絶望と再起

もう生きてる意味も見出せないし、頑張りたくないし、働きたくないし、辛いことばかりだし、人に相談をするようなタイプじゃないし、親との仲も良くないし、旦那も彼氏もいないし、このまま抱えて壊れていくのが一番怖いから、もういっそ自分の手で止めて仕舞えばいいや。帰宅ラッシュの道路を歩道橋から見下ろす。早く帰りたいと言う思いからか、すごいスピードの車が大量に行き交っている。これなら簡単に死ねそうだ。
出来るだけ人に迷惑をかけたくて、会社の人に私の死を根付けたくて、こんな人通りの多いところで死のうとする私は相当クズだろう。でもそれでいい。少しでもたくさんの人が私の死で普段の生活が揺らげばいい。それが最後の存在証明だ。後悔させてやる。私を死なせたことを。遺書もカバンの中にいれてある。嫌いな上司の名前も、両親の名前だって書いてやった。ざまあみろ。生きる場所を奪われる苦痛を味わえ。
思わず漏れそうになる笑みの意味はなんだろう。きっと今更怖気付く自分を鼓舞するためのものだ。大丈夫だ。死ねる。痛いのなんて一瞬でその後は何者でもなくなるだけだ。勢いだ、考えちゃダメ。下を見ないで、飛び込めばいい。

意を決し、短く息を吐き出してから橋を飛び降りようとする私を、引き止める力が腰にかかる。今更なんだと頭に血がのぼる。私は死ぬんだ死にたいんだ止めないで。

「離して!!」
「離せるわけないやろが!!」

関西弁で少し高めの男の声。顔だけ振り向くとそこには七人の男が全員一様に驚いた顔をして立っていた。そんな目で見るな。

「こんなことして、なんになるって言うんや!!」
「何にもならないよ!だから何!?少しでも私の死で世界が揺らげばそれでいいの!!それだけが生きた証なの!!」
「そんなことに命かけんなや!!」
「無責任なことしないでよ!!あんたたちが知らないところでこうやって死を選ぶ人たちなんて沢山いるんだからね!?どうしようもできないくせに、その先の未来なんて知らないくせに、勝手に助けて自己満足に浸るなよ!」

もう今日で終わるんだから今更笑う必要なんてない、その思いが私をどんどんヒートアップさせていく。見知らぬ男たちに吐き出す言葉に涙が滲んで行くのが情けなくて仕方なかった。なんで泣いているのだろう。どうして手が震えるのだろう。

「自己満足だってなんだっていい!今 目の前の誰かを救えたら俺はそれでええんや!」
「救う!?生きることが!?バカじゃないの!?私は今死に救いを求めてるの…!!押し付けないでよ!!」
「分からず屋やな!!」
「なっ…!」

すごい力で体を引かれる。あっという間に手すりから引き剥がされた私は勢いよく地面に倒される。何をするのと声を荒げたかったのに、見上げた先にいるその男が私以上に泣いていたから言葉が出なくなる。

「なんで…」
「アホやろ…まだ俺たちにできることがあるかもしれへんのに…死なせるわけにはいかん」

それは私以上に強情な言葉で、感じていた震えが収まっていく。目の前で泣く彼をどうにかしないと手を伸ばして頬に触れる。本当は他人になんて構っていられないのに、これはもう性なのだろう。私は悲しんでいる人を放ってはおけない。

「泣かないで…泣かないでよ…」

ぎゅっと心臓が苦しくなる。大きく丸い瞳が濡れていくのがたまらなかった。彼の肩越しに見える彼らもぐっとこらえたような表情をしており、なんで私がここにいるのだろうと疑問すら浮かんでくる。死のうと思ったのに、なんで知らない人に構っているの、意味がもうよくわからない。

先程まで人のいなかった歩道橋に徐々に人が集まりだす。こんなことをしていたら当然か。彼らのうちの一人が「離れるで…!」と声をあげると、みな一様に帽子やらマスクやらで顔を覆っていく。私の目の前で泣いていた彼も表情を引き締めると私の腕を引いた。どうやらここから立ち去りたいらしいのだが、私は死の恐怖から逃れたことへの安心感からか(死のうとした私が言うのもおかしな話だが)、腰が抜けて立てる気がしない。

「た、立てない…!!」

と慌てて声をあげると、泣いていた男性は「マジで!?」と丸い目をさらに丸くさせる。そんなやりとりに気づいたのか、もうだいぶ先に行っていた細身の男性が走り寄って来たと思ったら「ごめん、なさい…!」と舌足らずに言いながら背中と太ももの裏側に腕を入れて成人女性である私の体を軽々と前抱きにする。こんなの小学校以来だ。一体こんな細身の体のどこにそんな力が、と思ったのだがバランスを保つために腕を回すと間近で感じるその男の体が見た目より随分とがっしりしていることに気づく。

「しっかり掴まって!」
「え!?」

もう言われるがままだった。初めて会ったその男性に体を預けて歩道橋を駆け下りていくのを揺れで強く感じる。わけのわからない不安で思わず瞼を下ろしたのだが、耳を抜ける風の音が鮮明に感じられて余計怖くなり、すぐさま目を開く。私を抱えているはずなのに桁違いに早い。もともと早いのか、火事場の馬鹿力的なことなのか、もしくはどちらもか。

「ど、どこに向かうの!?」
「えーーあーーー、わからへん!!」
「はぁあ!?」
「家は!?」
「もう解約した!」
「ふははは!ほんまにもう終わるつもりやってんなー!」
「当たり前じゃん!!お金も服もないよ!全部寄付したし…!!だから、責任とってよね!?」
「せやなぁ!俺らが責任取らんと…!!」

彼は何が楽しいのかずっと優しくニコニコ笑っていて本当にこの状況をわかっているのかわからなくなる。なんだか夜の街を他人に抱えられて駆け抜けるなんて非現実的で、なんだか私も少しだけ笑えた。