群青の光。

テレビ局の空き部屋で黙々と台本を読むことりの隣で、私はスケジュール帳をまとめていた。もう少しここにいたい、というのはことりには珍しいわがままで、このあと特に用事などなかったものだから先ほどの顔合わせの部屋の隣を使わせてもらっている。
ことりはクリクリとしたヘーゼルの瞳で台本の活字を追っていく。度々読めない字や、言葉の意味を私に聞いてくる程度でほとんど会話はなく、私の書き取る音と、ことりがページをめくる音だけが確かな雑音であった。

「あ、ほんまにおった」

その時聞こえた声に私もことりも思わず肩を揺らして顔を上げる。部屋の入り口を見ると、そこには先程顔合わせをした藤井流星が立っており、私の瞳が眩しいと痛みを訴える。彼を認識したことりは慌てて椅子から立ち上がると「日野 ことりです!よろしくお願いします!」と丁寧に頭を下げた。私もそれに倣って立ち上がって頭を下げると藤井流星は「よろしくお願いします」と笑ってこちらに歩み寄ってきた。何事だと身構える私をよそに、彼はことりの目の前にしゃがみこむと「お兄ちゃんやで〜」と自らを指差し言った。そんな彼にぽかんとすることりに「彼がことりの兄役なんだよ」と耳打ちをすると、彼女は無知ゆえの恥ずかしさからか小さな耳まで真っ赤にして「ご、ごめんなさいっ」と指を絡める。藤井流星は「なんかスベってる…?」となぜかこちらを見上げてくるものだから視線をそらす。ここに私という存在は挟まない方がいい。

今回のドラマは藤井流星演じる兄と、ことり演じる年の離れた妹が主役だ。親のいない二人を中心に巻き起こるハートフルホームドラマがキャッチコピーだったはず。ドラマ内ではことりが実際に料理するシーンなどがあり、日頃からお母さんの手伝いをしているものの、カメラの前でなどもちろんやったことがないもので、彼女は「大丈夫かな…」と心配そうにプロデューサーの話を聞いていた。

「まぁ、これからしばらく一緒やねんから、気軽に声かけてな?」
「あ、はい…!」

藤井流星の言葉にことりは背筋をピンと伸ばして答えた。その上擦り声に彼はくつくつと笑ってことりの小さな頭をポンポンと撫でる。なんだか穏やかな雰囲気の男だ。とても整った顔からは想像もつかなかったが、嘘偽りは全く感じない。

「えっと…」

ことりが嬉しそうに頬を緩めていると彼はこちらを見上げてくる。流石にもう逃れられないか。私は仕方ないと再度頭を下げた。

「すいません、申し遅れました。日野ことりのマネージャーの熊谷 莉子です。まぁ…私のことはお気になさらずに、ことりをよろしくお願いします」
「あーマネージャーさんやったんですね。お綺麗な方やったから女優さんかなって…」
「いえ、そんな…」

綺麗な人だねと言われることは決して少なくない。しかし私はそれをどうしても受け入れることができなかった。かけられるその言葉の裏に下心とか、性的なものを見てしまうのだ。ナルシストに見られてしまうかもしれないけれど、多分こんな人生を歩んできた弊害なのだろう。

「女優さんになれるんとちゃいます?」
「全然そんなことないですから…」
「えーほんまにええと思うけどなぁ」

なんなんだこの押しの強さは。つい後ずさると私と藤井流星を交互に見たことりが はっと目を見開き口元を覆って「お邪魔ですか…?」などと聞いてくるものだから「違うから」と早口に訂正してしまう。藤井流星はことりにニコッと笑って「おませさんや」と優しく言う。それは咎めると言うよりも、本当の兄のように、まるで成長を喜ぶような声音だから、その 人のパーソナルスペースに自然と入っていく緩さというものが少し怖い。全部天然でやってのけているのだろう。その瞳に裏は感じられない。
大人っぽい雰囲気とは裏腹に、純粋で素直で真っ直ぐで、その様はことりと変わらない。
私とは生きてきた世界が違う男だ。
だからこそ その目を見たくない。自分の中の汚い部分とかを見透かされるのに怯えてしまう自分がいることが何よりも恥ずかしかった。

「じゃあ、俺は行きますね」
「そうですか。お疲れ様です」

すっと立ち上がった彼は私よりうんと身長が高くて、足はすらっと長くてアイドルというよりモデルと言われたほうがしっくりくるかもしれない。「またなー」とことりに手を振って踵を返すと部屋を出て行く。
しかしすぐに振り向くと、明らかに私に向かって「今度、ご飯行きましょう?」なんて言ってくるものだから、思わず笑顔がひきつった。それを断るよりも早く彼は視界から消えてしまうから、何も言えないまま、顔が引きつったまま固まってしまう。

「熊谷さん…?」

ことりの可愛らしい声にやっと首だけが動く。心配そうに見上げる彼女に、「大丈夫」と言葉をかけたつもりなのだが、実際は「うぅ…」という謎の唸り声で、彼女は何を勘違いしたのか真っ赤になって、「応援してますっ」と拳を作って真剣な顔をするものだから、逃げ場というものを作っておかないといけないような、そんな気がしてしまう。いやでも、そんなことありえないし、となんとか自己完結させてことりに「きっとお仕事の話よ」と笑顔を作ってみせた。しかしことりはふふふと小さく笑って、「お話聞かせてくださいね」なんて出会った時よりうんと大人になった笑顔を浮かべるから「やめてよぉ…」とまるで私の方が子供かのように目を逸らしてしまう。

彼は今をときめくアイドルで、あんなに美しい星のような人なんだから、私なんかが関わっていい相手じゃないんだ。もし彼が、本当にもしも彼が私に少しでも気があるのなら、取り返しがつかなくなる前に言ってしまった方がいいのだろう。
いかにこの体が穢れているかを。