼吸をするように、心臓が動くように。意識しなくても、他人に違和感を与えない動きが出来るように。今日の動きを忘れずに繰り返せ」
「はい」
ローゼンさんも先生と同じことを言うんだね。
「これが俺が施す最後の調整だ。次からは他のやつが担当することになる」
そう言い残してローゼンさんは去って行った。
そしてその3日後、僕の退院が決まったとリックさんが教えてくれた。
やっとここから出られる。これで、子どもたちに会いに行ける。ロイを探しに行ける。
「フィオ、迎えに来た」
「マスター!」
「よく頑張ったな」
優しく抱きしめてくれるマスターの背後に、体格のいい男性が見える。
この人は確か……。
「今日からお前の面倒を見るアルノルトだ。って俺のこと覚えてるか?」
「少し控えててくれませんかね?」
マスターは胡乱な視線をアルノルトさんへ向けた。
「いいだろう? お前らが見舞いには行くなって言うから、今日まで我慢してやってたんだからよ」
「うるさくてお節介なあなたが来れば、フィオのリハビリに悪影響を及ぼすのは必然でしたからね。当然のことです」
「レン、お前ってやつは……」
マスター? なんだかいつもと言葉遣いが違うような……。
「はぁ。フィオ、この後はこの人の指示に従うことになるけど、嫌な時は嫌だと断って構わないからな」
「おい! レン、何言ってんだ!」
そんな2人を横目にリックさんが注意事項などの書類を渡してくれた。
定期検診、魔術式のメンテナンス、僕の所属などが書かれていた。
『フィオ。アリュケディア市民。所属スキオディス』
「フィオ、荷物はこれだけだな?」
「はい、マスター」
リックさんに挨拶をして先に部屋を出た2人を追った。
途中でヘラさんにも挨拶をして、医療棟を出たところでマスターとも別れた。
「そう構えるな。これから行くところもなかなか良いところだぞ」
アルノルトさんは僕の荷物を持ってくれて、僕の歩きに合わせてくれる。
この人のところならきっと大丈夫。
秋の空気を含んだ風が、ふわりと通り過ぎた。
ロイ、待っててね。僕が君を見つけに行くからね。